伊能の申し出
「逮捕に向かうときには私も同行させてください」
伊能がそう申し出たとき佐野は首をかしげた。
「伊能さん。ヒトマロの時もそうでしたが、なにか特に理由があるんですか。もしそうなら、差し支えなければですが聞かせてもらえないでしょうか」
佐野は慎重な言い回しでそう問い返した。
伊能に世間の耳目が集まらないようにする。私生活の詮索はしない。遠山と伊能がかわした約束は佐野たちにも継承されていた。公にはなっていないのだが、警察は伊能に対して大きな恩義がある。そうでなくても、伊能の人となりを知った今は進んでそうしてやりたいと思っている。
しかし、その伊能が自ら捕物に同行させて欲しいと申し出たのだから佐野が首をかしげるのも無理はない。かつてヒトマロのマンションに踏み込むときにも伊能はそう申し出が不思議だった。結果的にはヒトマロを捕らえ、堺の監禁場所の情報をもってきた。伊能は誘拐された兄(堺公人)を救って欲しいという同じ団地に住むひとりの妹静子の頼みで、自分から遠山に接触をして来たのである。しかし、今回は伊能が誰かになにかを頼まれたとは聞いていない。
(わからん)
しかし、佐野がわからないのも当然で、伊能は山崎を見たいのではなく山崎に自分を見せたかったのである。実はヒトマロのときもそうだった。
ここにもうひとり良き理解者がいた。老練というには気の毒な四十半ばの男だが、その柔軟な思考方法や深い人間洞察力に周囲が一目置く、秦信次警部補である。
秦は伊能の申し出をやはり小首を傾げて聞いていたのだが、伊能が返事に困り佐野ともども子どものようにしているのをみると、心中でくすりと笑い、助け舟を出してくれた。
「参事官、私はよろしいのではないかと思います。劇団員全員を一斉拘束するとなればかなりの人数を動員しなければなりません。それでも全員そこを動くな。動いたものは撃つぞ、と西部劇のようにやるわけにもいきません」
「秦君。そこは、そうだ」
近藤が同意した。
「一部の団員は混乱に紛れて逃亡する恐れがあります。なにしろ変装の名人が揃っているのですから」
「うん。そこもそうだ」
近藤が再び同意した。
「そのときに、チェックされた人間たちの識別に伊能さんと鳥井さんが加わっていただけるのなら、われわれとしてはこんなに有難いことはありません。伊能さんは謙虚な方だからそうはいわれませんが、そういうことでのお申しでだと私は思いますよ」
さすが秦さんだ、助かったと佐野はほっとした。しかし近藤はそうはいかない。ぱんとテーブルを叩くとこう言った。
「秦君。なるほどだ。ここまでいってくれる民間人なんて滅多にないよ。有難いことだ。但しだよ。民間人であるおふた方がもしも負傷損害を蒙ったらどうする。こいつは厄介なことになるぜ」
これは正論である。
そうですなあ、と秦も頭を掻いて佐野をみやった。実際はそんな心配は全くないことを佐野たちは知っているのだが、それをどう近藤に説明したものか。




