表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暗闘・プリンセスチェリー  作者: 伊藤むねお
62/65

哀しいプリンセス

「お嬢。負けちゃったのかな」

 恵比寿は首をかしげていった。

「ねえ、千崎さん。お嬢は負けちゃったんでしょうか」

 千崎は返事をしなかった。

「恵比寿さん。仕事が飽きたのならお先に帰ったらどうです」

 うしろから筒井がいった。

「生意気をいうな、馬鹿。おまえだって気にしているくせに」

 恵比寿は機嫌が悪かった。

 馬鹿だなんて、と筒井はむっとしたようだった。

「いいセンいってると思っていたのにな」

「忙しいんだよ、主任は。何でかわからんが珍しく早く帰ってしまった日が何日かあったしな。二週間後だよ、出発は」

 千崎はそういい、ぱたりと音をさせて分厚い論文集を閉じた。

 八時を過ぎており、陽子は既に退社していた。その肩を落としたうしろ姿は見るに忍びないほどだった。伊能はまだラボから帰ってきていない。この連日、十時を越えるまではオフィスにもどらない。家には帰ってないらしく朝は六時にはもうラボにいる。三人が話題にしたように、伊能の陽子に接する態度はすっかりもとの黙阿弥にもどっていた。

(お話があるのですが)

 陽子がそう語りかけでも、伊能は、(仕事の話ですか)と、陽子が唖然とするほど冷淡にいってのけるのである。

 そういう応対はここでは伊能の本領とでもいうべきことで、所内の誰も怪しむものではない。かつては陽子自身も何度かそれをいわれたのである。

 しかし、私だけはもう別のはず。

(うちの娘をおだてないでくれよ)

 鳥井の個展会場で悪戯っぽく友人にいったあれは一体なんだったのだろう。人間ってこうも別人のように振る舞いを変えられるものなの? 変人? 奇人? ジキルとハイド?

 幾たびも脳裏に浮き出たその文字を、陽子はしゃにむに追い払った。

 そんなはずはない。これには必ずわけがある。私の知らないわけがあるんだわ。

 鳥井に連絡を取ってもどういうわけか通じない。いつも留守電だった。

 きっと伊能さんにいわれているんだわ。苦しい。とても苦しい。なりふり構わず自宅に押し掛けてみようか。 

 そう思ったこともあった。しかしそれはできなかった。もしも戸口で冷たくあしらわれたらどうする。それこそ決定的ではないか。陽子はそれを死ぬほど恐れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ