一章20話 情けない
胸にあった氷解が溶けるような感覚。それが具体的になんなのかはすぐに見当がついた。アリスの言葉を聞いたことにより、解けずに苦しんでいた問題が根本から消失したのだから。
「アリス!」
名を叫んだ。
動かなければ。
加勢しなければ。
救わなければ。
守らなければ。
――――助けなければ。
想いが一つ一つ湧いた。
レオンは足を踏み出し、アリスのもとへ駆け寄ろうとする。
けれども、踏み出した足は言うことを聞かない。
眼前で大きな血飛沫があがった。アリスのものか確証はないが、急がなくてはならないと理解する。
「動けよッ!」
叫ぶことはできるが、足は動かない。またも足が震えているのだろうと思い、レオンは拳を握って右腿にそれを振り下ろす。
すると、握った拳にべっとり赤い液体が付着した。
「難儀だな。お前らの馴れ初めはそんなに劇的なものだったのか?」
いつのまにか眼前に立っていたリッキーは、鮮血が滴る剣を振りながら嘲笑うように言う。
いつのまに斬られたのか。疑問が湧くがレオンはリッキーの言葉に聞く耳を貸さない。だらだらと血を流している足でなんとか一歩を踏み出した。
「フフッ、頑張るじゃねえか。だがなレオン、お前が加勢してなんになるよ? 異能力も使えねぇお前はただのガキ、いやそれ以下だ! そんなお前にできることなんて何一つねえ! 死ぬだけだぞ!」
眉間に皺を寄せ、リッキーは吐き捨てるように言葉を浴びせてくる。
その言葉に、やはりレオンは答えなかった。
「ハッ、だんまりかよ。そんなに死にてえなら望み通りにしてやるよ!」
言うと、リッキーは一気にレオンへと迫る。
レオンは近づいてくるリッキーに気がついているものの、足を踏み出すのは激闘を繰り広げているアリスの方角だ。
「無視するってわけかよ。コケにしてくれんじゃねえか!」
視界の左端から鋭利な影が迫る。レオンは避けることもせず、また一歩アリスに向けて足を踏み出した。
左足の腿に温かいものが伝う。見やれば、更にだらだらと鮮血が流れ落ちていた。
構わず、レオンは同様に血を流す右足を踏み出す。
「クソがッ! お前はあの女に何を見たってんだよ! 何がお前をそうも動かすんだ! 十四年も洗脳を続けた俺がまるでバカみてぇじゃねぇか! お前は俺をどれだけコケにすりゃ気がすむんだよ!」
視界の端から再び振り下ろされる鋭利な影。やはりレオンはそれを避けない。
噴出すように右腿に温かいものが伝った。
しかし、レオンがそれに視線をやることはもうない。
だらだらと鮮血を流す左足を踏み出した。
レオン自身、思考の片隅で己が無意味な無茶をしていることを理解している。リッキーが言うように、レオンは非力で無力なただのガキ、それ以下に過ぎない。
そんなレオンが異能力使いであるアリスを守る__助けることなど、できるはずがない。
冷静に考えれば答えは単純で、だからこそレオンは今までに一度としてアリスを助けることができていない。
現実までもが答えを告げてくれていたというのに、どうしてこうも往生際が悪いのだろうか。
そんな思考の片隅からの問いに対し、レオンは明確な答えを持っていない。
否、レオンは明確な答えを持っていなかった。
なぜなら、その答えはアリスからもたらされたから。
『あなた様を愛しているからです』
脳内にその言葉が反芻した。
「……そんなことだったのか」
ずっと、戦火の夜から生かされてから十四年間ずっと、無力故に生かされたのだと、そう思っていた。
無力だから戦場では役に立たない。そのために独り残されたのだと、そう思っていた。
それ以外の理由など、今までに一度として脳裏をよぎったことなどはなかった。
しかし、今考えてみれば、そんなことはありえないと簡単に断言出来てしまう。子供が無力で戦場では役に立たないから生かした。そんなことあるはずがない。
愛故だ。
子供を愛していたからこそ生かしたのだ。
愛されていたからこそ生かされたのだ。
どうしてそんな単純なことに気がつけなかった。
どうしてアリスの言葉を聞く前に思い至ることができなかった。
無力故に生かした? そんなことあるわけがない。あるわけがないのだ。
再び視界の端から影が迫る。レオンは頰に響く鈍い衝撃によって地に叩きつけられた。
見上げると、殺意を秘めた視線でリッキーがじっとりと見下ろしている。
「あのホワイト家のガキをそんなに救いたいか? だったらまずは俺を倒せよ! なぁ? ほら! 殴り返してみろよ?」
降り注がれる挑発により、頭に血がのぼる。レオンは拳を握り、それをリッキーの顔面に放ってやりたいと心の底から願う。
けれども、殴られた衝撃により視界が揺らぎ、狙いが定まらない。
結果、放った拳は震えていないというのに、空を切った。
「フフッ、やりたくてもできねえわけか。なら、もう一発叩き込んでやるよ!」
鳩尾にリッキーの拳がねじ込まれる。レオンは血と胃液が混じったものを盛大にぶちまけた。
喉に残った吐瀉物を吐き出そうとレオンが咳き込むと、リッキーは容赦なくその背に足蹴り叩き込んでくる。
衝撃によりレオンは地面をくるくると回った。
「つまらねぇな。だがまあ、代わりの異能力使いが見つかってよかったってもんだ。お前みてえなクソガキに十四年もの歳月を費やしたのは癪だが、続けてたらどれだけかかったかわかりゃしねえ」
リッキーは地に転がるレオンの頭に足を乗せ、ぐりぐりと地面に向けて押し付ける。
「親代わりとして最期の言葉をくれてやるよ。お前は結局のところグズなんだ。テメェの願いを叶えたいって野心はありながら、それを成すための力が圧倒的に足りていない。人はな、分相応な夢しか抱くことは許されていねえんだよ。だから見合わねえ大層な夢を抱いたって、万に一つも叶いやしねえ。わかるか?」
リッキーはレオンの頭から足を下ろすと、頭髪を掴むことによってレオンの体を持ち上げる。
「とは言えな、本来ならお前にも大層な夢を抱くこと、もっと言えばそれを叶えることだって許されてるんだ。なんせお前は人類の一握り、異能力使いなんだからな。だが、お前も随分と苦労しているように、お前は異能力は愚か一発人を殴ることだってできない。お前は傷つきたくねぇんだよ。だから潜在意識の中では無力でいる自分を肯定し続けているんだ。仕方ねぇよな? 生きたいって想うのは人間の性だもんな?」
リッキーはニヤリと笑うと、レオンから手を離す。支えがなくなり、当然ながらレオンは地に叩きつけられた。
レオンは節々が痛む身体をなんとか捩り、仰向けになる。そうして見上げる視界には、澄み切った空があった。
レオンはぼんやりとそれを眺める。
やがて、涙が頰を伝った。
「……くそッ!」
絞り出した言葉とともに、またもや血と胃液が噴き出る。それに咳き込みながらも、レオンは拳を地面に叩きつけた。
足が動かない。
指を地面に突き立てるが、そんなことに意味はない。
無力である必要がないと理解したというのに、何一つとして現実は変わらない。
どうして、どうしてなんだ。どうしてこれほどまでにレオンブラックとは無力なんだ。
この問いも何度目になるのだろうか。
答えは当然理解している。
気がつくのが遅すぎたのだ。無力であることを選んでから十四年が過ぎた。今頃気がついたところで遅すぎる。
アリスから答えをもらうよりも早く、レオン自身が気がつかなければならなかったのだ。
自己嫌悪にかられていると、視界の中にリッキーが現れた。
「見てみろよレオン。お前の召喚獣は負けたぞ」
リッキーが指差す方に視線だけ向けると、そこには目を逸らしたくなる現実があった。
全身が鮮血により赤く染まり、ぐったりとした様子で剣士に拘束されるアリス。その光景を見て、レオンの頬には更に涙が伝った。
「なあ、レオン。一度結ばれた召喚獣とその主人との契約を解消する方法を知っているか? 一つは双方のどちらかが、契約を破棄したいと願った場合だ。まあ、これが一般的だろうな。だが、もう一つ方法がある」
リッキーはそこで言葉を区切ると、その顔に卑しい笑みを浮かべる。
「それはなぁ、封印獣と主人、そのどちらかが死んだ場合だ!」
リッキーはその細目をさらに鋭くし、下卑た笑みを浮かべる。
「レオン! お前には悪いが死んでもらうぞ! そして、お前の封印獣は俺が貰い受ける! ハハッ! 恨み言は地獄で言うんだな!」
リッキーは腰の鞘から封印剣を抜く。それを目にするも、レオンにはもうそれから逃れる気力は残っていなかった。
自己嫌悪。ただただその感情を抱き、レオンは瞑目する。
そうしていると、次第に意識が朦朧とし始めた。恐らくは両腿からの流血により、体内の血液量が一定値を切ったことが原因だろう。
――――死。その言葉がふっと浮かぶと、死にたくないという思いが胸に湧くとともに「アリス」と口から言葉が溢れた。
此の期に及んでどの口がその名を呼ぶのかと、自身でさえも呆れてしまう。
けれども、意識はもうほとんど途切れている。
そのため、迫る死から逃れることはとてもではないが……。
抗いようのない現実を前に、諦めもついた。
レオンは訪れる死を待つ。
死ぬべきだった時から十四年が過ぎた。生きながらえたからこそ果たせたことが、一つでもあるだろうか?
……あるわけがない。無力であることを選んだ身では、命を賭しても少女一人救えなかったのだから。
地獄行きは確定的だな。
最期にそんな想いが湧いた。
「待ちなさい!」
凛と響く、鈴の根のような声音。それを聞き、レオンは閉じた瞼を開く。
すると、リッキーの正面、剣士に両腕を掴まれ拘束されているアリスが、その両眼をカッと開いてリッキーを睨みつけていた。
「私とレオン様の契約を切りたいのであれば、私がレオン様との契約を破棄します! だから、レオン様には指一本触れないでください!」
アリスがそう言い放つと、リッキーは卑しい笑みのまま頷く。
「話がわかるじゃねえか。だが、それだけでは足りない。レオンとの契約を破棄したのち、俺と契約を結べ! それが条件だ」
「……わかり、ました」
アリスはリッキーの言葉に頷いた。
それに対し、レオンは喉奥からなんとか否定の言葉を紡ぎ出そうと力を込める。レオンは死すべくして死ぬ。アリスに助けてもらう資格などはもとよりない。レオンを助けるために、アリスがリッキーのもとで苦役に服せられる必要などはない。
その想いを伝えるべく、レオンは最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。
――――しかし、想いを口にするよりも早く、アリスとの契約が解消された。
体内にあったアリスとの絆。そんな漠然としたものが断ち切られるのが、感覚としてわかった。
証明するかのように、リッキーは隣にいた剣士から漆黒の剣を受け取り、アリスを卑しく見つめる。
「剣の中に戻れ!」
リッキーが命じると、アリスの体は藤色の光へと変化し、漆黒の剣へと溶けた。
「フフッ。フフッ、フハハハハハハハハハッ! やっとだ! やっと異能力使いの力が俺のものとなった! これでやっと、クーデターが実現する! フハハハハハハハッ!」
気が済んだのか、一頻り笑い終えたリッキーがその細目で視線を送ってくる。
「レオン、お前の封印獣は良い封印獣、だったな。命を救われた気分はどうだ? 悔しいか? ん? なんとか言ってみろよ!」
挑発を受けるも、レオンにはそれに対する言葉を放つことは叶わない。そのため、ただリッキーを睨みつける。
「なんだよ? 怒ってるのか? そりゃそうだろうな。俺が憎いだろう。だが、一番許せないのは無力な自分自身なんじゃねえか?」
そのリッキーの言葉は、まさにレオンの心情をそのまま言い当てていた。そのため更にレオンが睨みつけると、リッキーは嘲笑を浮かべる。
「図星って反応だな。だが心配するな。そんな自己嫌悪からもすぐに解放してやる」
言うと、リッキーは漆黒の剣を振り上げた。
「あの封印獣はお前が死んだって知ったらどんな顔をするんだろうな?」
リッキーはその目を更に鋭くする。
「死ね、レオンブラック」
振り下ろされる漆黒の剣。それを前に、レオンは反射的に瞼を閉じた。
今度こそ死ぬ。
今度こそ死ねる。
望んでさえいた死の訪れに、レオンの胸にはなんの感情も生まれはしなかった。
否、烏滸がましくも、アリスを救いたかったという想いだけが胸に湧いた。
「誰だ貴様!」
響く怒声にゆっくりと瞼を開くと、身体が宙に浮いた。よく見ると、見知らぬ男におぶられている。
「すまない、じっとしていてくれ」
男はそうとだけ告げると、大通りを王城へ向けて一直線に駆ける。
後頭部を見る限り白髪が混じっているため、その男があまり若くないということは察せられるが、一体何者なのだろうか。
思考すると、再び意識が朦朧とし始めた。
レオンはなんとか意識を覚醒させようと思うが、裏腹に視界は暗転した。
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