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暗闘・プリンセスチェリー  作者: 伊藤むねお
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毒の花

「立花さん。鎌田さんが妹さんを殺した犯人だということを山崎から聞いたのですね」

「はい。そんな気の毒なことがあったさえ知りませんでしたから、みんな本当にショックでした」

「そうでしょうね」

「先生には裏切られたと思いました。ですから座長の怒りはわれわれにも共感するものがあったんです」

「でも立花さん。その話、疑わなかったのですか」

「は? でも当時の新聞記事をみせてもらいましたし」

「いえ。事件があったのはそのとおりですが、その犯人が本当に鎌田さんかどうかをです。疑いませんでしたか」

「え? し、しかし」

 立花は怪訝そうな顔になった。

「胸像の胸の下に大きな黒子とみえなくもない膨らみがあるのはたしかです。私も見ました。そして妹さんにほぼ同じ箇所に大きな黒子があったのも事実です。当時の記録にそう記載されています。ただし大きな嘘がありました。ネックレスです」

 立花の目と口が不安げに動いた。

「妹さんのネックレスが紛失したという届け出があったのは立花さんが山崎から聞いたとおりです。それらしいものが壊した石膏の中にあったというのも事実のようです。しかし、それが本当に妹さんのネックレスかどうか、どうして分かるんですか」

「し、しかし、座長がそう・・・え?」

「これといった特徴があるものじゃありませんよね」

「でももし偽物だったとしたら、先生はなぜなんのためにこんな・・・」

「それなんですがね。そのネックレスを胸像の中に入れたのは鎌田さんではないんです」

「は?」

「山崎なんです」

「え? どういうことですか・・・わかりませんが」

「山崎が複製の胸像を作らせたのは知ってますね」

「ええ、そう聞きました」

「山崎がそれに入れさせたんです」

「え?」

「まだわかりませんか? あなたがたの目の前で壊した胸像はその複製の方だったんです」

「えっ・・・まさか、そ、そんな」

「間違いありません。河川敷から石膏の粉末を採集して調べました。それはほんの数ヶ月前に作られた新しいものでした。鎌田さんの家に今もあるのが元からの物です。われわれが調べましたがそれにはなにも入っておりませんでした」

「それじゃ・・・」

「つまり、鎌田さんが山崎の妹さんを殺したという証拠などはどこにもないのです」

「す、すると、座長は私らを巻き込むためにそんなインチキをしたというわけですか」

「はい。そう考えるのが正しいかと思います」

「ネックレスを持ってたのは座長?・・・それじゃ、座長が犯人だということですか。座長はどういっているんですか」

 立花の頭がやっと働きだしたらしい。

「山崎の自宅でそのネックレスをみつけたのですが。鑑識の結果、三年前に作られたので、本物じゃありません。また、山崎も取り調べができる状態ではありません」

 立花はがっくりとうなだれた。

 山崎は心身の消耗が激しく重症に陥った。そのため警察は医師の勧告に従って取り調べを猶予していた。

「立花さん。今、社会では現行の少年法が加害者を保護しすぎているとして法改正をしようとする運動があります。知ってますね。鎌田弁護士はその運動に全力を注ぐ決意でおりました。これまでの弁護活動でなにかしら思うところがあったようです。その資金を捻出するために家屋まで抵当にいれてました。そのことを山崎に話し、ついては劇団の支援をうち切らせて欲しいと申しいれたんです。山崎は困りました。専用の稽古場を持とうとしていた矢先でしたからね。ふたりは何度も話し合ったようですが、鎌田さんの決心は変わらなかった。そして三月、山崎は胸像のわずかなでっぱりに気がつき、それを境として鎌田さんを疑うようになった」

「はい。そう聞きました」

「本当にそうでしょうか。鎌田さんが支援打ち切りを最初に山崎に申し入れたのは五月なんですよ。私はこう思うんです。三月のそれはそれは半信半疑にもいかない、自分でもほとんど意識に登らない程度の極々小さなものだったのではないかと思うんです。そもそも冷静に考えれば、それは鎌田さんの無実を証明するものだと考えるべきものではありませんか。もし自分が山崎杏子殺しの真犯人ならば、どうして山崎の目に触れるようなところにそのような物を出しておくでしょうか。しかし、支援打ち切りで生じた憎しみで山崎を盲目にし、ごく小さな芽だったものを毒の花として開かせてしまった。立花さん。経験がありませんか。憎悪の感情というのは醜いものです。それを自分に納得させ正当化するために些末なものまで次から次へと連れ出してきて、思えばあれもけしからん、これもけしからんとしてしまう」

 山崎はいつしか鎌田が妹殺しの真犯人であるという自分の創りだした妄想を真実のものとして、そこから発酵して出てきた報復という悪酒に酔ってしまった。その酩酊から生じた、妹がかつて味わった恐怖を鎌田にも同じ状況で味わせてやるというアイデアは演劇人山崎にとっては、甘美なものだったのかもしれない。

「しかし普通は思ってもそうはできません。しかし劇団の主宰者であり指導者であった山崎の場合だけは特別でした。大勢の自分の育てた役者さんたちがいて、なおかつ箕田さんの死体遺棄に関わったことで負い目があり、またそこからでた麻痺から野稽古を複数もし、そのことで悪い絡みができた。そして、山崎の申し出に正面切って拒めない、という状況が生まれた。立花さん、ここまではいかがですか」

「はい。刑事さんのいわれるとおりです」

 立花は深々と頭を下げた。

「ネックレスのトリックを考えついたのは胸像の膨らみだけでは皆を説得するのに心許なく、もっと強い誰もが共感しうるものが必要だったと考えたからでしょう」

「・・・そうだと思います、・・・しかし」

「はい?」

「座長はどうしてあそこまで、鎌田先生の命を奪うほどまで・・・わかりません」

「私にもそれはまだわからないのです。立花さん。山崎はいつごろ具体的な計画を思いついたのでしょうか」

「わかりません。十月に石膏を壊したときに初めて打ち明けられました」

「そうですか」

「座長は妹さんをよほど愛していたのでしょうか。刑事さんがおっしゃるようにそれが妄想であっても」

「そうばかりともいえないのです。さっき山崎は怒ったといいましたが鎌田さんもまた怒ったのです。丁寧に説明しているのに山崎はどうしてわかってくれないのだ。これまでのことを感謝されこそすれ、ああまで責めたてるとはなにごとだと。実際、山崎は口を極めて鎌田さんを罵ったそうで、奥さんの証言があります。一度などは玄関で鎌田さんの靴を力一杯踏みつけて帰っていったそうですが、そういう人なんですか」

「いや・・・しかし、滅多にはないのですが、本当に怒ると思い切ったこともやる人でした。私がいうのもおかしいのですが演技と実際がわからなくなるようなところが稀にありました」

「鎌田さんは自宅に貼ってあった今度の公演のポスターを破り捨ててました」

 有田がビニール袋に入った小さな紙片を秦に手渡した。

「これは鎌田さんの書斎の屑籠から発見されたポスターの隅の部分ですが、止めた画鋲の穴が切れてますね。相当に激してなければこういう破り方はしません。ですから、山崎から罵倒され、あまつさえ劇団の皆さんから総掛かりでああいう仕打ちを受けたことを知れば、冗談では済まさなかったでしょう。著しい精神的な苦痛を受けたとして告訴も辞さなかったかもしれません。鎌田さんの怒りとその対抗措置を予測できた山崎としては、あそこまでやる以上、鎌田さんを生かしてはおけなかった。どうですか? そういう推理もなりたつのではありませんか」


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