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暗闘・プリンセスチェリー  作者: 伊藤むねお
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車中の恐怖

 鎌田はひどく考え込んでいた。だから目の前のナイフを見ても、すぐには何が起きているのかわからなかった。考え事に没入していた為に視神経が働かなかったのか。ナイフを握っている毛深い手から腕、そして肩へと徐々に視線を上げてゆき、幅広い肩の上に乗っている顔を見た。その男のサングラス越しの目を見て、ようやく自分がのっぴきならない状況にあることを分かった。


 な、なんの用でしょう。


 鎌田は腰をずらしてナイフから身を引きながら、状況としてはずいぶん間抜けた問いを発した。しかし、男は答えずナイフの切っ先をぐいっと鎌田の喉先につけた。

 ちょっとちょっと、といおうとしたがそれは声にならなかった。鎌田は少しでもナイフから距離を取ろうと頭をガラス窓にこすりつけながら助けを求めて周囲に視線を走らせた。

 ここは電車の中である。左右にも前にも乗客は大勢詰まっている。しかしナイフ男の隣の吊革の男は目をついと上の広告にそらしてしまった。その背後で大声で話をしていた二人連れの男達も、鎌田が声をだしたときは振り返ったのだが、それだけだった。それのみか薄情にも直ぐ話の続きを始めていた。

(だから、俺はね、ガツンといってやったんだよ)

(おほう、えらいね。それで?)

 徹底的に知らぬふりをしようということらしい。

 次に鎌田は、自分の左に座っている男に体を強く寄せた。ナイフから少しでも逃れたかったのと、むろん助けが欲しかったからである。しかしなんということか、その乗客は逆に押し返してきた。これもまた関わり合いになるのはご免ということのようである。

 右隣に座っているのは女だった。鎌田は今度はそちらに強く体を寄せた。この際、痴漢と思われようとも構わない。その女がナイフに立ち向かわなくてもいい。悲鳴をあげてくれるだけでいいのだ。しかし、その女の反応も左側の男と同じだった。硬い肘を尖らせて押し返してきた。

 ど、どうしてみんな知らないふりをするんだ。

 鎌田は、自分が宇宙の暗黒にぽつりといるように感じた。歯ががちがちと音をたて、口があっというまに干上がり全身を冷たい汗が包んだ。

 いったい、どうして・・・??

 そのとき喉に突きつけられていたナイフがすっと引かれ、ぱちりという音と共に男のコートのポケットにもどった。

「思いだしたか」

 電車の騒音をかいくぐって低い押し殺した声が鎌田の耳に達した。

 なに? 

「忘れたわけはないだろう」

 鎌田はその声と抑揚に記憶を刺激され、これまで怖くてよく見られなかった男の顔を初めてよく見てみた。

 ・・・えいご、か?

「そうだ」

 冷や汗が引き体が熱くなったが、質の悪い悪戯に対する怒りの感情は出てこなかった。恐怖心でよほど深く押し下げられていたのだ。

 ひ、酷いことをするじゃないか。

 鎌田は頭を窓ガラスから離すと、頬と舌をせわしなく使って急いで唾を掻き集めた。しかし怒りの大波がやっと到着したその時、網棚まで伸びた男の両手が勢いよく振り下ろされ、集められた唾はそれっきりとなってしまった。


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