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一章17話 浅はかな考え

「まくことはできたみたいですね」


「うん、ありがとうアリス」


 レオンはアリスに礼を告げると、目の前に広がる市場に目をやった。


 スラムの住人たちから逃げているうちに距離が縮まり、いつのまにか王都に達していた。


 胸に手を当てると、その手を跳ね返さんとする鼓動が響いてくる。それは今まで走っていたからなのか、王都に到着して高まった不安からなのかはわからない。


「……行こうか、アリス」


「ええ」


 繋がれていた手は離れ、二人は王家の紋章が刻まれたアーチをくぐって賑わう市場へと足を踏み入れる。


 すし詰め状態を行くため、レオンはアリスに気を配った。

 すると目が合い、アリスは微笑みかけてくる。レオンはそれに頷き、王城を見据えて歩みを進めた。


 この人混みの中ならリッキーに見つかることはないだろう。そんな安直な考えが芽生え、心なしか胸が軽くなる。


 人混みを分け、レオンはずんずんと王城へ向けて歩みを進めた。


 人々との距離が近いため、必然的に老若男女の声が絶えず耳に届く。それらは幾重にも重なり合っているため、一つ一つの内容を聞き取ることはとてもではないが難しい。 


 だがしかし、あまりにも他と異なっている声質のものであれば、話は変わってくる。


 レオンは不意に響いた低い獣の声に、思わず目を向ける。

 すると、武器屋の屋根の上、黒い毛を逆立て、血色の瞳を光らせる黒犬の姿がそこにあった。


「……ヘルハウンド」


 思わず、その封印獣の名を呟く。


 通常、市街地で封印獣を顕現させることは許されていない。


 例外といえば、王国の秩序を守るために存在する機関、王国剣士団には罪人を隠密に拘束するという名目で封印獣を顕現させることが許されている。


 その際に使用される封印獣こそが、同種との連携を図ることができるという点で狩に優れたヘルハウンドである。


 つまりは、王都に足を踏み入れたとほぼ同時に、リッキーが率いている王国剣士団に居場所が知れてしまったということだ。


 レオンは自身の考えがあまりにも稚拙で甘かったと後悔するや否や、アリスへと振り返る。 


 しかし、振り返った人混みに白髪の少女の姿はない。


「アリス!」


 声を張り上げるが、市場の賑わいによってそれはかき消される。


 ヘルハウンドはその間にジリジリとレオンへ距離を詰めると、飛びかかろうと身を屈めている。


 レオンは取り敢えずの判断として、ヘルハウンドの正面に位置する建物の屋根へと跳躍して移った。


 当然ながら周囲にいた人々にはどよめきが走るが、構ったことではない。レオンが人混みに居続ければ、ヘルハウンドに襲われた際、周囲の人間が巻き込まれる可能性は高い。

 故に、場所を変えざるを得なかった。


 ヘルハウンドは開いた距離を埋めるようにレオンの居る建物へと飛び移ってくる。そして天を仰いで遠吠えをあげた。


 レオンはそれを聴きながら仲間に居場所を知らせたのだろうと悟るも、それ以上対抗する術がない。腰の鞘はアリスに貸したがために空であり、付近に武器になりそうな物もない。


 いくら他人より身体能力が優れているといっても、封印獣の前では無力に等しい。


 遠吠えを終え距離を詰めてくるヘルハウンドに、レオンは逃げるようにして後退する。

 次第に屋上の端へと追いやられ、逃げ道を完全に絶たれた。


 飛び降りることは容易だが、下は賑わっている市場。わざわざ屋上へ移動した意味がなくなる。


 窮地に陥る中、レオンは迫る身の危険に恐怖するよりも先に、自身の無力さを呪った。


 アリスを助ける云々以前に、己すら守ることができない。幾度となく自身の無力さを痛感してきたとはいえ、目に見えて現実となると考えずにはいられない。


 どうして、どうしてこれほどまでにレオンブラックとは無力なのかと。


「クソッ!」


 叫び、眼前で唸るヘルハウンドを見据えた。


 剥き出しになっている牙は鋭く尖っており、噛みつかれればそれまでだと簡単に理解できる。


 ――――死ぬ。殺される。肉を食い千切られ、屈強な顎によって骨さえも砕かれる。


 自身への失望が胸に募る中、やっと死への恐怖が生まれた。


 しかし、助かるために飛び降りることだけはできない。


「……フフッ」


 場違いな笑い声がした。


 それはレオンがレオンブラックに対して放った冷笑である。


 レオンは気づいていた。分不相応な十字架は早々に背から下ろすべきだと。


 レオンは理解していた、脆弱者である己に人を救うことなどはできないと。


 ヘルハウンドは一歩ずつ距離を詰めてくる。逃げ場はもうないため拳を構えようかと思うが、震える拳程度で抗えるのなら英龍から封印剣など与えられるはずがない。


 いっそのこと諦めるべきなのだろうか。


 全てを投げ出せばそれで終わる。


 脆弱者である己を認めれば、これ以上自分自身を呪わずにすむ。


 ヘルハウンドは前足を屈め、狙いを定めるように血色の視線を送ってくる。レオンはそれをただぼんやりと眺めた。


 咆哮を合図に、地を蹴って一直線に迫ってくるヘルハウンド。開いた口からはいくつもの鋭い牙が確認できる。


 脳裏に死という言葉が過ぎると、同時にアリスの顔が浮かんだ。


「最低だな」


 その呟きには多くの意味が込められている。共通しているのは、総じてレオンブラックに対して向けられているということだけ。


 思い返せば、いつだって命の危機には彼女の存在があった。

死を覚悟した時、助けを乞うよりも先に彼女は駆けつけてくれた。


 だから、今回もそうなってしまうのではないかと思い、無力であり続ける己に吐き気を覚えずにはいられなかった。


 地獄行きは確定的。既に地獄の門はその口を開いている。あとは自らその業火に包まれるのみだ。 


 ……こんなことなら、あの戦火の夜に死んでおくべきだった。


 そうレオンが思った瞬間、迫るヘルハウンドの横腹を何かが穿った。


 その何かは高速すぎるが故に姿を捉えることはできないが、見えずともレオンにはその正体がわかった。わかってしまった。


「アリス」


 噴き上がったヘルハウンドの黒い血を浴びながら、レオンは少女の名を呼んだ。


 すると、少女は風に白髪をなびかせながら微笑を浮かべた。


 ――――違和感が唐突に胸を襲う。


 レオンは頰に付着した血を拭い、改めてヘルハウンドの血液を視界に入れる。

 と、やはりその色は変わらず黒色である。


 胸の違和感は形を得ると、底知れない不安へと変化した。


 レオンは異様に早くなった鼓動を煩わしく思いながらも、恐る恐るアリスへ視線を送る。 


「そんなっ! アリス!」


 慌てて駆け寄ると、アリスの微笑みは崩れ、力が抜けたようにしなだれかかってくる。

 レオンは抱くようにアリスを受け止めた。


 アリスの背に手を回すと、温かな液体がべっとりと付着する。


 確認のために目をやると、手の平は鮮やかな赤い血に染まっていた。

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