一章14話 敗走の果て
連なる廃材の山を横目に、辺りの偵察を終えたレオンはローブのフードを被り直す。
それは充満している腐敗臭を遮断するために行った行為ではなく、憎悪に満ちた視線から逃れるために行ったものだ。
アカデミーでの一件から三日が過ぎた現在、レオンは王都の近隣に広がるスラムを歩いている。
リッキーの追っ手から逃れるためとはいえ、やはりスラムというのは居心地が良いものではない。
ただ道を歩くだけで住人たちから憎悪を向けられては、謂れはなくとも自身の非を認めたくなってしまう。
向けられる視線に耐えきれず、レオンは歩みを速める。そして、廃材の山の中に目印としていた錆びれた金庫を認め、ズカズカとその山を登った。
当然ながら足場は悪く、気を抜けば廃材の山を転げ落ちることになる。レオンは足場を慎重に選びながら頂上まで達すると、反対方向へ向けてその山を下りた。
下山すると、眼前には汚水が流れる小川が広がっている。川幅として七メートルほどのそれを、レオンは軽く跳躍して飛び越えた。
そうして反対岸へと移ると、立ち並ぶ家屋のうちの、半壊しているものに入る。
屋根がほとんど付いていないため、内部は屋内とは思えないほどの明るさである。レオンはその事実に何度目かの笑みをこぼすと、腰の鞘から漆黒の封印剣を抜いた。
封印剣から放たれた藤色の光は、空中で人型へと姿を変える。
「偵察ご苦労様でした」
顕現したアリスは、藤色のドレスを翻しながら華麗に着地をきめた。
「ごめんアリス。また剣の中に入ってもらうことになっちゃって」
「いえ構いませんよ。元はと言えば、私がローブを着ることを拒んだことが原因ですし。ですが、レオン様から折角頂いたお召し物を、覆って隠してしまうのは嫌なんです」
「そこまで気に入ってくれてるなら俺も嬉しいよ。だけど、やっぱり女の子があの通りを歩くのは危ないね。アリスが不埒な目で見られるのも、正直気持ちが悪いし」
「それもそうですね。私も、清らかな体をレオン様以外に捧げるつもりはありませんので」
「いや、そんな……」
レオンの頰は一気に朱に染まる。アリスはそれを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「久しぶりにレオン様の可愛らしい表情を見た気がします。やっぱりレオン様は愛らしいお方です」
「からかわないでよ。それに、そういう冗談はアリスの淑女的な品位を落としちゃうから」
「いえいえ、冗談などではありませんよ。私はレオン様を愛しています。であれば、したい行為など一つしか……」
「あーあ! それ以上はなし! 今後についての話をしよう!」
レオンはアリスの言葉を慌てて遮った。アリスはそれに残念そうな表情を浮かべるが、素直に「はい」と頷く。
「それでこれからの方針だけど、敵の敵は味方って知ってる?」
「なるほど、レオン様のお考えは尤もだと思います。リッキーは国王になろうと考えている。よってリッキーの敵は現国王。つまり、国王に助力を乞うということですね? しかし、国王はブラック家とホワイト家にとって仇のような存在ではありませんか?」
アリスの問いにレオンはふるふると首を横に振る。
「いや、ブラック家とホワイト家を戦争の最前線に送った王様は確かその戦争を機に退位してる。今の国王様はその子供のはずだよ」
「そうなのですか。けれど、助力を得ることなどできるのでしょうか?」
「その点は正直、俺もなんとも言えないかな。ただ、確実性に欠ける話だとは思う。国王様に助力を得るとなると、必然的に王都に出向くことになる。その道中にリッキーやその部下と出くわしたら戦闘は避けられないし、第一アリスに負担がかかる。だから、アリスの意見も聞かせてほしい」
努めて柔らかい口調で問うと、アリスは微笑みを湛えながら頷いた。
「かしこまりました。私も可能性に目を向けるのであれば少々難があるように思います。ですが、じっとしていては何も始まらないというのもまた事実。あのリッキーという男から逃げ隠れするのにも限界があるでしょう。なので、やれることはやるべきだと思います。戦闘の際は全て私にお任せください。私が必ずレオン様をお守りします」
アリスは言うと、紫紺の瞳で真っ直ぐにレオンを見つめた。
そんな視線を受けたレオンは、有難いという気持ち反面、申し訳ないという気持ちを胸にゆっくりと頷く。
「わかった。だけど、本当にごめんアリス」
「レオンさまぁ?」
ついつい頭を下げてしまったがために、アリスにジト目を向けられた。レオンは取り繕おうと「ごめんごめ……」とまた言いかけ、咳払いをしてごまかす。
アリスはそれに対してもジト目を向けていたが、短い嘆息を機に微笑みを浮かべた。
「レオン様はやはりお優しいですね。これでは私が意地悪をしているみたいです」
「そんな! 俺が悪いんだよ」
「いえいえ、そんなことはありません。ですが、できればごめんではなくありがとうと、そう一言いただけると嬉しいです。私はレオン様のお力になりたいがために、助けるのですから」
アリスはそう言ってニコリと笑った。
「わかったよ。ありがとう、アリス」
「はい! そうと決まれば王都へ向かいましょうか?」
明るく言うアリスにレオンは「うん」と頷く。
しかし、その心には確かに一抹の不安が存在した。
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小刻みに揺れる馬車の中、俺はハッと目を覚まして窓からの景色に目を向ける。
すると、悠然と立つ王城はもう目前に迫っていた。気づかぬうちに、長いこと眠りについていたようだ。
「十四年も経ったんだ。歳に見合わない重労働はやるべきじゃないな」
もう若くはないという自覚から笑みが漏れ、気を引き締めなくてはと頰を叩いて唇を引き結んだ。
ふと、傍らに綺麗に畳まれたローブが映る。
瞬間、罪悪感からかピキリと胸が痛んだ。
彼女への救いを自分よりいくつも若い少年に押し付けたのだから、当然と言えよう。
しかし、自責の念はない。
誓ったのだ。もう二度と、失わないために行動することはしないと。
決意したのだ。もう二度と、後悔しないために行動することはしないと。
失ってから初めて後悔すればいい。後悔を回避するために行動する必要など断じてない。却って多くを失ってしまうくらいなら。
思考していると、不意に馬車が止まった。どうやら王城についたらしい。
俺が御者を待たずに扉を開けて馬車から降りると、荒てた様子で城門から臣下たちが走ってきた。
「国王様! この一週間一体どこで何をなさっていたのですか!」
「そうですぞ! 兵もつけずにお一人で!」
臣下たちが各々述べる言葉に悪かったなと思いつつも、真実を話すわけにはいかない。
「すまなかったな。王都の様子が気になったもので出歩いていた」
国王としての威厳を崩さぬ程度に微笑みながら言うと、臣下たちは揃って嘆息をした。
「困りますぞ、ご自身の立場を考えていただかないと」
「まったくです。クーデターを画策している者がいたらどうするのですか」
尤もな小言を述べられては返す言葉もない。「そうだな」と頷きながら俺は城内へと向かった。
臣下たちは後をついてくるが、気前が悪く俺はそれを制す。
すると、臣下たちは驚いた顔を見せたが、城内ということもあってか素直に応じた。
晴れて一人になった俺は、赤い絨毯が敷き詰められた廊下を抜け、必要以上と言えるほど横に面積をとった大理石の階段を上る。
広すぎる故に歩く位置が定まらず、今日も今日とて右端にある手摺に手をつきながら上った。
二階に上がってもなお、廊下には赤い絨毯が敷き詰められている。一体どのような趣向でそのようになっているかはわからないが、生まれてからずっと暮らしていれば慣れるものではある。
俺は再び廊下を抜け、二つ目の階段の前へと立つ。これもまた必要以上に面積を有した大理石の階段だ。
三階にあるのは自室と玉座の間。通常であれば向かうべきは三階である。
しかし、俺は踵を返して二階の東側へと向かった。
廊下を歩いて目的の部屋の前まで来ると、不思議と人気がなくなり、城の中には俺しかいないのではないかという錯覚に陥る。
聞こえるのは通常よりも早く血を送り流しているが故の、心臓の悲鳴くらいだ。
背筋に嫌な汗が流れるのを感じながら、俺はノブに手をかけた。
扉を押し開けると、不意に陽光が瞳を襲う。反射的に瞼を閉じ、いっときの安寧を得てから薄眼を開けた。
窓枠を見やれば、そこにあるべきカーテンの姿はない。十四年も使用者がいないのだから、当然といえば当然か。
次第に目が慣れ、俺は薄眼をやめる。
目に入ったベッドもマットレスが取り払われており、使用者の不在を黙って告げていた。
俺はただのハリボテと化したベッドに腰掛け、部屋を見渡す。
やはり、使用者の姿はない。
十四年前から王城は何一つとして変わっていないというのに、この部屋だけは十四年前とは違っていた。
部屋を見渡していると、脳裏に思い出したくない過去が蘇る。俺はそれから逃れるように立ち上がると、ドアノブに手をかけた。
「すまなかった……アリス」
口から漏れ出た謝罪の言葉を残し、俺はかつてアリスホワイトが使っていた部屋を後にした。
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