一章16話 かつての誓い
王都へ向け歩く中、未だレオンの胸にある不甲斐なさは未だ晴れない。
そのため俯いて歩いていると、不意に隣を歩くアリスが立ち止まる。何事かと目をやると、アリスの顔には微かな緊張が走っていた。
「レオン様、私の後ろに」
「う、うん」
促されままにレオンはアリスの背後へと回る。アリスはそれを確認すると、「失礼します」と言ってレオンの腰の鞘から剣を引き抜いた。
「どうかしたの?」
レオンが問いかけるも、アリスは剣を構えたまま答えない。
何か危険が迫っているのであろうことはレオンにも察しがついたが、見渡す限りに該当するものは確認できない。
否、唯一変化だけは確認できた。
廃材の山から憎悪を向けてくるだけであったスラムの住人たちが、取り囲むようにしてジリジリと詰め寄ってきている。
状況を理解すると、生暖かい汗が背筋を伝った。
しかし、理解したところで、レオンに現状を打開することはできない。
逆にできることと言ったら、ただアリスの後ろに隠れることくらいだ。
「数が多いですね。けれど、何が目的なのでしょうか?」
アリスは時間に比例して縮まっていく距離に焦る様子も見せず、そう呟く。そんな落ち着き払ったアリスの素振りに感化され、レオンも近づいてくる住人たちに視線を向けた。
よく見ると、近寄ってくる住人たちはその全員が男性である。
アリスを連れて歩いたがために生まれた変化なのだと考えれば、恐らくはそういうことなのだろう。
危惧していたとはいえ、実際に現実となると胸にフツフツと憎悪が湧き立った。
「いかがいたしますかレオン様?」
「・・・・・・」
レオンはアリスの問いに答えず、ただ震える拳を眺める。
「レオン様?」
「・・・・・・戦わずに済む方法があるなら、そうしたいかな」
レオンは近寄ってくる男たちに確かな怒りを抱いてはいたが、そう口にした。
「かしこまりました。それでは走りますので、手を」
アリスは左手でレオンの腕を掴むと、右手に持つ剣を勢いよく地面に振り下ろした。その風圧により砂埃が舞い、一時的に住人たちの視界を奪う。
そうして生まれた隙を縫うように、アリスはレオンの手を引いて走り出した。
アリスの足の速さはアカデミーで見た戦闘時とは比べようもないくらいに遅いが、身体能力に自信のあるレオンにでもついていくのがやっとであった。
レオンは必死にアリスの速さに食らいつきながら、胸に宿った更なる不甲斐なさを呪った。
危害を加えられた訳ではないのだから、不必要な戦闘を避けた。そう言えば済む話ではある。
戦うのはレオンではなくアリスなのだから、一側面から見ればその判断は正しい。
しかし、アリスに向けられたのは性欲に満ちた下卑た視線である。男として、看過していい問題ではない。
抱いた怒りを胸に、近寄ってきた男たちを撃ち倒し、下卑た目でアリスを見たことをレオン自身の手で償わせるべきであった。
しかし、男たちの視線に気づいて憎悪が胸に湧いた時、感情のままに拳を振るってやろうと考えたら、またもや握った拳は震えた。
不甲斐ない、情けない、意気地なし。
脆弱者であるが故に、アリスが差し出してくれた救いに手を伸ばした。それ自体は単なる甘え、罪にはなり得ない。
けれども、甘えたがためにアリスに危険が及ぼうものなら、それは罪となり得る。
レオンは胸の中で色濃くなりつつある不安を感じながら、先よりも大きく見える王城を見据えた。
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俺は玉座に腰を下ろしながら、隣に立つ執事長を見やる。
「それで? 誰が私と面会したいと?」
「はい、剣士長のリッキー様が国王様にご相談したいことがあると仰っています」
「・・・・・・リッキーか」
俺は一拍置いてから執事長に頷いてみせた。
王国剣士長リッキー、そう年も変わらない男ではある。
けれども、立場上の関係からか未だに腹の底を見据えることはできていない。
剣の腕は確かで、異能力使いであるブラック家とホワイト家が王家に仕えていない今、一度としてクーデターが起きていないのはこの男が抑止力となっているからこそだろう。
また、十四年前の戦争で孤児となったレオンブラックの面倒を見ている。
表向きには悪とは無縁の善人といえるだろう。
ただ、腹の底が見えていないのは事実。俺は微かな緊張を覚えながら、執事長に案内されて玉座の間に入室したリッキーを見据えた。
「国王様、貴重なお時間を頂いてしまい申し訳ございません」
リッキーは平伏しながら言う。
「頭を上げろリッキー。忙しいのはむしろお前の方だろう?」
「ご謙遜を。王都の様子を見に行かれていたと聞きましたよ。民の心に寄り添おうとするそのお気持ちには頭などあげられません」
平伏した状態のままで言うリッキーの腹の底はやはり窺えない。
そのためか平伏もどこか形式じみて見え、不思議と警戒心が高まる。
「それで要件とはなんだ? 私にできることであればいいのだが」
「はい。近頃、王都で犯罪が横行しておりまして、今日はその成敗にまいろうと考えております。ですので、国王様には何卒王城からは出歩かないようにお願い申し上げたいのです。犯罪者の考えることなどわかりません、国王様が人質にとられようものなら、この国は終わってしまいますから」
「わかった、願いは聞き届けよう。だがリッキー、横行している犯罪とはなんだ? 何者がそのようなことを行なっているのだ?」
警戒心から問い詰めると、リッキーの額から汗のようなものが流れ落ちた。それを見て内心の疑惑は増す。
「大半はスラムの住人などによる盗難などです。先代の国王様が行った十四年前の戦争以来戦争がないため、給金を受け取れていない剣士などがスラムを形成しているのはご存知ですよね? その住人たちが度々王都にやってきては、民を脅して金品を奪い取っているのです」
口調こそ変わってはいないが、内容は高圧的なものへと変わっている。わかりやすいというのは有難くはある。
しかしながら、いよいよもって腹の底が見えない。一体リッキーは何を企んでいるのだろうか。
「スラムの件は承知している。それに救済の手はずもある。お前が心配するような件ではない」
「そうでしたか、これはとんだ失礼を。ですが、今日の件はなにとぞご了承ください」
「ああ、聞き受ける」
「ありがとうございます。それでは王都には厳戒体制を敷かせていただきます。スラムからの流入を監視するため、封印獣のヘルハウンドを常時顕現させますがよろしいでしょうか?」
「・・・・・・好きにしてよい」
リッキーは頭を下げると玉座の間を後にした。
俺はリッキーが退室したことを確認すると、張り詰めていた緊張を解く。
「よかったのですか?」
怪訝な顔で訪ねてくる執事長に、俺は嘆息混じりに「ああ」と頷いた。
「先手を打つ必要などない。後に後悔し、起きた事象に対処すればいいだけの話だからな」
「ですが!」
「言いたいことはわかる。だからお前がリッキーを見張ってくれ。剣士長というポストに就いている以上、他の剣士は皆やつの命令に従うだろう。お前にしか頼めない」
真剣な眼差しを向けると、執事長は「かしこまりました」と頷く。そして扉を開け、リッキーの後を追っていった。
背を向けた執事長の頭部には白髪が見受けられた。お互い初老とまではいかないが、もう若いとは言えない年齢である。
無理をさせることに胸が痛むが、誓った方針を変える気にはならない。
後悔を避けるために行動することはしない、却って多くを失ってしまうくらいなら。
俺は胸に刻んだ言葉を脳内で反芻しながら、執事長の背を見送った。
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