1話 奈冬
「たとえばお前にさ、前世の記憶があったらどうする?」
大学のとある教室内にて。
視線を下の方にやり、ぼんやりとスマホの画面を眺めていたところ、どこからかそんな問いが聞こえてきて顔を上げた。
自分にぶつけられたものかと思った。
けど、辺りをチラリと見回してみるとそれはどうやら違っていたようで、声の主は前に座る男子二人組のものだったということを知る。
それもそうだ。僕に友人はいない。
ため息をつき、さっきよりも少しだけ落ち込んだような気持ちでスマホへと視線を戻した。
「ていうか、いきなりなんでそんな質問してくんだよ? 前世とか、めちゃ唐突じゃん」
「だってなんかよく聞くだろ? 前世の記憶があって、俺はこいつに殺されたんだーとかいうの」
「聞きはするけどよ、だからっていきなりすぎだわ。前世とか考えたこともねえ」
「俺も同じよ。前世とか考えたこともなかったんだけどさ、なんか気になるなと思って……これ。前世占いとかいうのやってみたんだよ」
「……占いって……。……まあ、そんなことより今日の飲み会どこにするか決めようぜ。そういうのは後々だ」
「おいー、ちょっとは興味示せよー。せっかく俺が変わった話題ブッ込んだのに」
「はいはい。そういうのは飲みの席で大人数の前で聞いてみろって。絶対盛り上がるから。『俺の前世は犬でしたー! ギャハハ!』とか言って」
「真面目に聞いてくれよー」
それから、彼らはいつも通りの会話に戻っていった。
前世、なんて言葉を大学内で聞くとは微塵も思っていなかったから、完全に虚を突かれた感じだ。
「……前世の記憶なら、一応僕にはあるけどな……」
誰にも聞こえないよう、自嘲気味に小さく呟いてみせる。
冗談じみた自慢だった。なんとなく、自分の中だけですごいだろうという気になる。
けど、別にこれを誰かに伝えたいとか、そういう意思はなかった。
むしろこれは知られたくない。
大事なことでもあるし、誰にも踏み込んでほしくない領域の話だったから。
〇
僕は少し前まで、『坂井春樹』という名前で生きていた。
今は『久住春架』。
坂井春樹としての記憶が部分的に残っていた。
細かくこの日に何をしただとか、この日はこう思いながら過ごした、と正確にすべてを言えるわけじゃないけど、とある人を軸に記憶が残っている、という具合だ。
そのとある人というのは、坂井春樹としての妻だった坂井奈冬。
彼女と過ごした日々だけは鮮明に覚えていた。
だから、僕の前世の記憶は、彼女との記憶という風にイコールで結び付けられていい。
幼い時から一緒にいて、結婚した最愛の妻。
プロポーズの際には、これからも一緒にいようと、そう約束した。
けれど、妻は結婚から五年後のある日、交通事故に遭った。
意識不明の重体だということだった。
連絡をもらった時は職場にいて、何かのいたずらだと思い、気付けば力なく笑っていたのを覚えている。
奈冬はいたずら好きな面がある。
度は過ぎてるけど、これも友人か誰かと企てたものにすぎないはずだ。
仕方ない。注意してやらないと。やっていいことと悪いことがあるのだと――
いったい、どんな反応するのかと、楽しみにしていた。
そんな冗談は言ってはいけない。
騙される前に、すぐに奈冬にそう言ってやるつもりだったんだ。
けれど、それはうまくいかなかった。
奈冬は静かだった。
奈冬は亡くなった。
享年二十九歳。
間違いじゃなかったのだ。
いたずらでもなかった。
夢でも、幻でもなかった。
奈冬はもう応えてくれない。
数ある記憶の中で、そこだけが欠損していた。
ああ、そうだ。違う。少しだけ思い出した。
確か、なんとなく窓から外へと視線を移動させたのだ。
外では雪が降っていた。
しんしんと、灰色の空から落ちる白雪が。