一章5話 少女の正体
「レオン! 一体これはどういうこと? 説明しなさい!」
ローザの声音には明確な動揺が含まれており、瞳に映る怪異に整った眉を寄せている。
「えっと……これは」
そんな恩師の態度も助長し、レオンは慌てて言い訳を探す。
だが、レオン自身も理解していない事象に対する言い訳など、転がっているはずもなく、時間ばかりが経過していく。
その沈黙の間、異常に気がついた同級生らの視線は、総じて少女とレオンに集まった。
「これは、えっと。だから!」
集まるいくつもの視線により額からはだらだらと汗が流れ、胸には空気が詰まったかのような圧迫感が生じる。
そんな苦しさを消そうと胸元に手を当てるが、効果は表れない。
「大丈夫ですか? 主人様?」
少女は不安げな表情を浮かべながらレオンの左手を握る。それからもう一方の手も重ね、レオンの左手を両手で包み込んだ。
レオンはその左手を包み込む温もりに意識が向き、平常心を取り戻す。そして少女と向けられている視線とを交互に見やり、少女の手を握って駆け出した。
「主人様?」
「いいから走って!」
少女の驚いたような声に振り返って返事をすると、レオンはそのまま校門を目指して走る。
「戻って来なさいレオン!」
後方から聞こえるローザの声。その言葉の中に怒りが混ざっているということをレオンは悟る。
故に振り返るはずもなく、レオンは少女の手を引いたまま王都の市場を駆け抜けた。
「こっち!」
そして、反射的に眼前にあったドレス店へと駆け込む。
「いらっしゃいま……」
「試着室借ります!」
店員に告げると、レオンは少女を試着室へと押しやり、勢いよく敷居のカーテンを閉めた。
「ふぅー」
膝をついて息を吐くと、レオンは姿の見えない少女へと目線を上げる。
「一体君は何者なの?」
「私は主人様の召喚獣です」
カーテン越しに響く少女の澄んだ声音。レオンはそれに嘆息で返す。
「冗談はやめてよ。人間が召喚獣だなんてことはありえない。どうせ昨日の男と結託して、俺のことを騙そうとしているんだろ?」
見えない少女に声を荒げてから、レオンは自身が発した言葉に疑問を抱く。何かに巻き込まれているということは明白。恐らくその考えに間違いはない。だからこそ、レオンは怒鳴った。
けれども、そう仮定するのであれば、意図が不明なのだ。レオンは金銭を騙し取られたわけでもなければ、犯罪に加担させられているわけでもない。言わば現在起きている事象は、詠唱を唱えたら少女が現れたということだけ。
よもや、本当に少女は封印剣から召喚された召喚獣であるとでもいうのだろうか。
「……まさか、そんなはずあるわけなないよな」
自身の安易な結論を否定すると、レオンは立ち上がる。そして、並べられているドレスの内の一つを手に取った。
「そちらをご試着なされますか?」
「えーと、じゃあそうします」
営業スマイルで近寄ってきた店員に頷くと、レオンは藤色のドレスをカーテンの隙間から試着室へいれる。
「サイズとかよくわからないけど、とりあえず着てみて」
「かしこまりました」
伸びてきた白い腕が視界に入り、恥じらいからレオンは視線を後方へと移した。
「主人様はピュアなお方なのですね」
「うるさいよ! いいから早く着て!」
「わかりました。少々お待ちください」
少女の返事を聞き、レオンは赤く染まった頰を手で覆い隠す。それから、先ほどのように膝を地面についた。
「それで白状してくれないかな? 君は一体何者なの? 俺に何をさせたい?」
「先程から申し上げている通り、私は主人様の召喚獣です」
「それじゃあ平行線だって」
「では私から主人様に質問をさせていただいても構いませんか?」
「え? ……まあ別にいいけど」
「ありがとうございます。では主人様のお名前を教えてください」
「名前はレオンブラックだよ」
「わかりました。ではレオン様とお呼びいたしますね」
「いや様なんかつけなくていいから」
レオンは声に合わせて右手をパタパタと横に振る。
「そういうわけにはいきません。何度も申しております通り、私は主人様の召喚獣です。主人を呼び捨てになどできません」
「だーかーらー、召喚獣じゃないでしょ? いい加減しつこいよ?」
半ば挑発的にレオンが言うと、少女からの応答は途絶える。
流石に口が滑ったかと思い、レオンが舌の上で謝罪の言葉を転がした瞬間。一気にカーテンが開かれ、藤色の花に包まれた少女が瞳に映った。
「着替え終わりました。ドレスなど本当に久しぶりです」
レース素材のフィッシュテールスカートをチョンと摘みながら、少女は微笑む。
濃い紫と藤色の二色で成されたドレスには花柄のレースで装飾がなされており、少女の透き通るような白髪と紫紺の瞳によく合っている。
レオンはどこか神秘的な美しさを前に、再びその頰を赤く染めた。
「どうされましたレオン様? お顔が赤いですよ?」
「なんでもないよ! それで、サイズは大丈夫?」
「ええ、問題ありません」
「わかった。じゃあついでにヒールも選んで」
「よろしいのですか? 私は素足でも問題ありませんが」
「いいって別に。けど、代わりに目的を教えて」
「目的……ですか?」
「うん。少なからず何か理由があるんでしょ? 俺には見当もつかないけど」
レオンが言い終えると、少女は考え込むかのように左手を唇にあてる。
「困りました。ですが、こちらをお願いします」
少女は並べられているヒールの中から、藤色のあまりかかとの高くないものを手に取ると、頭を下げながらレオンに手渡した。
「わかったこれね。でも、ちゃんと約束は守ってよ?」
レオンは言うと、店員に代金を支払う。その結果、封印剣を買わなかったが為に浮いた金貨二枚は、手元から無くなってしまった。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
店員から形式的な挨拶を受け、レオンは少女とともに店を後にした。
店外は昼時ということもあり賑わいを見せている。降り注ぐ陽の下、行き交う人々からは絶えず熱気が発せられている。
「この人混みなら先生が探していたとしても見つかる可能性は低いかな」
呟くと、レオンは少女の手を引く。
「とりあえず付いて着て」
「かしこまりました。ですがレオン様?」
呼ばれて目を向けると、少女の視線は繋がれた手に注がれている。
「ピュアなお方だと思っておりましたが、大胆なところもあるのですね」
「うるさいよ!」
照れを隠すために声を荒げると、レオンはそのまま歩き始めた。
「何も考えずにドレス店に入っちゃったけど、ヒールは歩き難くない?」
レオンは隣を歩く少女を気遣う。が、少女はフルフルと首を横に振った。
「いいえ、問題ありません。久しぶりではありますが、洋装には慣れておりますので」
「本当? なら良かったけど。でも、そんなの着てたら暑いでしょ?」
少女が着るドレスはデザイン上、肩の辺りの素肌が晒されており、スカート部分はフィッシュテールデザインになっているため、素足がそのまま外気に触れている。
その為、比較的ドレスの中では涼しげなものである。
しかし、そうは言ってもドレスであることに変わりはなく、生地は厚手である。故に、レオンは少女を気遣った言葉を発した。
対し、少女は悪戯に笑んでみせる。
「そんなにお気遣いいただかなくても大丈夫ですよレオン様。暑くなったら脱げばいいだけですので」
「いやいや脱いじゃダメだから! なんのために服買ったと思ってんの!」
レオンが慌てると、少女は悪戯っぽく舌を出した。
「冗談ですよレオン様。それに、暑さで活動に支障をきたすようなら、私は封印剣の中に戻ればいいだけですので」
「またそんなこと言って! ちゃんと約束は守ってもらうからね?」
「ええ、構いませんよ。ちょうど人も捌けてきたようなので」
言うと、少女は立ち止まる。
「わかった。じゃあ約束通り説明してもらおうか」
レオンは行為の意図を理解し、ゆっくりと歩を進めて少女の正面に立つ。そして、紫紺の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「力強い視線ですね」
「茶化さないでよ」
「すみません、レオン様の反応が可愛らしくてつい」
「ほらまた!」
「わかりました。では、説明する……というより、証明して差し上げましょう」
「証明? どういうこと?」
レオンは小首を傾げる。なぜなら、約束の内容はレオンが巻き込まれている事柄についての説明であったからだ。証明などではない。
「レオン様、封印剣を出していただけますか?」
無言で頷くと、レオンは漆黒の刀身を陽に翳す。
「それで? どうすればいいの?」
「いえ、そのままで結構です」
そう少女が返事をした瞬間、手に持つ封印剣から藤色の光が放たれた。
レオンは驚き、思わず封印剣を腕から滑り落とす。当然封印剣は地面へと落下し、金属音を奏でた。
数秒の沈黙を有してから、レオンは地面に落ちた封印剣を拾い上げる。
「結局なに? またからかったの?」
起きた事象には驚いたものの、なにを証明したかったのかレオンは理解できない。
故にまたからかわれたと判断し、瞑目しながら問い詰める。
しかし、一向に返事はない。なにかがおかしい。そう思い、レオンはゆっくりとまぶたを開く。
すると、先程まで眼前にいた少女の姿は、忽然と消えていた。