一章7話 約束
月光の下で佇む白髪の少女。
表情はどこかばつが悪そうで、呼んだことを後悔しているかのように右手を口元に当てている。
「見つかってよかったよ」
語りかけながら、レオンは少女のもとへと歩み寄る。
「……私は見つかりたくはありませんでしたが」
「どうして?」
問うと、少女は目を伏せた。
「私はレオン様の封印獣です。なので、レオン様のご迷惑になることは極力避けたいのです。レオン様、私のことはどうか忘れてください」
「そんなことできるわけない!」
「なぜですか? 私とレオン様は今日初めて出会いました。レオン様からすれば、私などはどうでもいい存在のはずです!」
「そんなこと……」
言いかけて、言葉を詰まらせる。
少女の言い分はもっともだ。初対面である少女のために、レオンが尽くす必要はない。関わらずに忘れてしまえばよかったのだ。
しかし、レオンにはそれができなかった。救われた命をこれ以上悪に染めることなど、絶対にあってはならないと思ったから。
レオンはふと、リッキーの言葉を思い出す。自分にとっての『守りたいもの』とは、目の前の少女なのではないか。
レオンはそう考えるが、答えを導くことはしない。
少女の境遇を知ってしまった以上、自身の腐った性根を理解してしまった以上、レオンの中に少女を助けないという選択肢は存在しないからだ。
レオンは無言で少女の手を掴むと、そのまま駆ける。少女はそれに一瞬驚き、次には腕を振り払おうと身を捩った。
そんな反応をされ、レオンは自身が少女にとってしまった態度を悔やむ。レオンは少女が封印剣に封印されていると理解し、その存在事態に畏怖を覚えた。
少女は計り知れないほどの痛みを心に感じたことだろう。抵抗されるのも当たり前である。
「ごめん」
レオンは少女の腕を放すと、頭を下げた。深々と、自身の罪を償えるように。
「なぜレオン様が謝るのですか? レオン様はなにも」
「それは違うよ。俺は君を傷つけた」
「傷つけられてなどいません。私がただレオン様にご迷惑をおかけしただけで……。とにかく傷ついてなど!」
「じゃあ、それはなに?」
レオンは顔を上げ、少女の瞳から流れ出ているものを指摘した。
「いや、これはその。なんでこんな」
「ごめん」
レオンは再び頭を下げる。
「そんなレオン様! 顔を上げてください! ……そこまで謝られては私の立場がありません」
「いや、許してもらえるまでやめるつもりはないから」
「わかりました。ではレオン様のことを許します。なので早くお顔を」
「もう一つ。俺に君を助けさせてほしい」
「助ける? ……それでレオン様がお顔を上げてくださるのであれば」
「ありがとう。じゃあ行くよ!」
「え?」
レオンは少女の腕を掴むと、今度こそ王都を駆けた。
目的地があるわけではない。囚われの身の少女を逃がしたい。そんな思いから走った。ただそれだけ。
路地を曲がり、大通りから逸れて階段を上る。すれ違う人々からは好奇の目を向けられるが、二人がそれに構うことはない。
逃げられるはずのない監獄からの逃亡を果たすべく、一心不乱に駆ける。
そして、王都全体が見下ろせる展望台へと行き着いた。
「だいぶ、変わってしまったんですね」
少女は家々から漏れ出ている光を眺め、ぽつりと呟いた。
「君は自分の身になにが起こったのか覚えているの?」
問うと、少女は視線を家々からレオンに移す。
「起こったのであろう事柄は理解しております。ですが、記憶としてはなにも」
「じゃあ、どのくらいの期間封印剣に閉じ込められていたのかはわかる?」
「正確にはわかりませんが、長い月日が経ったというわけではないと思います。一応見知った建物もありましたので」
「そっか。じゃあ、記憶を取り戻すことから始めようか」
「なにをですか?」
目を丸くして尋ねてくる少女に、レオンは微笑みを向ける。
「約束したじゃん。俺は君を助けたい。だから、君の記憶を取り戻そう」
レオンが言い切ると、少女は俯いた。
「約束はいたしましたが、実際にレオン様に助けていただくなど恐れ多いです。私はレオン様のお側にいることさえできれば十分です。それ以上など望みません」
少女は首を大きく横に振りながら答えた。
そんな少女の姿を見て、レオンは胸のあたりに痛みを感じる。あくまで迷惑を掛けようとしない姿勢。元来の性格なのか、はたまた召喚獣となったことにより生まれた性なのか、レオンにはわからない。
わからないが、少女が抱えている痛みは先程涙となって現れた。少女が現状に傷ついていることは明白。
故に、レオンは小芝居を打つ。
「いや、なにも全てが君のためってわけじゃないよ? 俺は君を傷つけた。その償いとして俺は君を助ける。最低だから言いたくないけど、これはただの自己満足の行為。俺が許されたいがために行うもの。だから、君のためっていうよりも、どちらかというと俺のため。俺が許されるために、君を助けたいんだ」
努めて傲慢に振舞ったものの、少女はジト目を向けてくる。
「失礼ながらそのような演技には騙されません。レオン様の人柄はすでに理解したつもりです。差し詰め、私のためにそのような嘘をおつきになっていらっしゃるのですよね?」
「いや、今のは本心。俺はもともとこういう人間だよ」
「強情ですね」
「そっちこそ」
短い沈黙が訪れると、次には二つの笑い声がこだました。
「わかりました。レオン様の願いを聞きいれます。ですが、私がそれを望んでいないということも、レオン様は認識しておいていただけると幸いです」
「互いに相手の言い分を飲むってことだね?」
「そうなります。お互いに強情故、このままでは平行線でしょうし」
「わかった。じゃあ改めてよろしく、えっと……」
レオンは握手をしようと少女に手を差し出すが、そこで少女の名前を未だ聞いていなかったことを思い出す。
「今更感が否めないけど、名前って覚えてる?」
名前すらも覚えていないという可能性を考慮し、控えめに問うと、少女はぎこちなく笑った。
「気になりますか? 黙っていようかと思っていたのですが」
「覚えてるんだ。でも、言いたくないなら別にいいよ」
「いえ、不都合はございません。お教え致します。私の名前はアリスホワイトです」
瞬間、夜風が吹いた。少女、アリスの白髪が靡き、レオンの視界は純白に包まれる。
そんな景色と同様に、レオンの脳内も白く染まった。
けれども、それは一瞬のことであり、レオンが再び少女を恐れることはない。
頷いてから天を仰ぎ、数奇な運命を呪った。