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前編

子爵令嬢の名前の誤字のご指摘をありがとうございました、前編・後編とも修正しております。


5月12日の異世界恋愛日間ランキングで3位に入りました。

読んでくださっている皆様のお蔭です、ありがとうございます。

「私、婚約することにしたの」

「……えっ?」

「ふふ。そこは、まずおめでとうって言うところじゃないかしら?」

「あ、ああ、そうだな。すまなかった。

急な話で驚いたものだから、その……」


戸惑いを隠せないアーロンの横で微笑んでいるのは、アーロンの幼馴染みのヴァイオレットだった。その名の通り、鮮やかな青紫色の澄んだ瞳を持つヴァイオレットは、そのたおやかな美貌でも知られる伯爵令嬢だ。アーロンも伯爵家の跡継ぎであり、親同士が近しい仲だったことから、同い年の2人は幼い頃からよく一緒に遊んでいた。一時は、互いの両親の間で2人の婚約の話が出たこともあるほどである。


アーロンは、数回瞬きを繰り返してからヴァイオレットに尋ねた。


「……婚約って、誰と?」

「エリアス様よ。

アーロンとも王立学院で同じ学年でしょう?

エリアス様から先日、婚約を申し込まれたの。……少し悩んでいたのだけれど、お受けすることにしたのよ」


はっとしたように、アーロンがヴァイオレットを見る。


「エリアスと?

彼、いつの間に君に……」

「エリアス様とは、生徒会で一緒だから。お話する機会も自然と多くて、親しくさせていただいていたのよ」


成績優秀で、かつ艶やかな黒髪と碧眼を持つ、端正な容貌をしたエリアスは、学院でも女生徒からの人気は高かったものの、近付き難い雰囲気でも知られ、今まで女性の影はなかった。

それに対して、学院の女生徒人気を二分するアーロンは、流れるような金髪に緑がかった青色の瞳の美男子である。運動神経が抜群で、剣技や馬術では敵う者のないアーロンは、明るく親しみ易い雰囲気も手伝って、女生徒に親しげに話し掛けられることも多かった。


アーロンは、タイプの違うエリアスとの接点はほとんどなく、彼の名前と顔、そして学年トップの成績をヴァイオレットと争っていることくらいしか知らなかったから、ヴァイオレットの口からエリアスの名前を聞いたことに、驚きを隠せずにいた。


けれど、アーロンが驚いた理由はそれだけではなかった。……ヴァイオレットが、ずっと自分のことを想っていることを知っていたからである。

ヴァイオレットの気持ちを知りつつ、最近は彼女を避けていたことに多少の罪悪感を覚えていたところに、話があると彼女から呼び止められたのだ。何かと思えば、まったく想像だにしていない話だったことに、アーロンはまだ信じられないような気持ちでいた。


(ああ、でも。

ヴァイオレットの表情が、大分柔らかくなったな)


元来穏やかなヴァイオレットに似合わず、このところ棘々しく険のある表情をしていた彼女を、つい避けがちになっていたアーロンは、驚きに思考停止した頭の中で、ぼんやりとそんなことを考えていた。


ヴァイオレットは少し目を伏せた。


「ごめんなさいね、急に貴方のことを呼び止めちゃって。

それから、あなたに謝っておきたかったの」

「謝るって、何を?」

「ニーナ様のこと。

私、ニーナ様にきつく当たっちゃったから。貴方もそんな私を嫌がっていたでしょう?」

「……」


ニーナは、アーロンたちより一学年下の子爵家令嬢だ。一見癒し系に見えて、その実かなりのしっかり者で頭の切れるヴァイオレットに対して、ニーナはふわふわと頼りなげな印象そのままの、可愛らしい女生徒である。そんな彼女を熱い眼差しで見つめる男子生徒も多い。

たまたま、ニーナが転んで足を怪我したところに居合わせたアーロンが、彼女をおぶって保健室まで連れて行ってから、何かとニーナには懐かれているのだ。


ニーナが、休み時間を見計らって、しょっちゅうアーロンの元を訪れるようになってから、ヴァイオレットが不機嫌そうになる日が増えた。アーロンに近付くニーナを、厳しい口調で何か咎めている様子を見かけることもあった。


(……僕への嫉妬、かな)


それまでは、時間さえ合えば、学院の帰り道はアーロンの家の馬車でヴァイオレットを送っていたものだったけれど、ヴァイオレットのニーナに対する苛立った様子を見かねて、アーロンの足はヴァイオレットから遠のくようになり、彼女に対する態度も徐々に冷たくなっていた。ヴァイオレットが何かをアーロンに訴えようとする様子も何度か目にしていたけれど、アーロンはそんなヴァイオレットをやんわりと躱していた。はっきりとヴァイオレットから呼び止められ、彼女と話すのは久し振りのことだった。


その代わりに、ニーナと過ごす時間が増えているのは、アーロンも自覚してはいたのだけれど、可愛らしい後輩に慕われるのは満更でもなかったし、まさかヴァイオレットにそんな変化が起こっていようとは知る由もなかった。さらに、ニーナは男子生徒に人気があるせいか、ヴァイオレットだけでなく、周囲の女生徒からの嫌がらせも受けていると潤んだ瞳で訴えてきたこともあり、庇護欲をそそられたアーロンは何かとニーナに目をかけていたのだった。


「最近、普段優しい君らしくないなとは思ってたよ」


ヴァイオレットはアーロンの言葉に苦笑した。


「ただ。

私が謝りたいのは、ニーナ様に告げた言葉ではないの。もしそうだとしたら、貴方ではなくて彼女に直接謝罪すべきだと思うけれど、そのつもりはないわ。

……私が謝りたいのは、貴方の幼馴染みでありながら、ニーナ様のことを早く貴方に伝えていなかったことよ」

「ニーナのこと?」


特に思い当たることもなく、訝しげに首を傾げたアーロンに、ヴァイオレットは淡々と話した。


「ニーナ様、私の友人から婚約者を奪ったばかりだったの。それでいて、貴方に近付いた途端、私の友人の元婚約者はすぐに捨てたんですって。私の友人がどれだけ悲しんでいたかも知らないで……。

ニーナ様に苦言を呈したら、彼女は薄く笑いながら、それは私のせいじゃない、彼が勝手に私を好きになっただけだって言い放ったわ」

「まさか。あの子はそんな子じゃ……」


思わずそんな言葉が口から溢れたアーロンを、ヴァイオレットは真っ直ぐに見つめた。


「彼女が貴方に近付く様子も見ていられなかったのだけれど、私はもう、貴方には伝えたから。そんな彼女でもいいと思うなら、彼女の言葉の方を信じるのなら、私はもう何も言わないわ。後は貴方が判断して。

それから、もう一つ、……」


私の彼女に対する態度のせいで、貴方の気分を害してしまって、ごめんなさい。


最後に俯くと、そう小さく呟いたヴァイオレットの言葉までは、アーロンの耳には届かなかった。


***

アーロンが少し調べただけで、ニーナからはすぐに埃が出てきた。

他人の婚約者を奪ったのも、ヴァイオレットの友人の婚約者だけではなかったようで、ほかに何人も同様の被害者がいることがわかった。


けれど、ニーナに対する疑念がはっきりと確信に変わったのは、アーロンがニーナの口から出た言葉を直接耳にしたからだった。


休み時間に、ニーナの学年の階まで降りて来たアーロンは、ニーナに縋って後を追って来た男子生徒に、彼女が冷たく言い捨てるのを聞いた。いつもアーロンに話し掛ける甘えた声とは、似ても似つかない口調で。


「私、婚約破棄までして欲しいなんて頼んでないわよ。少し貴方と遊んだだけじゃない。

……そのくらいで、本気にしないでくれる?」

「ニーナ!ま、待ってくれ……」


煩しそうに男子生徒に背を向けたニーナは、アーロンを見付けると、会話の内容まで聞かれていたとは思わなかったようで、ぱっとその顔を輝かせた。


「アーロン様、来てくださってよかった。

彼、しつこくって……」


いつものように甘い口調で話し掛けて来たニーナを、アーロンは冷ややかに見つめた。


「聞いていたよ、ニーナ」


ニーナがようやく状況を理解したように、さっと青ざめた。


「誤解です、アーロン様。私は、何も。

彼が勝手に……」

「言い訳は無用だよ。

でも、淑女として、もう少し行動を慎んだ方がいいんじゃないのかな?

君のやっていることは褒められたものではないと思うよ。もう、僕の前には二度とその姿を見せないでくれ」

「そんなっ……!」


アーロンの後を追って来たニーナを、彼は冷たく追い払った。


その時アーロンの頭を占めていたのは、ニーナではなく、幼馴染みのヴァイオレットのことだった。

ヴァイオレットの友人が婚約者を奪われたことに激怒していたのは、正義感が強く、約束を尊ぶヴァイオレットらしいことだと、今では思えた。そんなヴァイオレットは、幼馴染みの自分にニーナが近付くのが許せなかったのだろう。

ニーナに対する彼女の態度がかなりきつく見えたのも、それが嫉妬だったなら、……いや、嫉妬であって欲しいと、今ではそう思っていた。

同時に、彼女がひとたび婚約を了承したのなら、それを自ら覆すことがないであろうことも理解していただけに、アーロンは焦りと深い後悔に襲われていた。


(まだ間に合うだろうか?

……いや、もう、手遅れかもしれないけれど)


幼い頃から当たり前のように側にあった、ヴァイオレットの笑顔、優しさ、思いやり。そして時折り見せていた自分への切なげな表情がもう見れなくなると思うと、やり切れないような気持ちだった。彼女からは、時々耳の痛い忠告を受けることもあったけれど、今から思えば、それは自分のことを思っての言葉だったと痛切に感じた。


ヴァイオレットが自分を好いてくれている気持ちに、今までいかに当たり前のように胡座をかいていたのかも自覚した。ヴァイオレットから婚約すると聞き、深い喪失感を覚えて初めて、アーロンは自分がヴァイオレットを失いたくないと必死に願っていることに気付いたのだった。

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