新しい未来は唐突に2
本当に未来はわからない。下手に情報を持っていたから、下手に繰り返す経験を持ってしまったから、そんな当たり前のことを忘れていた。
ああ、こんなにも幸せなことがあるなんて。
いつかきちんと信じられるようになったらいい。
1
目を開けると、そこは薄暗い旅館の一室だった。体を起こそうとして、全身が打撲の痛みできしむ。起き上がるのを断念して、月明かりの中部屋を見回した。
私が泊っている部屋と同じつくりで、一瞬自分の部屋かと思ったけれど、どうやら違うらしい。私が寝かされている布団と離れていない壁際で、彼が寝ていた。
正確には、壁に寄りかかって膝を抱え込み、頭を膝に押し付ける体勢で居たのだ。月明かりに浮かび上がる彼は、たとえ頭しかまともに見えなくてもとても綺麗だった。
ぴくりと彼が動く。視線で起こしてしまったのかと思ったが、彼は寝ていなかったようだ。苦しげに歪められた表情が、私と目が合った瞬間により厳しいものに変わった。
それに身をすくめる間もなく、彼が起き上がって私に抱きついてきた。瞬きをする暇もないくらいだった。
締め付けられ、打撲の痛みが走ったところでようやく我に返った。小さく呻くと力が弱まる。離されはしなかった。
2
「あの、無明さん……?」
「……」
「えーっと……、私が崖を落ちてからどうなったか、知りたいのですが……」
「分かった」
抱きしめられたまま、そっと彼の背に手を添わせて名前を呼ぶ。微かに抱きしめる力が強くなった。ずっと無言の彼――無明――に問いかけると、やっと口を開いたが、抱きしめる腕は緩みもしない。困惑したまま状況の説明を聞くことになった。
まず、私が崖から落ちた原因は、小鴉天狗たちの人ならざる力で起こされた突風だということ。それだけなら、しゃがみこめばやり過ごせる程度だったのだが不運にも私が丁度腰を浮かせていたため、落ちることになった。小鴉天狗たちとしても予想外だったとのこと。
私が落ちた結果、予想外のことに慌てふためいた小鴉天狗たちに、ぶち切れて妖怪として覚醒した先輩と、その彼氏さん、そして一気に理性を捨てた 無明がたたみかけて決着をつけたらしい。
私がいなくなった瞬間になんてカオスになっていたのか。驚きを通り越して呆れである。しかも、「前世」の情報によると、先輩の覚醒はまだ先ではなかったのか。
いろいろと混乱するようなことばかりだ。
3
無明は顔を隠したまま続ける。
「お前の姿が突風で消えた時、小鴉天狗を消さなきゃって、思った……」
震える声に、思わず無明の背中をさすっていた。
「俺は……、お前が、灯がいないと生きている意味がないとさえ、思った。初めて、恐怖を感じた」
無明の言葉に思わず手が止まった。今、ものすごくものすごいことを、告白を、されなかっただろうか。
「灯……?」
「無明さん、その言い方だと誤解しちゃいますよ。まるで、私を好きだ、と言っているみたいです」
「すき……?そんな生易しいものじゃない。これは……」
「『食べてしまいたい』ですか?失うならいっそ、『自分の血肉にしたい』、ですか?」
「……!」
言葉に詰まった無明の言葉を引き継いで言った。この言葉は、「前世」の情報にもあったけれど、先輩の彼氏さんから先輩が言われていた言葉でもある。つまり、妖怪にとって最上級の愛の言葉ということ。
「それ、人間は『愛している』っていうんだと思いますよ……?」
「あい、している……」
無明は黙り込んでしまった。それでも腕が離れないのは、私がしがみついているからだけだなんて、思いたくない。
どうか、信じさせてほしい。
4
「俺は……、人間のことをよく知らない。でも、お前は、灯だけは少し知った。人間が言うところの愛している、ことなのか、知るためにもっとお前を知りたい」
彼が出した結論はこれだった。私はただ頷いた。私も信じられなかったのかもしれない。無明に執着されていることが。
「偉そうなこと言って何なんですけどね。私、恋愛したことないんです。あなたに、無明に対する気持ちがきちんと恋なのか、それこそただの執着なのか、私も知りたい」
言葉を切って、つなげる。
「だから、これからも、いえ、これからはもっとずっと一緒にいて、お互い知って行けばいいんじゃないでしょうか」
そう言うと無明はやっと顔をあげた。不安げな表情は、もう悲しげな目をしていない。すがるよう熱があった。この時私は確信した。「彼」はもう、違う未来へ向かっている。あの悲しい、救いたいと願った彼はもういない。
これは、彼を救えたということなのではないか。少なくとも私はもう、彼を救いたいと思っていない。
私たちは、ただ、お互いの熱を確かめるように抱きしめあっていた。
5
夜が明けて、部屋の外に待機していた先輩に抱きつかれた。無明が頑なに拒否していたらしい。何故に。
打撲以外たいしたケガもないことを伝えると、先輩はほっとしたように笑った。彼氏さんは先輩を支えて良い笑顔だった。私の回復を祝した笑顔だと信じたい。
無明も当然その場にはいて、改めて決意したように先輩と彼氏さんに告げた。
「俺はもう、お前らを巻き込むことはしない」
「つまり、僕たちを試すようなことはしないということか」
「そうだ」
「信用できないのだけど」
無明は先輩の言葉にも頷いて、さらりととんでもないことを告げた。
「俺は、と言ったはずだ。妖怪全体は変わらないし、おそらくまた違う奴が、俺とは違って完全に妖怪の、容赦ない奴が出てくると思う」
先輩はよくわかっていないようだったけれど、彼氏さんは盛大に顔をしかめた。
「それって先輩の命がより危険な目に合うということでは!??」
突っ込んだのはもちろん私である。そして無明は無情にも頷くのだった。
私は彼氏さんと無明を見渡し、決意を込めて口を開いた。
6
「無明と彼氏さんが協力すればいいと思います!」
二人から何言ってんだこいつという視線をもらったがめげないよ!
私は「前世」の情報も踏まえて、ついつい直情的に行動しやすい妖怪気質な二人に、絡め手を提案した。
無明は今まで通り、命を奪わない程度の試練をぶつけ、その間に妖怪たちの意識改革をするということだ。もちろん、無明には難しいので、彼氏さんの出番である。
彼氏さんは先輩を連れてまずは仲のいい妖怪から意識改革をしていく。最初は半妖だからでいい。最終的に平和的解決まで、人間がいてもいいかぁ、くらいまでもっていければいいのである。使えるものは何でも使え。
この話を聞いて、乗り気になったのは先輩だった。うまく彼氏さんの気持ちを操りだした。末恐ろしい。
残るは無明である。私は身長差のある彼を見上げた。無明は不自然に息を詰まらせると、渋々ながらもうなずいてくれた。
「あいつと組むのは心底嫌だけど」
「それは僕もおなじだ」
お互いに嫌そうだけれど、これでどうにかいい方向に動きそうだ。
私は本来の目的も達成できそうだ、と思い切り笑顔を浮かべたのだった。