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暗闘・プリンセスチェリー  作者: 伊藤むねお
20/65

赤坂署捜査本部

 翌朝、警視庁刑事部長の遠山史郎の前に佐野と秦がいた。

「伊能君にミスターバードとは役者がお揃いじゃないか。私にもひと声かけて欲しかったな」

 遠山はうらめしげな表情でそういった。五十もとうに半ばを越えているのだが髪は黒々としていて顔にも艶がある。

「そう思ったのですが、部長がおいでになって堅苦しくなってもいけないと思いまして」

 佐野は姿勢を崩さず生真面目な顔で答えた。

「佐野君。いってくれるじゃないか。だが事実はこうだな。鳥井君が、私を入れるといえば伊能君が渋るからとそう言ったのだ」

「恐れ入りました。図星です」

 佐野が頭を掻いてみせ、三人はそこで初めて声をあげて笑った。

「よろしい。さて昨夜の事件だが、早速、赤坂署に捜査本部を置くことにする。被害者の弁護士が最近世間の耳目を集めている少年法改正の熱心な推進者であり、所属する弁護士会のお偉方からの要請もあったこと、赤坂警察署長から先に佐野参事官と秦警部補が先着したことに感謝したいと電話があった。これもふまえ、佐野参事官が指揮を取って欲しい。笹本一課長には私から言おう」

 遠山は電話をとった。佐野は心中苦笑していた。近藤刑事課長のたくらみだ。


 遠山は二年前までは警察庁の局長(警視監)だった大物である。それがなぜか降格(警視長)して警視庁刑事部長となった。色々な噂はあるが厳しい箝口令が敷かれており、笹本の情報網にはかかってない。

「笹本課長は了承だ。佐野参事官、直ちに赤坂警察署内に捜査本部を設営し、その指揮を取ることを命じる」



 月曜の朝一番、陽子は課長に了承を得て同僚を集め、金曜日に受けた伊能からの指示を伝えた。聞き終えると、恵比寿がぱちぱちぱちと、きどった拍手でこたえた。

「おめでとう。桜木さん」

「なにがですか」

「だって主任とお話ができたということだろう。冷たい木枯らしの中をバイクを走らせた甲斐があったじゃないか」

「お食事会に飛び入りさせていただいただけよ」

 恵比寿の冷やかしに敢えて真顔でそう答えた陽子ではあったが、心中、満更ではなかった。恵比寿は手応えがあったとみたようである。社長自らの紹介で入所したといわれている陽子には誰もが、伊能は別として、なにかしらの遠慮があるのだが、同年ということもあるのか恵比寿は斟酌がない。

「お食事会! へええ。それは大進歩じゃないか。だって主任の個人的な知人なんてここじゃ誰も知らないよ」

「そうかしら」

「そうだよ。どういう人達だった? 興味があるなあ。大学関係の人?」

「さあ」

 陽子はもったいぶりたいのではなく、いってはいけないのだと分別していた。口止めされたわけではないのだが、伊能は陽子をそう見たからこそ仲間に入れてくれたのだ。伊能主任が難事件に協力してあげた警視庁の警察官たちのご招待でしたなど、言っていいわけがない。絶対にだ。

「あれ、教えてくれないの。わかったぞ。ロシア人だな」

「なあに、それ」

「スパイ」

 恵比寿くだらんことをいうな、と千崎がたしなめた。

「そうですよ、恵比寿さん。どうせいうのならもっと気の利いたことをいわなくちゃ。大岡山閥のセンスが疑われますよ」

 筒井がすりすりと寄ってきていった。

「お前が俺のセンスについてこれないだけなんだよー」

 恵比寿は筒井の頭をこずこうとしたが、筒井はボクサーのようにひょいと器用にかわした。 

「あ、こいつー。そうだ。桜木さん、金曜日の永田町駅での事件、知ってる?」

「知ってるわ」

「あ、そうか。通り道だものな。筒井は?」

「知ってますよ。テレビでもやってるじゃないですか。混んだ電車の中でどうやったんだろうって」

「現場を見たという人間がまだ現れないというんだよな」

「関わり合いになるのがいやだということじゃないか? さ、ラボに行くぞ」

 千崎が言葉短かに話を括った。

 運命の綾というものは面白い。

 もしも恵比寿が千里眼を持ち仙台での伊能の様子を知り得たならさぞかし驚いたことだろう。その同じ刻限に伊能はまさにひとりのロシア人と対面していたのである。


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