一章11話 攻防
不意に、鈴の音のような、耳障りの良い声が響いた。
思わず目を開くと、スローモーションに見えていた視界は通常の速度を取り戻していく。
とはいえ、剣先が迫っていたことは事実。世界が速度を取り戻したところで、付随して死がより早く迫ってくるだけのこと。
けれども、迫っていた剣先は突如として現れた鋭利な漆黒の影によって弾かれた。
擬音が鳴り響き、驚いて横を見やれば、そこには漆黒の封印剣を携えるアリスの姿があった。
「ご無事ですかレオン様? 火の手が見えたもので来てみればこんな」
アリスは悲壮な面持ちでレオンを見つめる。それから、剣が弾かれたがために床で仰向けに受け身をとったリッキーに、鋭い視線を送った。
「何があったのかはわかりませんが、あなたのレオン様への不敬な行いは見逃せません。その命をもって償いなさい!」
アリスは叫び、剣先をリッキーに突きつける。
それに対し、リッキーは仰向けの状態のまま顔を歪めた。
「フフフッ。フハハハハハハッ! これは驚いたな。この俺が女ごときにぶっ飛ばされるなんて」
リッキーは床に手をつくと、ゆっくりとした動きで立ち上がる。そして肩に付着した埃を払い、アリスをじっと見据えた。
「貴様、名はなんという?」
「名乗る必要性を感じませんね」
「そうか。だが、クククッ。言わずともその容姿から家名はわかる。なぜホワイト家に生き残りがいる?」
「さあ、なんのことでしょうか?」
「しらを切るか。しかし、そこのクソガキは今朝、ホワイト家に生き残りがいる可能性はあるかと俺に尋ねてきた。貴様がホワイト家の生き残りであるというのは確定的だろう」
リッキーはしたり顔でレオンを見下ろした。
「そうですか。レオン様が今朝仰っていた知り合いとはあなたのことだったのですね。ではなぜ、あなたはレオン様にこのような真似を?」
「答える必要性を感じないな」
挑発的なリッキーの言葉にアリスの表情は強張る。
が、それは一瞬のことであり、意に介していないかのようにレオンに向き直った。
「レオン様、これ以上火の手が広がる前にお逃げください。私はこの男に罪を償わせたら追いかけます」
「そんな……俺だけ逃げるなんてこと」
「そうだぜ。俺が逃すとでも思っているのか? もちろん、二人ともって意味だが」
リッキーの挑発を今度は完全に無視すると、アリスはしゃがむことによってレオンに目線を合わせた。
「レオン様、私はあなた様の封印獣です。あなた様のために働くことこそが使命なのです。どうかお願いします」
アリスは諭すように告げるが、レオンはゆっくりと首を横に振る。
「逃げるならアリスも一緒だ」
「ですがこの男は……」
レオンはアリスに向けて再び首を横に振った。
ローザをリッキーが殺したことは事実。また、レオンも命を脅かされた。アリスが駆けつけなければ、今頃はローザの隣に転がっていたことだろう。
故に、戦うための理由は揃っていると言える。レオンはそれらを承知していながら、アリスが戦うことを否定した。
「フフフッ、争いを否定するか。過去のトラウマってのも今となっては好都合だな」
リッキーがほくそ笑むのを見て、アリスは訳がわからないといったように目を瞬かさせる。
「レオン様、この男は一体何を?」
「仕方ねぇな、お前にも教えてやるよ。俺はクーデターで利用するためにこいつに洗脳教育を施してきたんだ。しかし、こいつはその洗脳を意に介さないほどのトラウマを抱えている。だから異能力も使えなけりゃ、恩師をぶっ殺され、自分の命まで狙われてなお、歯向かってこようとしない。恐らくだが、こいつは戦いによりお前が死ぬことを恐れているんだろうよ。だから争いを否定している。正真正銘のグズだよなぁ?」
リッキーは片方の口角だけを上げて卑しく笑う。それにアリスは鋭い視線で相対した。
「あなたは一体何を言っているんですか! レオン様のお優しい性格は決して悪いものなどではありません! あなたの考え方が間違っているんです! 勝手な考えでレオン様の美徳を悪く言うのはやめてください!」
「美徳だと? 物は言いようだな。本当に優しい性格の持ち主なのだとしたら、恩師の敵を討つために立ちはだかってくるのが摂理というものだろう?」
「そんなことは!」
「ないと言い切れるか? 俺はこいつを十四年も見てきたが故の発言だぞ? 大体、お前はこいつのなにを知っているんだよ?」
「それは……」
アリスはチラと一瞬だけレオンを見やる。それから、何かを決めたかのように瞑目した。
「これ以上あなたのくだらない話にレオン様を付き合わせるわけにはいきません」
言うと、アリスは座り込んでいるレオンに手を伸ばす。レオンは眼前に伸ばされた白い艶やかな腕をぼんやりと眺めた。
当然ではあるが、アリスとリッキーの会話は始終聞こえていた。
レオン自身、自分のことを優しい性格の持ち主だと考えたことはない。反対に、性根が腐っていると考えている。
それを確信したのは昨夜。アリスを助けることもせず、自分可愛さ故にただベッドの上でうずくまっていたから。
そのため、リッキーの言う内容を認めざるを得ないと考えている。優しい性格の持ち主などではないのだから、戦いを避ける理由は、家族を戦争で失ったという過去が影響していると。
それに実際、レオンは戦争や争いごとといった類を倦厭している。リッキーの言葉が間違っているとは思えない。
レオンは自身の心情を三者的目線から理解し、俯いた。
改めてリッキーに受けた裏切りを思うと、怒りと悲しみが混ざったものが込み上げてくる。レオンは歯を食いしばりながら、右拳をぎゅっと握りしめた。
しかし、レオンはリッキーに立ち向かうことを躊躇してしまう。
幼少の頃に背負った十字架、レオンブラックは生涯を通して無力でなければならない。その枷により、いざ握った拳をリッキーに放ってやろうと考えると、背筋に怖気が走り、額からは嫌な汗が噴き出した。
最終的に、レオンは握った拳を開いた。
レオンは無様にも開いた手でアリスの艶やかな白い腕を掴んで立ち上がる。立ち上がったことにより目線が上がり、燃え盛る炎が瞳に映った。心なしか呼吸も苦しい。
「レオン様、煙を吸わぬよう姿勢を低くして屋外へ脱出してください。私もすぐに追いかけます」
「ダメだアリス。逃げるならアリスも一緒にって言ったはずだよ?」
「お言葉ですがレオン様、私もあなた様のために働くことこそが使命だと申し上げたはずです」
視線が交差するのと同時に、想いがぶつかり合う。レオンは頑として譲らない姿勢のアリスに嬉しくも煩わしいという複雑な感情を抱くが、残して自分だけ逃げるという選択だけはできない。
性根が腐っていることを認めようと、アリスを一人置いて逃げるようなことだけはしたくない。
その想いがたとえ、レオンブラックという人間が優しい心の持ち主であるからなのではなく、ただ単に争いごとを倦厭しているからだとしても、アリスを一人置いていくことはできないと、そう強く思った。
自身の心情を理解すると、何故そのように思うのだろうかと脳内に疑問が浮かぶ。
回答としてアリスがリッキーに放った形容を思うが、レオンは静かに首を横に振った。
レオンが考えるレオンブラックとは、性根が腐った最底辺の人間である。優しい性格の持ち主などでは決してない。目の前で死んだ恩師の敵討ちすらできないのだから。
しばしの間レオンとアリスが睨み合いを続けていると、離れたところから嘆息が一つ。
「俺のことを無視してんじゃねぇよ。さっきから言ってんだろ? 逃がさねぇって」
リッキーは呆れ口調で言うと、未だ血痕が残る封印剣を掲げた。その動作に危険を察知したのか、アリスはレオンを庇うようにして剣を握る右腕を広げた。
「姿を表せライ! このクソガキどもを蹴散らしてやれ!」
火が滾る資料室内にどこからともなく白い靄が立ち込める。レオンはその光景を一度目にしたことがあったため、四足歩行のシルエットが浮かぶ前に逃げなければと思い、アリスに手を伸ばした。
しかし、手がアリスに届くよりも早く、魔獣の甲高い咆哮が響く。
「ユニコーンですか。これは厄介ですね」
アリスは咆哮に顔をしかめながらも、顕現した一角獣を瞳でしっかりと捉えていた。
「流石は異能力使い、ユニコーンを前にして臆さないか」
リッキーは感心したように言うと、ゆっくりと口元を歪める。
「ホワイト家の異能力とやらを見せてみろよ」
「言われなくても!」
アリスは叫ぶと、地を蹴ってライへと迫る。その行為はいたって単純、驚くべき点はない。
けれど、その速度は人知を超えていた。
レオンはアリスをなんとか視界に捉えはしたが、もはや単なる影としか視認できていない。
アリスは空気抵抗による爆風を伴いながらライの眼前へ迫ると、振りかぶった封印剣を純白の首筋に向けて振り下ろす。
その一連の動作にかかった時間は一秒にも満たない。人間に視認することは不可能な速さ。それ故の異能力と言えるだろう。
振り下ろされる剣の軌道には淀みもなく、リッキーには敵わぬとも大きく劣っているわけではない。
その証明として、綺麗な曲線を描く軌道が幻視できた。ライの首が断たれ鮮血が迸る、それこそが摂理、必然と断言できる。
しかし、現実はそうならなかった。
ライは瞬間的に迫ってきたアリスに反応して首をひねると、天へと伸びる角で振り下ろされていた剣を弾き返した。
結果、アリスは簡単に弾き飛ばされた。
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