一章30話 旅立ち
目覚めて見上げた天井。豪奢な装飾がなされた電灯を見て、レオンは自身が王城内にいることを悟る。
キリキリと腹部が痛み、触れてみると、包帯が巻かれていた。
「どうやらお互い、処置は済んでいるようだな」
不意の声に驚くと、腹部が再びキリキリと痛む。
「いてて」
痛みに顔をしかめながら視線をやると、隣には同じようにベットの上に寝転がっているガイアの姿があった。
「我々が同室に寝かされているということは、差し詰めこの部屋は簡易の医務室なのだろうな」
そう言って話しかけてくるガイアにレオンは答えず、視線を再び天井に戻す。
ガイアはそれに対し、悟ったように息を吐いた。
沈黙が生まれる。
聞こえるのは二人の息遣いのみ。
破るように、レオンは口を開く。
「あなたはやはり、無力などではなかったじゃないですか」
「……諦めてはいけない。あそこまで言われてしまっては、動かざるを得なかった」
ガイアはレオンと同じように視線を天井へとやりながら答えた。
「アリスには謝れたんですか?」
「いいや、彼女は私のことを覚えてはいなかったよ」
「それでも! 伝えることくらいは……」
「私はこれこそが償いだと思うのだが、君はそうは思わないのか?」
「でも、それじゃああなたがあまりにも……。立ち上がったのに!」
「優しいんだな」
言葉に、レオンはハッとしたようにガイアを見やる。
すると、ガイアは微笑みを湛えていた。
「私は、今のアリスホワイトの中には存在しない人間。単なる国王でしかない。であれば、今まで通りそれを貫くだけのこと。幸い、今のアリスには君がいる。……アリスのことを、頼んでもいいだろうか?」
その問いかけに、レオンは視線を天井へと戻す。
「……頼まれずともそのつもりです。けど、俺はアリスに記憶を取り戻すと誓いました。なので」
言いかけると、ノックが響いた。
見やれば、開いたドアから白髪の少女が顔を出す。
「レオン様! お目覚めになられたのですね!」
アリスは開花したばかりの花のような明るい笑顔を見せると、飛びかからん勢いで抱きついてくる。
衝撃により腹部がキリキリと痛み、レオンは破顔しかけるが、なんとか堪えた。
「意識を失われた時は本当に心配しました。もうお体は大丈夫ですか?」
「うん、なんとかね。ごめん、心配かけて」
「いえ。それに、そちらの方もご無事でなによりです」
言って、アリスは隣で寝たふりを決め込んだガイアに視線を送った。
「あなたが隷従の首輪から私を解き放ってくださったと聞きました。本当にありがとうございました」
アリスは寝たふりをしたまま微動だにしないガイアに向けて頭を下げた。
「アリス、隷従の首輪って?」
唐突な単語にレオンは首を傾げる。対し、アリスは軽く頷いた。
「どうやら私は隷従の首輪によってリッキーの命令を無理やりに聞かされていたようなのです。レオン様、私がレオン様に危害を加えるようなことはございませんでしたか? もしそんなことがあったら私……」
俯くアリスの白髪をレオンは宥めるように撫でる。
「そんなことはなかったよ。それに、アリスは俺のもとに戻ってきてくれたじゃん」
微笑みかけると、アリスは俯いた顔を上げる。そして、屈託のない無邪気な笑顔を浮かべた。
「はい! 愛しておりますよレオン様!」
「ありがとう。俺もその、あい……してるよ!」
言ったはものの、気恥ずかしくなりレオンはアリスから視線をそらす。隣にガイアがいるということもあり、頰は一気に朱に染まった。
「レオン様は本当に可愛らしいお方ですね。もっとお側にいたいところですが、お身体を労って本日はこのところで」
一礼してからアリスはドアの方へと向かっていく。
レオンはチラと隣に視線を送るも、ガイアは寝たふりを決め込んだまま微動だにしない。
「アリス!」
呼びかけると、アリスは不思議そうに振り返った。
「どうかなさいましたかレオン様? 私ももっと一緒にいたいのですが、お身体のことを考えると……」
「君の過去がわかったとしたらどうする?」
問うと、時が止まったのではないかと錯覚してしまうほどに、ピタリとアリスは静止した。
「あの、それは、レオン様は私が失った記憶の全貌をお知りになったということですか?」
頷いて答えると、アリスは困ったように視線を足下へと下げた。
「先にも申し上げました通り、私は私の過去を知りたいとはあまり思っていません」
「でも! アリスは君をこんな風にした人を恨んでないの? 相手にも理由があったのかもしれない。恨む必要はないかもしれないんだよ!」
言うと、アリスは困ったように笑い、チラとガイアを見やった。
「お言葉ですがレオン様、私は私を封印獣にした人物のことはもう許しています」
「え、どうして?」
「不幸というべきか、幸いというべきか、私には私が封印獣になるに至った記憶がありません。であれば、私を封印獣にした方にも、私のことを忘れていただいた方がよいではありませんか。無意味な罪悪感を抱かれなくとも、私は今十分に幸せです」
そう言って、アリスが屈託無く笑いかけるのは寝たふりを続けているガイア。
「良き国王になられましたね。いつまでも私に負い目を感じる必要はありません。約束を果たしてくださったのですから」
アリスはその言葉を残すと、踵を返して部屋を後にした。
レオンはそれを追いかけるように立ち上がり、振り返ってガイアを見やる。
すると、寝たふりなどでは隠せないくらいに、その瞳からは大粒の涙が溢れていた。
扉を開けて廊下に出ると、来るのがわかっていたかのようにアリスが頭を下げている。
「申し訳ありませんでしたレオン様。騙すような形になってしまって」
「いや、そんなことはいいよ。でも、記憶はいつから?」
問うと、アリスは渋い顔をする。
「明確にはわかりません。隷従の首輪から解放され、自我を取り戻した時にはすでに、私が封印獣になる以前の記憶は戻っていました。ですから、恐らくは隷従の首輪により自我がない時に、なんらかが作用して記憶が戻ったのだと思われます」
アリスの言葉を聞きながら、ふとレオンはリッキーの発言を思い出した。何気なく尋ねた記憶を思い出す方法、その回答として、リッキーは記憶を失うに至った原因との対峙が有効だと言っていた。だからつまり、アリスが記憶を思い出した大きな要因には、ガイアとの再会があるのかもしれない。
敵対者でありながら、助言は本物だったのだなと、レオンは少し複雑な思いを抱く。
「……正直、取り戻した記憶には驚かされました。そのため、あの方には記憶がないフリをしてしまいました。なにを話せばいいのか、わからなくなってしまって」
アリスはそこで言葉を区切ると、視線を足下へと移す。そのため沈黙が訪れるが、レオンは黙ってアリスの言葉をまった。
「すみません、黙ってしまって」
「いいよそんなこと。でも、アリスの中で答えは決まっているってことだよね?」
尋ねたものの、レオンはアリスの答えがどのようなものなのかわかっていた。
先程アリスがガイアに告げた言葉、それが全てを物語っている。
けれども、本人に真意を尋ねないわけにはいかない。
「はい、答えは決まっております。起きてしまったことをなかったことにすることはできません。しかし、私が記憶を失っていた時のように、起きてしまったことを忘れることならばできます。なので、私は私の過去はもう忘れます。お互いに、起きた出来事を引きずったところで、意味はないと思いますから」
アリスはハッキリと答えた。
そのアリスの答えにレオンは頷き、大粒の涙を流していたガイアを思い返す。
「アリスの考えは正しいと思う。少なくとも、ガイアさんはさっきのアリスの言葉で救われたはずだよ」
「そう、でしょうか?」
「きっとそうだよ」
不安げに尋ねてくるアリスの頭を撫でながらレオンは答える。
すると、安心したようにアリスは柔らかな笑みを浮かべた。
「レオン様は本当にお優しいお方ですね」
「いやいや、アリスの方がよっぽど優しいよ。俺だったら許せないと思う」
「いえ、私も許したわけではありません。ですが、おかげで私はレオン様と出会うことができました。許さずとも、恨むのは少し違うのかなと思いまして」
真っ直ぐに告げてくるアリスに、レオンはほのかに頰を赤らめる。
「……そっか」
「もしかしてレオン様、照れていらっしゃるのですか? 本当に愛らしいお方です!」
「うるさいよ!」
レオンは赤く染まった頰を手で覆い隠すと、アリスから距離をとる。
が、生まれた距離をアリスはすぐに詰め、逃げるレオンを抱きしめることによって捕まえた。
「そういうところも可愛らしくて好きです! 大好きですレオン様!」
「わかったからアリス。お願いだから離して!」
「いいえダメです! レオン様が私のことを愛していると言ってくださったら離してあげます!」
そう言ってアリスはクスクスと笑いながら抱きしめる力を強めた。
レオンは抱きしめられたことにより頰だけではなく耳までもが赤く染まり、みるみる体温は上昇していく。
愛していると告げれば解放してもらえるのだから、実行すればいいたげの話ではある。しかし、どうもそれらの言葉の類を口に出すのは気恥ずかしく、レオンは頑として口に出す気はない。
代わりに、話をすり替えることによって脱出の道を切り開いた。
「ところで! アリスはこれからのことをどう考えてる?」
「むぅ、話をすり替えるんですか? まあいいでしょう。今回のところは。その可愛らしいお耳も見れたことですし」
アリスはレオンを離すと、真剣な面持ちを浮かべる。そして、主君に使える従者のように、右手を胸に当てた。
「私はレオン様の封印獣。どこへだって付き従います」
アリスはレオンの瞳を真っ直ぐに射抜いて告げた。
レオンはそれに思わず息を呑むも、口を開く。
「ありがとうアリス。実はちょっと考えがあるんだ。……本当についてきてくれる?」
「ええ、レオン様が向かわれる場所ならどこへだってついていきます。私はレオン様の、レオンブラックの召喚獣、アリスホワイトなのですから」
そう言って微笑むアリスに、レオンは同じような笑みを浮かべながら頷いた。
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薄ら寒い空気が漂う監獄。レオンは看守に案内されるまま、監獄内の最奥に位置する牢屋へと行き着いた。
牢屋の中を覗けば、粗末なベッドの横で体育座りをする男のシルエットが浮かぶ。
「何をしにきた? 俺の処刑内容でも伝えにきたのか? ……できれば斬首刑がいい。絞首刑は苦しいと聞くからな」
呟くその男に、レオンは言葉を返さない。すると、男はつまらなそうに鼻で笑った。
「裏切り者の顔を拝んで楽しいかよ?」
「いいえ。胸糞悪いだけです」
レオンがそう言葉を返すと、その男、リッキーはまたもやつまらなそうに鼻で笑った。
「テメエが早々に異能力を使えるようになってりゃ、俺は今頃この国の王だったってのによお」
その言葉からは、レオンが恨めしいという感情よりも、嘆く感情の方が強く伝わってきた。
レオンは嘆息し、リッキーを見下ろす。リッキーは送られてくるレオンの視線に、居心地が悪そうに身を捩った。
「あなたはローザ先生を殺した。そして、私欲のためにこの国を乗っ取ろうとした。あなたは紛うことなき罪人です。あなたの刑がどんなものであるのか、俺は知りませんが、それ相応の償いが求められることでしょう」
レオンはそこで言葉を区切り、リッキーに背を向ける。
そして、
「ですが、育ててもらったことに関しては、感謝しています」
去り際に、レオンはそう一言だけ告げた。
監獄から出た屋外の空には、地面を煌々と照らす太陽が昇っている。レオンはそれを見上げ、やがて目を逸らした。
リッキーデルニカは罪人。その事実が覆ることはありえない。そして、レオンがリッキーデルニカという男に育てられたということもまた事実。
それ故、全てを清算するには、育ててもらったことへの感謝だけは述べなくてはならない。レオンはそう考えたがために、リッキーのもとへと訪れた。
だが、感謝を述べたのちに残った感情は存在しない。リッキーのことを許せるようになったわけでもなければ、抱く憎悪が軽くなったわけでもない。義理を果たした、ただそれだけのことであった。
レオンはその足で王城を目指す。
そして、玉座の間へと赴いた。
両開きの戸を開けると、玉座にはガイアが鎮座している。
「リッキーには会ってきたのか?」
その問いにレオンは頷いて答える。
「ということは、もう行くのか?」
玉座に腰掛けながら尋ねてくるガイアに、レオンは「はい」と再び頷いた。
「傷ももう完治しましたし、これ以上この王城にいさせてもらうわけにはいきませんから」
「そうか。だが、なにもこの王国からも出る必要はないんじゃないか?」
「いえ、そういうわけには。この王国でブラック家とホワイト家はよく知られています。俺は問題ありませんが、アリスが人目について素性がバレるのはまずいでしょう。封印剣で人間を封印獣にすることができるなんて、公にはできませんから」
レオンが答えると、ガイアは俯きがちに呟く。
「仕方がない、というわけか」
「はい。それに、この王国にはあなたがいる。俺とアリスの力は必要ないでしょう?」
「……救いの力を行使する旅、か。先代の想いを継ぐというわけなんだな?」
レオンは問いにゆっくりと頷くと、一礼をしてから踵を返す。そうしてガイアに背を向け、王城を後にした。
「ガイアさんに別れの挨拶はよかったの?」
王都の市場の裏通り。人気のないその場所で佇むアリスに尋ねると、「ええ」という返事が返ってくる。
「そっか。なら、行こうか?」
「はい。ですがその前に聞かせてください。レオン様は本当によろしいのですか?」
悲壮な面持ちでそう尋ねてきたアリスに、レオンは首を傾げる。
「よろしいもなにも、この旅は俺から言い出したことだよ?」
「ですが……」
アリスはなにか言いたげに俯いた。
レオンが決めた旅。それは、助けを必要としている人々のために異能力を行使するというもの。本来、異能力とは人類を救うために英龍からもたらされた力である。
故に、レオンが決めた旅は、異能力の用途としては正しい。そのためアリスが言いたいこととは恐らく、レオンがアリスのためにこの旅を決め、王国から出立する決意をしたのではないかということ。
やはりアリスは優しいなと思い、レオンはつい頰を緩ませる。
「勘違いしてるよアリス。俺は純粋にこの力は人々のためにあるべきだと思うんだ。だからこの旅を決めた。……まあ、一人だったらこんなことはしなかったかもしれないけど」
「じゃあ!」
「だって、アリスがいなかったら寂しいから」
微笑を湛えながら言うと、アリスのきめ細やかな頰が一気に朱に染まる。
「もしかして照れた?」
悪戯っぽく尋ねると、アリスは顔を下に向ける。
そのため表情が確認できずにいると、弾かれたように顔が上がり、仄かに赤く染まった頰と微笑みが映る。
「バカ!」
鈴の音のような声音で放たれた言葉は、レオンの耳に心地よく響いた。
これにて完結となります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。




