おおいなるおっせかいの話1
第1章
『俺は、あいつに恋愛感情は持っていない』
『――これは、恋愛感情じゃない。執着だ』
『恋愛感情だったら――』
『いつか、あいつと恋人になれただろうか』
とある物語の、一節。私はこみ上げる涙を堪えながら、このセリフに同情した。分かっている。同情は褒められたものではないし、そもそもこれは虚構の出来事である。感情移入のし過ぎはよくない。
でも、彼を救いたいと願ってしまった。
1
どん、と言う衝撃が体を貫いた。一泊おいて体が傾ぐ。
そんなことはどうでもよかった。
頭の中に、いくつもの映画を同時に見ているかのように様々な映像が流れる。とある女性が眠っていた才能を目覚めさせながら事件と、それに関わる伝承の謎を解き明かし、最終的に協力関係にある男性と恋愛を成就させる物語だ。
「今思い出すなんて、遅いよ」
小さなつぶやきは意味がない。誰にも聞きとられず、私を救うわけでもない。
体から力が抜けていく。床に倒れ伏しても、誰も気にも留めない。それどころじゃないのだから当然だろう。今私は、銃殺された。正確には死にゆく所だけど。
犯人は、若い男。無表情で、悲しい目をしている。
ああ、ここはあの物語の世界だったのだ。
犯人の若い男。彼こそが、私が同情し、救いたいと願った人。
でも、今更、遅い。
ゆっくりと、瞼が落ちる。
2
目を開ける。低い天井はところどころ黄ばんでいて、さすが安アパートだ。
「お、おそい...」
今しがた思い出したのは、一回目の記憶。正確には「二回目の人生」の一回目だが。ややこしい。とりあえずそんなことは置いておこう。重要なのはそこではない。
今日は私が一回目の「二回目の人生」――ややこしいので「今生」にしよう――で死んだ日の朝である。つまり、記憶の通り死ぬのだとしたら全く時間がない。その上、目標は死なないことではなく、彼を救うことなのだから、余計に絶望的だ。
「どうしよう」
どうしようもないので、とりあえず今日の準備をしなければならない。
そして、運命は決まりきった筋をたどり、私は撃たれた。違うのは気分で変えた服装と、撃たれた場所。一回目の「今生」では、ショッピングモールの吹き抜けの一階で撃たれた。犯人は上階から無作為に私を狙ったのだと思う。今回は同じフロアだった。私の方が意識的に場所を変えたのだ。どうせ死んでしまうなら一度くらい話したいと思って。
けれどそれは実現しなかった。犯人はもちろん前回と同じ人物で、同じように無表情で悲し気な目をしていた。そして、私を撃った後、たいして見向きもせずに去ってしまったのだ。
(やっぱりだめだった)
撃たれて倒れて、去っていく彼を見つめながら考える。彼を救いたいと願っても、彼とは知り合いですらない。会ったらすぐに私が死ぬのだから、当然と言えば当然だけど。せめて知り合いにでもなれなければ彼を救えない。
そんなことを考えながらも、瞼は落ちていく。
3
私は瞬きをした。前触れもなく、「一回目の人生」――「前世」――と二回分の「今生」が上映され、私は喜んだ。もう一度、できるのか、と。
けれど、やっぱり遅い。
「一週間後がタイムリミット……、どうやって知り合いになれと」
安アパートの自室でつぶやく。私の頭が客観的に見ていろいろおかしいのは認めよう。それでもこんなチャンスがあるなら活かしたい。しかし、いくら考えても、あんな事件を起こす人が、一週間でド素人が探偵のまねをして見つけられるような潜伏をしているとは思えなかった。
あの事件で私は一番最初に殺される人間だ。でも、「前世」の情報はある。彼は突発的な殺人事件は起こさない。それに、私は彼を彼と認識したが、「前世」の情報では、犯人はわからずじまいである。
正確には、この事件が皮切りとなって数々の事件が起こるので、あの事件では捕まらない、ということだけれど。この事件を含め、一連の事件に必ず巻き込まれる主人公の女性が、その理由を伝承とともに解き明かすのが物語の流れだったのだ。
理由の一端は彼の執着である。それは初めから歪んでいたけれど、外的要因でさらに歪んでいき主人公の彼女とは結ばれなかった。それはファンブックや設定上からして有り得ないことだった。だからこそ、私は彼を救いたい。
決意を新たに、物は試しとインターネットを利用したり、物語ゆかりの地をうろついたりはしたけれど、結局彼を見つけることはできなかった。私はやっぱり半分、悔しさ半分で事件の日を迎えた。
待ち合わせていた友人と挨拶を交わす。会話もそこそこに、私たちは二手に分かれ買い物にいそしんだ。私も前の二回と同じように欲しいものを買っていく。その内容すらいっしょなのはどうかと思うけれど。
そして、前回――二回目の「今生」――と同じように彼がいるはずのフロアに向かった。人々に紛れる服装をしていても、彼ならすぐに見つけられる。ああほら、目が合った。
悲しい目。
私は、つい、微笑んでしまった。
彼は無表情で悲しげな目をして、私を認識した。訝し気に彼の表情が動く。
前回までにはなかったこと。
けれど、彼はさっと顔を隠すと、素早く銃を構えて、私に照準を合わせた。
私の表情は変わらない。ただ、微笑んだまま。
どん、と衝撃が走る。
ゆっくり体が傾ぐ。
できるなら、もう一度。かれにあいたい。
4
うたた寝から目を覚まし、腕に顔を伏せたまま動けなかった。四回目だ。にやける顔が抑えられない。こんなの不審者だ。
致し方なく寝たふりをしたまま、講義に耳を傾ける。顔が落ち着いたらきちんと受けよう。だから教授、許してください。
浮かれてしまうのも仕方ない。何故なら今はあの事件まであと一か月と言うところ。前回までよりは希望がある。
とは言え、現役大学生なので講義をおろそかにもできない。生活のためのアルバイトだって欠かせない。
私は現実を見て気持ちが落ち込んだ。
一か月の中、自由に動けるのはおよそ十日ほど。思ったよりも厳しかった。
それでも全力で探し回って、やっとヒントらしきものを見つけた。街中で偶然、彼を見かけたのだ。もちろんすぐに追いかけたが、すぐに見失ってしまった。
あの事件まで残り三日と言うところである。見つけたはいいが、これでは仲良くなることはできないだろう。がっかりしつつも自棄にはならなかった。自分でも不思議だ。
そして運命の日は訪れ、何の進展もないまま私は目を閉じた。
5
五回目はアルバイト中だった。他のアルバイトさんとの雑談中に、突然の上映が始まったときは焦った。その時の自分がどうだったのか正直覚えていない。何も言われなかったので何もなかったと思いたい。
さて、今回はあの事件まで三か月ある。今度こそもっとまともに対策ができるのではないだろうか。
現実を見つつ、対策を練る。まず、一週間、前回あの事件の前に彼を見つけた場所を張る。見つけられれば接触し、見つけられなかったらまた探すことから始まる。ここは地道に行かなければなるまい。一週間まるまる大学をさぼるのは、この際は仕方ない。もし死ななかった場合が怖いけれど。
一日目、彼は見つからなかった。二日目も見つからない。三日目に見かけたが、信号のタイミングが合わなくて、結局見送ってしまった。けれどこれは朗報だ。何とか仲良くなれるかもしれない。
それから七日目まで、彼は見つけられなかった。
さすがにこれ以上はさぼれない。これは曜日が関係しているのかもしれない。だがしかし、そう甘くはない。その日はがっつり講義が入っている。どっちを取るか。悩ましいところである。
結局、講義をさぼることもできず、何度か彼を見かけても追いかけることもできず、三か月経ってしまった。悔しい。あの時信号が変わっていなければ。
そんなことを言っても意味がない。泣く泣くあの事件の日を迎える。
どうにか話そうとしても、彼は前回までと同様に目が合った瞬間に私を撃った。無表情と悲しげな目は微動だにしない。
どうにか彼と話したい。そんなことを思いながら、目を閉じた。
6
六回目は再びベッドで夢のように思い出した。心が浮き立つような気もしなくはない。あの事件から六か月前。実感がわかないのだろうか。
今回はちょうど長期休みで、まだ講義の選択をしていない。あの曜日は絶対に授業を入れないと決心し、だらだらと日々を過ごす。言い訳をさせてほしい。長期休みだからと余裕をもって一週間、例の場所に張り込んだのだが一度も彼を見かけなかったのだ。もしかしたら、まだ事件の計画も立てず、例の場所に行く理由がないのかもしれない。
そんなこんなで、あの曜日にだけ様子を見に行き、彼がいないことに落胆しながら三か月を過ごした。そうしてあの事件まであと三か月と言うところで、やっと彼と接触することができた。努力が実を結んだ瞬間である。
正直、あの事件への緊張感も湧かなかったし、彼を救えるかも、と言う嬉しさも前回までよりは感じていなかったが、今は心が浮き立っている。今度こそ、救うまでいかなくても、知人にはなれるかもしれない。
どうにか仲良くならなければ!