一章28話 再びの契約
朦朧とする視界、レオンは見上げたそこに一角獣をとらえ歯噛みする。
ライはけたたましく吠えると、すらりと伸びた白い足を鞭のようにしならせながら振り下ろしてくる。
「ウッ!」
蹄が出血を続ける脇腹をとらえ、盛大にレオンは吐血した。
喉に吐瀉物が残り咳き込むと、弄ぶように前足で蹴り飛ばされる。
グルグルと視界が旋転し、上下左右もわからずレオンはただ嘔吐した。
かつて、人間を絶滅の危機へまで追い込んだ魔獣。やはり、剣一つとったところで、人間に太刀打ちできる相手ではない。痛感するが、レオンはうつぶせの状態から立ち上がろうと両腕に力を込める。
今レオンがやられてしまえば、ライは恐らくガイアのもとへと向かう。身体能力に優れたレオンでさえ、魔獣の足元にも及ばないのだ。もしライがガイアのもとへ向かおうものなら、アリスを救うことは叶わなくなる。
邪魔をされるわけにはいかない。
募る想いから腕に渾身の力を込め、レオンは上体を浮き上がらせる。しかし、残酷にもライの前足が振り下ろされ、再び地面に押し付けられた。
抵抗も虚しく、肺が圧迫され呼吸ができない。
指を地面に突き立て抗うように力を込めるが、魔獣との力の差の前では無意味に等しく。
「クソッ! 俺がここぉでぇ、死ぬわけにはッ!」
絞り出すように声を上げる。
正直な話、アリスを救うのはガイアではなく自分でありたかったと、レオンはそう考えている。分もわきまえずに思い上がっていたのは事実。アリスに愛していると言われ、それを信じないと口にしたのにもかかわらず、真に受けていた。
恥ずかしい話だと、自分自身でも思う。
だが、レオンはアリスのその言葉に救われた。
だからこそ、アリスを救いたいと、求められているのは自分であって欲しいと、身の程知らずにもそう思った。
しかし、レオンの言葉がアリスに届くことはなかった。所詮は主人と封印獣というだけの関係。そう理解せざるを得なかった。
「クソッ。クソッ。クソッ!」
込める力が意味を得ることはなく、圧倒的な力の差の前に霧散する。
肋からはみしみしと嫌な音が響き始め、肺が圧迫され呼吸が完全に止まる。
息を吸わなくてはという思考にかられるが、叶わない。
どうすればいい。どうすれば。ここで死ぬわけにはいかない。ここで死んだらアリスは。
募る想いとは裏腹に、意識はどんどんと薄くなる。
最後にあの微笑む姿を見たかった。
その願いを叶えるため脳内に像を描こうと思うが、もう意識は……。
「レオン様!」
圧迫が消失し、肺に空気が流れ込む。同時に暗転しかけていた意識が回復し、目を瞬かせる。
すると、眼前に艶やかな白い腕が差し出された。
「遅くなりました。ご無事、ではないですよね。すみませんでした。お側に置いてくださいと頼んでおきながら、私自身がレオン様から離れる形になってしまって……。それに、こんなにも傷つかれて……」
視線を上げると、映った紫紺の瞳からはボロボロと雫が溢れていた。
「……アリス?」
「はい。あなたの召喚獣、アリスホワイトです」
「……本当にアリスなの?」
「ええ、そうです。私はアリスホワイト、レオン様だけの封印獣です」
言って、目の前の少女は涙をボロボロと流しながら微笑んだ。
それを見て、レオンは眼前の少女が本当にアリスホワイトなのだと理解する。
「アリスッ!」
レオンは伸ばされていた手をとってアリスを抱き寄せる。そして、その華奢な体を強く抱きしめた。
「アリス! ごめん! 俺が無力なばかりに君をたくさん傷つけた! アリスからの想いを否定しておきながら、心のどこかで俺はアリスの言葉を信じてたんだ! 本当は救いたかったんだ! 君を! だけど、助けられてばかりで、俺はッ! 」
想いの丈を口にすると、アリスに強く抱き返された。
「謝らないでくださいレオン様!謝るべきなのは私です! 力足らずでレオン様をお守りすることができませんでした! それに、レオン様は私を助けるためにそんなにも傷つかれたのですよね? 私はこの罪を一体どうやって償えば……」
アリスの言葉に、レオンは首を左右に振る。
「バカだな、償いなんかいらないよ。約束したよね? アリスが俺に助けられることを望んでいないってことを、俺は了承した。だから、俺が君を助けようとしたのは俺のわがままだ。アリスが償う罪なんてないよ」
「いいえ! それを言うのであれば、私はあの約束でレオン様に助けられることを飲みました。だから、悪いのは私です。……レオン様、どうしてレオン様は私のことを助けようとしてくださるのですか?」
アリスの問いに、レオンは照れ臭く思い微かに笑う。
「それを聞くの? ……もちろん、君を愛しているからだよ」
答えると、密着しているアリスの身体が一気に熱を帯びた。
「アリス?」
呼びかけるが反応がない。何事かとアリスの肩に手をかけると、弾かれたようにアリスは顔を上げる。
その顔は耳までもが朱色に染まっており、レオンがそれに驚いた瞬間。
「ん!?」
唇に柔らかなものが触れた。
「レオン様! 私も! 私もレオン様のことを愛しております! 好きです! 大大大大大大好きです!」
言って、アリスは半ば飛びつくような形で再びレオンに抱きついた。
レオンは唇に触れた柔らかい感触に脳が埋め尽くされており、飛びつかれた勢いのまま地面に転がる。
「ちょっとアリス」
意識が戻りレオンはアリスを嗜めるが、アリスは構わずにレオンの胸に頬ずりをしている。
「大好きですレオン様」
甘える子供のようなアリスの行動が新鮮で、レオンは抵抗することも忘れ、子供をあやすように透き通る白髪を撫でた。
その最中、レオンの脳裏にはある一つの疑問が過ぎる。
「でも、今のアリスは俺との契約が切れているんだよね?」
「はい。あの忌々しいリッキーのせいで私とレオン様の契約は途切れてしまっています」
「ってことは、今のアリスの気持ちは俺がアリスの主人だからってことじゃなくて、アリスの本心ってこと?」
問えば、アリスはその顔に満面の笑みを浮かべる。
「はい! レオン様への好意は正真正銘、私の本心です! やっと証明することができました」
その答えに、レオンの胸には思わず打ち震えてしまうくらいの喜びが湧いた。レオンは湧き立つ喜びにより頰が火照るのを感じる。
が、それは一瞬のことであり、すぐに自制の気持ちが生まれた。なぜなら、レオンは未だアリスに何もしてやることができていないのだから。根拠を伴わない好意を信じることなど、傲慢にも程がある。
そのため、レオンは恐る恐る尋ねる。
「で、でも、どうしてアリスは俺のことを、その、好いてくれているの? 俺は君に何もしてあげられてないのに」
疑問を投げかけると、アリスは吹き出すようにして小さく笑った。
「だって、レオン様はいつだって私を助けてくださったではありませんか」
「助けたって、俺はそんなこと……」
「いいえ、レオン様は私のことを確かに助けてくださいました。以前にも申しましたが、レオン様は正体の知れない私の手を取ってくださいました。私が封印獣であると知ってなお、レオン様は私を探しに来てくださいました。そして、私を助けると、レオン様はそう仰ってくださいました。私はレオン様に幾度となく助けられておりますよ」
言い終えると、アリスは立ち上がる。そして、レオンに向かってその白い腕を差し出した。
「レオン様、私ともう一度契約を結んではいただけませんか?」
その問いに、レオンはその頬に涙を伝わせながら微笑を湛える。
「もちろん」
頷いて、レオンはアリスから差し出された白い腕に捕まって立ち上がる。そして、アリスから漆黒の剣を受け取ると、それを天高く掲げた。
「我に使えることを許すのならば、我の前に姿を現し、我の命令に従え! 顕現せよ! 我に使える魔物、封印獣よ!」
詠唱を唱えると、天に掲げた漆黒の剣が藤色の光を放った。
再び契約が結ばれ、レオンとアリスはどちらからともなくその顔に笑みを浮かべた。




