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プロローグ

新連載になります。作者的にはシリーズものと思っています。よろしくお願いします。

 妻の姿を最初に目にしたのは、幼稚園の入園式に行く朝のことだった。


 それまで着たことのなかったような堅苦しい制服を着させられ、母さんに手を引かれて歩くのだが、いつもと違う雰囲気を幼いながらに感じ取っており、唇をへの字に曲げていた僕。


 そんな自分を映し鏡で表したかのように、母親に手を引かれ、まったく同じく唇をへの字に曲げながらムスッとしている妻。


 ばったりと出会い、すぐに心の中で思った。


 あの子もきっと僕と同じことを考えているのだろう、と。


 けれど、そんなことは心の内で思うだけで、言葉には発さない。


 僕にとってまだ彼女はまったく大事な人ではなかったわけだし、彼女にとってもそれは同じだったと思うから。


 だから、表情を変えず、互いにムスッとして見つめ合った。


 見つめ合っていると、僕の母さんと彼女の母さんは何が可笑しいのか、笑い始める。


 本当に意味が分からない。


 僕は首を傾げた。


 彼女も首を傾げていた。


 また同じ仕草をしていたわけだ。


 そこでようやく僕も面白くなり、クスッと笑ってしまう。


 彼女はもじもじとしながら、はにかんでいた。


 それが最初の記憶だ。



 妻の名前は奈冬なふゆといった。


 女の子らしくて可愛い奈の字を頭に付け、彼女の綺麗な黒髪を冷たさと儚さに掛け合わせた冬の字に込めている。


 ……というのはまあ、完全に僕の妄想であり、別に彼女の両親に聞いたとかそういうわけじゃない。


 本当の意味とかは知らないけれど、僕はそれを素直にいい名前だと思った。


「そんなことを言ったら、春樹もいい名前だよ?」


 彼女の名前を綺麗だと言うと、決まって奈冬はにこりと微笑み、そうやって返してきた。


「春にはすごく明るい意味を感じるし、合わさってる樹には春を彩るような雰囲気を出してくれる」


「ちょっとおだてすぎじゃない?」


「そんなことないよ。春樹はいい名前。あと、それにね」


「?」


「春樹の『樹』の字だけど、これを『帰』っていう字にできるのも私は好きなんだ」


「どういうこと?」


「春に帰る。春は帰る。どこに? 冬にって感じがするの。春樹が私のところにいつだって来てくれるような気がするから」


「ははっ。なんかすごいね、その考え方」


「うん。重いとか言われたらそれまでだけど、好きだもん」


 こんな風に必ず締める。


 僕はそのたびにどうやって返していいのか毎回悩むんだけど、夫として相応しい回答というか、妻が喜ぶ答えをいつも言えてないような気がしていた。


 恥ずかしいし、照れくさかったというのもある。


 逆にこんなことを聞いてしまったこともあった。


「どうしてそんなことが恥ずかしげもなく……その……『好き』って言えるの?」と。


 すると、奈冬はこう切り返してきた。


「逆にどうして言えないの?」と。


 少し意地悪そうな笑みを浮かべながら。


 僕はそれを受けて、またしどろもどろになる。


 妻には敵わない。本当に。本当に。



 奈冬と結婚したのは、お互いに大学を卒業した二年後、つまり二十四歳の時だった。


 幼稚園児の時からずっと一緒で、「好き」とか、「結婚しよ」とか、そういった言葉は奈冬が散々言ってくれていたけど、この時ばかりは僕の番だった。


 今でも一部のことを除き、はっきりと強く覚えている。


 背伸びをして夜景の見える高級レストランを予約して、そこで指輪を渡しながら告白しよう。


 そう考え、いざその瞬間が来たんだけど、告白のタイミングで僕は頭が真っ白になって、

緊張のあまり噛みまくってしまったんだ。昔からずっと一緒だったはずなのに。


 そんな僕の姿を見て、奈冬は小さく笑った。


 そして――


「場所、変えよ? 私たちはやっぱり慣れてるところがいいよ」


「え、で、でも……」


「いいから。……私も見せたいものあるし。ほら、行こ?」


 情けない話だ。


 奈冬に手を引かれるような形で、僕はレストランを出た。


 向かう先はわからない。


 僕たちは夜の街を手をつないで歩いた。


 電車に乗り、バスに乗り、また歩く。


 奈冬が前を行き、僕がそれについて行くみたいな形だった。



「やっぱり、私たちはここが落ち着くと思う」


「……ここって、空き地……?」


「そう。昔からここで遊んでるでしょ? 夜だから誰もいないし、涼しくて気持ちいいよ」


 それはそうだけど……。


「……こんな場所で……いいのかな……」


「あははっ。いいよ。いいに決まってる。慣れ親しんだところでプロポーズされる方が私は好き」


「っ……。僕が何しようとしてたのか、勘付いてたのか……」


「ふふっ。それはそうでしょ~。ずっとソワソワしてたし、いつもならあり得ないようなとこ予約してるし、春樹、すっごい緊張してる」


 全部お見通しのようだった。まあ、無理もないか……。サプライズにもなんないな……。


「その、ごめんな奈冬。もっとこういうのって上手くやれれば……」


「ううん。いいの。私はそういうのいらない」


「……でも……」


「ほんとだよ? 紛れもない本心。私がそういうサプライズとか好きなタイプじゃないって、春樹なら知ってるでしょ?」


「……まあ、なんとなくだけど……」


「うん。だからいいの。それよりもさ春樹、こっちに来て」


「え? またどっか行くのか?」


「どこか行くってわけじゃないよ。あそこの金網のところに腰掛けよ。見せたいものがあるってさっき言ったでしょ?」


 そういえば言っていた。


 僕は奈冬に導かれるまま、夜闇に染まる空き地の中を歩く。


 この草を踏みつける感覚が懐かしかった。


「よいしょ、っと。じゃあ春樹、私の見せたいもの見せるね~」


「う、うん」


 奈冬の声と同時に、パッと明かりが灯される。


 スマホのライトだ。


 それを使って浮かび上がるもの。それは――


「……のーと……か?」


「うん。こうすればもっと見えるかなー?」


 スマホがノートの表紙に近付けられ、見えなかった文字が浮かび上がる。


 そこにはこう書かれてあった。


「……これってまさか……」


「ふふふっ。そうそう。そのまさかだよ」


 約束のーと。


 それが書かれていた文字であり、奈冬が僕に見せたかったものだった。


「懐かしいよね。これ書いたの、確か小学生の時だよ」


「書き始めから計算したら一年生とかくらいになるんじゃないか? それにしても……懐かしいな……」


 思わず笑みをこぼしてしまった。


 約束のーととは、僕たちが大きくなった時に一緒にしたいことを書いたものだ。


 ボロボロだし、その見た目からはやはり経年の劣化が見て取れる。


「けど、なんで今これを?」


「昔さ、これに書かれてることが叶う時、一緒に二人で読み上げようって言ってたよね」


「……言ってたな……」


「……だから、さ……」


「――!」


 奈冬がいきなり僕の肩に寄りかかってきた。


 距離が縮まり、一気に心拍数が上がる。


 しかし、緊張していたのは奈冬も同じだったようで、ノートをめくる手が微かに震えていた。


そして、あるページで手は止められる。


「……春樹、これ……。一緒に読み上げたいなー……なんて」


 いつでもふたりはあいをちかいます

 たのしいときはたくさんわらって

 かなしいときははげまして

 だいすきっておもったらぎゅってして

 なふゆとはるきはけっこんします

 ずっとずっとだいすき


 ひらがなでぎこちなく書かれた全文。


 これを読むのはすごく恥ずかしい。


 けど、不思議とその恥ずかしさは、肩に触れる奈冬の体のおかげで緩和していった。


 僕たちは暗く、静かな中、小さな明かりの元で見つめ合う。


「ずっと一緒にいよう。奈冬」


「……うん」


 寄り添って、奈冬にキスをした。


 ずっとずっと一緒にいよう。


 これからも、歳を重ねても、ずっと。


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