一章6話 不甲斐ない
辺りを見回すが、透き通るような白髪はどこにも見受けられない。
逃げられたのだろうか。レオンはそう考えるが、やはり意図がわからない。
今回は衣服を買っているので、実害があることにはある。
ただ、それは単なるレオンの厚意。少女が意図したことではない。
それでは、少女は一体どこへ行ったのだろうか。
疑問が生じたまさにその瞬間、右手に握る封印剣から怪しい光が放たれていることに気がついた。
「いや、そんなことって」
浮かび上がる可能性を理解すると、額に汗が滲む。
けれども、常識的に考えれば、レオンが危惧している可能性とはおとぎ話の類だ。人間が召喚獣として剣に封印される。そんなことはありえない、あってはならない話だ。
深く息を吐くことによって思考に区切りをつけると、レオンは右手の剣を握り直す。そして、それを勢いよく横薙ぎに振るった。
「……信じていただけましたでしょうか?」
動作に合わせて封印剣から放たれた藤色の光。それは地面と衝突する直前に姿を変えた、藤色のドレスに身を包む少女に。
予想はしていたものの、いざ現実となると驚嘆を禁じえない。レオンはわなわなと唇を震わせながら、尻餅をついた。
「大丈夫ですかレオン様?」
少女はそんなレオンに慌てた様子で手を伸ばす。
だが、レオンはそれをすぐに掴むことができない。伸ばされた白い手から逃れようと後ずさる。
底知れない恐怖。そんなものをレオンは少女に対して抱いていた。
「……やはり、そうなりますよね」
レオンを見下ろす少女は悲しげに呟くと、落下していた封印剣を拾い上げる。
「短い間ではありましたが、お世話になりました。私との契約は解消していただいて構いません」
そして、深々と頭を下げてきた。
止めなくてはならない。反射的に脳内に言葉は浮かぶが、上手く歯が噛み合わない。
そのために引き止めることはできず、少女は踵を返して王都の中心部へと向かっていってしまった。
「ま……って!」
少女の姿が完全に見えなくなってから発せられた制止の声。それはただ無情に空へと響いた。
七話
夢を見ていた。自宅のベッドに寝転がるレオンは、今までのことを振り返り、そう考えることにした。
起きた現象は夢といっても過言ではないほど現実味を欠いていたので、案外すんなりと受け入れることができた。
ただ、受け入れることは簡単でも、レオンの脳裏には未だ悲しげな少女の顔が浮かんでいる。
いくら納得しようと、記憶を屁理屈で書き換えることは不可能であった。
「どうすりゃいいんだよ」
家内にいるのはレオンただ一人。当然、返事など返ってくるはずはない。
そんなこと、レオン自身も重々承知していたのだが、感じる孤独は思いのほか胸を蝕む。
その痛みに耐えかね、レオンはリッキー家へ赴こうと立ち上がるが、足は玄関戸の前で止まった。
親離れの覚悟を決めたのだから、いつまでも頼ってはいられない。そう考え、再びレオンはベッドへと戻った。
「逃げるな。自分で解決しろ」
そして自身を鼓舞すると、目を背けたい現実と向き合う。
封印剣に人間が封印獣として封印されている。改めて考えても驚きを隠せない。当然ながら前例などはなく、どうしてそのようなことが可能なのかもわからない。
レオンの知る限り、封印剣とは大昔に英龍から絶滅の危機に瀕した人類に与えられた救いの武器である。故に、実態は人知を超えており、謎が多い。
しかし、その封印剣によって人類は救われ、絶滅を免れたということだけは事実。実態がどうであれ、社会通念において封印剣は、人類に与えられた救いの武器である。
「でも……」
そんな救いの武器に、囚われている少女が一人。
封印剣に魔獣を封印するには、その封印剣によって魔獣を屠る必要がある。よって、例に乗っとれば少女もあの漆黒の封印剣によって……。
その先を考えるだけでも悍ましい。そんなことが行えるなど、普通の人間の考えではないとさえ言える。
故に、関わらない方が得策だろう。事態は単純なものではなく、世界の歴史をも覆す可能性を秘めているのだから。
内心に葛藤が生まれ、逃避したい気持ちにかられる。そんな心境が似ていたからだろうか、レオンは自身の幼少時代を思い返した。
戦争で両親を失い、この世で天涯孤独の身となった幼少期。金を稼ぐ術もなければ、頼れる人もいない。摂理としては、恐らくのたれ死んでいたことだろう。
しかし、救いの手は差し伸べられた。縁もゆかりもない王国剣士団剣士長リッキーデルニカによって、身寄りの無かったレオンは引き取られた。文字通り、一切の関わりもなかったというのに。
レオンはそんな幼少期にリッキーに救われたという事実を思い返し、再び現実に目を向ける。
推測ではあるが、幼少期のレオンと同様に、少女にも頼ることができる人間はいないのだろう。
それこそ、レオン以外には。
自分自身も天涯孤独の身から救われたという境遇にありながら、レオンは現在少女を追いかけることもせずベッドの上で横になっている。
レオンは自身の腐った性根を事実として理解し、猛烈な吐き気を覚えた。
所詮は自分だけが可愛いく、赤の他人のことなどどうでもいい。
そんな考えこそ持ってはいないが、とっている行動とはまさにそれの体現だ。
人間の屑、最底辺の最底辺と言う他ない。であればこのまま悪行を続け、地獄に落ちる日を待てば良いのか……。
否、それは違う。レオンは首を横に振った。
いくら性根が腐っていることを認めようと、このまま悪行を続けては単なる開き直り。善人であるリッキーに救われた命を、これ以上くだらない悪に染めてはならない。
故に、成すべきは善行。
レオンはそう考え、一度頷いた。
それから体を起こすと、玄関の戸を開ける。
とうに太陽は沈んでおり、踏み出した一歩は一瞬にして闇へと飲まれた。
けれども、レオンは立ち止まらない。続け様に二歩目を踏み出し、そのまま王都へと駆けた。
少女の居場所など検討もつかない。王都にいない可能性だって往々にしてある。巡り会えるはずはない。
頭ではよく理解していた。理解していたが、レオンが足を止めることはない。定まっていない行き先など感じさせず、一心不乱に走る。
そうしていると、
「……レオン様?」
微かではあるがハッキリと自身のの名を呼ぶ声が聞こえ、レオンは足を止めた。
そして、音源の方へと視線を向ける。
そこには、月光の下で佇む白髪の少女がいた。