弱気
「バーディ」と題する芝居は、私鉄近郊電車で各駅停車のはずの列車が、駅をひとつスキップしてしまったという幕開けから始まった。
○第一幕
――鶴川駅ホーム。先頭車両運転室前。
――停車した駅のホームで、スキップされたためにおりられなかった乗客や、騒ぎを聞きつけた野次馬たちが集まってくる。
――運転士が呆然と運転室の扉を開けてホームにおりる。駅の助役が下手から血相を変えて出てきて運転士に詰め寄る。
助役「なにをやってるんだ。困るじゃないか」
運転士「だって駅がなかったんですから」
助役――唖然と――「ば、馬鹿をいうんじゃないよ。とばされた瑞穂駅から猛烈な苦情がきてるんだ」
運転士「そういわれても本当なんですから。前の柳木駅を出たらなんだか白い綿のような霧が出てきて、こいつは注意しなくちゃと思って前も横もよくみてたんです。駅について普通に停車してやれやれと思ったら、もう鶴川じゃないですか。びっくりしましたよ。ほらー車内電話を助役につきだしー車掌もそういってますから。聞いてみてくださいよ」
助役――いらいらして足を踏み鳴らす。「車掌? 阿呆の千坂だろう。あんなやつ。君なあ、いうにこと欠いてどうしてそういう馬鹿なことをいうんだ。よしわかった。本部に報告をして君らは明日からはトイレ掃除だ」
運転士「そりゃないです。じゃ、いいです。もどします。バックさせます」
――それはいいと一部の乗客が手を叩く。
助役――地団駄踏んで「馬鹿々々!」
――乗客は、バックだバックだと声を合わせる。助役は困惑し野次馬をなだめにかかる。
――取り巻いていた乗客の中からゴルファースタイルの体躯のいい壮齢の男が出てくる。
ゴル「助役さん。運ちゃんの言い分もちゃんと聞いてやったらどうなんだい。一方的なのはいけないよ。俺からも教えておくけど、運ちゃんのいってるのは本当だよ。駅はなかったんだ。「な、みんな」と周囲の乗客に同意をもとめる。運転士は喜んで手を叩き、二人連れの若い女性が大きくうなずく。
女A「そうよ、このおじさんのいうとおりよ。駅はなかったわよ。私とっても疲れてる。今日は大変だったんだから。舞台で転んだのよ。早く帰ってお風呂に入りたいわ。バックさせてよ」
助役「鉄道でー頭を抱えーひと駅分をバックだなんて。そんなことができると思ってるんですか。止してくださいよ。それにおかしいじゃありませんか。駅がないのならバックしたって意味がないでしょ? でしょう?」
女A「あ、開き直ったわ、このおじさん。だったら私どこで降りたらいいの。そうだ、パパに電話して、ここまで車で迎えに来てもらえばいいんだわ」――携帯電話をとりだす。
ゴル――女Aに向かって「あのね。おねえちゃん。そんなノーテンキなことをいってどうするの。駅がないなら家だって無いよ。電話通じたかい?」
女A「おかしいわ」――首をかしげる。
ゴル「ほらな? 通じないだろう?」
女Aー電話を手にしたまま「そんなあ。どうしよう、お姉さん」――女Bにしがみつく。
女B――どれどれと携帯を盛んにいじり、次には自分の携帯を操作するがそれも不調のようでしきりに不思議がるー。
ゴル――輪からはなれて聞いていた初老の紳士に向かい「ね、先生、なかったですよね」
先生ー困惑したように「いや、私は少し考え事をしてましたから、なんともいえません。有ったとも無かったとも。でも、私を先生だなんて。あなたはどうして知っているんです」
ゴル「そりゃ知ってますよ。よく瑞穂駅で会うじゃないですか。学生達が挨拶をしているのをみてるもの」
――ホーム上に奇妙なやりとりが流れ、ともかくも電車は運転手が不満のまま次の駅に向かって出発する。音と明滅する光で電車が次第に速度をあげて退出するさまを表現。
――降りた乗客達はなかなか輪を解かない。助役は観客席に向かい、複雑な苦悩の色を浮かべてみせるがやがて決心する。
助役「わかりました。みなさんは決着をお望みのようだ。それでは決着をさしあげましょう。駅の会議室にどうぞおいでください」
ゴル――先生の腕を掴まえ「へっ、聞きましたか。助役のやつ。決着を差し上げましょうなんてほざいてますよ。だったら貰おうじゃありませんか。先生、さ、行きましょう。こりゃあ面白いや」――気が向かない先生を強引に連れてゆく。
女A「お姉さん、あたしたちも行きましょうよ。ああいう頭の固いオヤジは一発ガンとやってやらなくちゃ。駅のひとつやふたつがないくらいでなによ」
――助役を先頭に、輪を構成していた十数人の男女がぞろぞろと下手に向かって歩きだす。ホームを左右に通り過ぎる人やベンチに座って次の電車を待っている老若男女。一団が下手に消えたところで一幕は終わった。
「ずいぶん登場人物が多いな」
鳥井がさりげなく前に体を倒しながら、伊能と陽子の隙間で囁いた。
「運転士が牧山ですよ。うまいメイクだったが、陽子さん、どうですか」
陽子はゆっくりと、しかしはっきりと首を縦に振った。それと、と鳥井は続けた。
「背の高い方の女性、陽子さんにたしかに似ている。メイクを取ればもっと似ている。なかなかきれいだ」
伊能が小さくうなずいた。
〈きれい〉じゃなくて〈似ている〉に同意しただけかも。
陽子はすっかり弱気になっていた。




