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暗闘・プリンセスチェリー  作者: 伊藤むねお
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榊刑事

 捜査は難航していた。被害者側からは、仕事の関係からも美術仲間からも殺人に結びつくほどの強い怨恨の線が浮かび出ない。金銭のトラブルも女性に関するもめごともない。なによりも殺人現場がはっきりと特定できないのが痛かった。先頭車両の中央付近に乗っていたという人物が依然として現れなかったのである。

 メディアは、近年麻袋から小豆がこぼれてくる警察の不祥事や不手際を一粒一粒並べてみせ、警察はもはや市民の信頼をなくしている、と有識者や評論家に断定させて警察を悔しがらせた。

 捜査員たちは秦が示唆した新しい事実に結びつく情報を求め、記者やテレビレポータの目を交わしながら被害者と山崎の身辺調査を地道に続けていった。被害者側からは先にも述べたとおり命を奪われるほどの怨恨のセンは出なかった。

 一方、山崎についてわかったことは、劇団は自前の稽古場劇場を持とうと計画していたが銀行が融資に難色を示し始めていること。山崎の老いた母親の病気が篤くなって精神的にも肉体的にもかなりのストレスがあったということだった。

 しかし、佐野は首を横に振った。

「駄目だ。これだけじゃ弱い。ヒトを使っての殺人となればもっと強い動機が必要だ」

 佐野がいうとおり他人を使ってというのは口でいうほど簡単ではない。依頼する相手がいなければならないのは勿論だが、そのためには相当なリスクと資金が必要だ。

「動機と平行して、劇団の内外の男で少ない報酬で殺人を引き受けそうな男が、つまり山崎に大きな借りがあるとかシンパであるとかだが、そういう男が周辺にいないかをもっと徹底して探せ」

 佐野は三つ並べられた白板に隙間無く貼られた諸々の写真や資料をにらみながら檄を飛ばした。

「それと、コロシの現場だ。車内なのか車外なのか。それにしても本当にわれわれはマスコミのいうように本当に市民から信頼されていないのか」

 佐野の最後の言葉は悲痛でさえあった。


 佐野のもとに篠原と榊のふたりが来た。髭の濃い篠原が言った。

「参事官。榊のいうことを聞いてやってもらえますか」

「聞こう」

 近藤や秦も集まってきた。榊は赤坂署の刑事で佐野とは今回が初顔合わせである。二十八才だが色白のせいか就職活動に懸命な女子大生に見えなくもない。白いブラウスの襟を直すと緊張した表情で幹部席の前に立った。

「榊。遠慮はいらんぞ」

 近藤が励ました。

「はい。わたし、どうしても電車の中で殺害されたんだと思うのです。それなのにどうして目撃者が出ないのか、とても不思議です」

「ああ、不思議だな。それで?」

「新聞が書いているように、警察が信用されていないということはないと思うんです」

「うん」

 そう思いたいのだが・・・

「わたし絶対に信用されている、という前提で考えてみたんです」

「!」

 佐野の視線が止まった。

「だったらどうして目撃者が現れないのか。ひょっとすると、やっぱり誰も目撃していないからではないかと思うのです」

「現場は車内ではないといいたいのか」

 近藤がいった。

「いえ、そうではありません。いつもならあの時刻にあの辺りに乗る人達が、なにかの理由であそこに乗らなかった、というよりは乗れなかったと考えたらどうなのでしょう」

「ん!」

 佐野がイスを鳴らした。指揮官は部下の志気を重んじなければならない。榊に最後までいわせることだ。

「それで?」

「乗れなかった理由をひとりひとりに聞いてみてはと思うのです。私、こういうものを作ってみました」

 榊は手に持っていた紙を佐野に差し出した。

 ー♪♪♪ お勤めご苦労様です。皆さんの中でいつもこの辺りに乗るという方がいらっしゃいましたら、改札口で駅係員にお申し出下さい。よろしくご協力をおねがい致します。皆様の警視庁。(有楽町線永田町駅殺人事件捜査本部。tel:XXXXXXX)♪♪♪ー


「これを新木場から桜田門の駅までの間で、午後八時から九時までの間に、池袋方面行き先頭車両の中央の扉から乗り込んできたお客さんに配るんです」

「なるほど、いいぞ榊」

 近藤も意図がわかったようである。

「そしてこうだ。駅に捜査員を置いて、十一月二十八日金曜日、事故のあった日、一両目に乗らなかったのかを訊ねる。重要なのは、どういう訳か乗れなかった・・・その訳を捜査員が尋ねるのだな」

「はい、そうです、課長」

「わかった」

 佐野が大きくうなずいて立ち上がった。その顔には決然とした色があった。

「榊、よくそこに気がついた。だがみんなもこれを考えて欲しい」

 秦がうなずいた。

「この案は犯人にミスタッチする恐れがあるのだ。犯人がその紙を読めばこちらの手の内を知ることになり、今後の捜査が難渋し、場合によっては逃亡する怖れもある。しかし私は警視庁が、いや警察が市民の信頼を失っているというメディアの指摘を跳ね返してやりたい。榊が言ったように決してそうではないということを示したい。断行するには本部長の判断を仰がねばならないが、その前に諸君に別の考えがあれば聞かせてもらいたい」

「一議に及ばず。断固やるべしです、参事官」

 真っ先に近藤が強い口調でいった。

「みなもそうだろう? このままでは現場で靴底を減らしてる警察官がたまらんよ。犯人は雪だるまじゃないんだ。よしんばつついてしまったからといって溶けるもんじゃない。言われるとおりですよ。やりましょう」

 残っていた刑事のすべてが力強く同意した。

 遠山は即座に裁可した。裏目に出た場合は俺が責任を取る、と。

「では榊の提案をただちに実行に移す。永田町までいった乗客なら、事件があった電車かどうかはわかっているはずだから先ずそこで絞れる。その前で下りてしまった人もいるだろうが、それはそれぞれの駅の乗車時刻で絞ればいい。篠原と榊が調べたデータが役に立つことになる。文章をもっと練ろう。♪♪♪マークはそのまま使おうじゃないか。可愛くていい。時間は犯行時刻のプラスマイナス一時間以内に永田町駅に到着する電車は全部やろう。新木場、辰巳、豊洲、月島、新富町、銀座一丁目、有楽町、桜田門、それぞれの駅発時刻をリストアップしてくれ。それからそれらの駅のすべてに本部人員を配置して情報提供者の申し出に備える。村木係長は篠原とともにその手配を頼みます。配り役は榊を筆頭にすべて女性を割り当ててくれ。有田などが動きまわればお客は他の車両に逃げる恐れがあるからな。紙ももっと目立たない小さなカードがいいかもしれない。だれか森下を呼んでくれ。あれは文章がうまい。本日は幸い事件の起きた日と同じ金曜日だ。十九時には全員の配置が完了するように。至急」

「了解」

 村木が篠原とともに資料コーナーに走った。

「よかったなあ。榊。金一封ものだ」

 近藤は自分の若い部下の進言が取り上げられて嬉しそうだった。

「榊。課長が忘れないうちに手を出し方がいいぞ」

 有田がそばからけしかけ、榊が調子に乗ってちょっと手をだすと、近藤は素早く百円玉を乗せてやった。

「榊、アメでも買えや」

「あ、ひどい」

 待ってましたという笑いが起きた。


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