永田町駅
八時半に近い頃。半蔵門線の永田町駅で四人がそろっておりた。
有楽町線に乗り換えて佐野と秦は桜田門の警視庁へ、陽子と鳥井はそれぞれ護国寺と飯田橋に自宅があった。半蔵門線ホームから長いエスカレータを使ってフラットに至り、歩いて有楽町線へおりる階段口に差し掛かったその時だった。構内に異様な気配が生じた。
階段の下から切迫した調子で何事かを告げるアナウンスが流れて来て、四人は自然に陽子を囲むようにして足を止めた。
「事故でしょうか」
「そのようですね」
下りてゆく人間を掻き分けるようにして、黒いドゴール帽を被った駅員が階段を駆け上ってきた。秦が手を伸ばすと駅員は初めは振り切って走り去ろうとしたが、その掌にあった身分証をみると目を丸くして足を止め、小声で秦になにかを囁いた。秦が同じく小声で言葉を返すと、駅員はぺこりと頭を下げて再び走り去った。
「参事官」
秦は職名で佐野を呼んだ。遠山史郎刑事部長を補佐をする任務である。
「電車の中で事故があったようです」
「行きましょう。おふたりは少しここで待っていていただけますか」
「秦さん。ちょっと待ってください」
鳥井が行きかけた佐野と秦を引き留め、陽子には聞こえない小さな声でいった。
「人が死んでいるんですね」
秦は鳥井の顔をみたがすぐにうなずいた。
「読唇術ですね」
鳥井が手話に堪能だったことを思い出した秦の類推だったが、当たったようである。
「はい。それより、じつは気になることがあるんです」
鳥井の顔がひどく緊張していた。
「駅員は男だといってましたよね。まさかとは思いますが、伊能じゃないでしょうね。やつは赤坂見附で丸の内線に乗り換えたはずではあるのですが・・・」
ふたりの警察官はぎょっとした顔になった。それを心配する理由があったからである。
一年前に、陰謀を打ち砕かれた敵側が報復に出る危惧はあった。警察官も公務ではある以上相応の覚悟が必要だが、民間人の協力者が報復を受けることは絶対に困る。伊能亮一の働きは佐野らのごく限られた警察官にしか知られていないのだが、しかし、敵もまた、限られたものだけが知っている。
そしてじつは、もっと危惧しなければならないことがあるのだが、そのことは今は本人と鳥井が知るのみである。
三人は互いに顔を見合わせた。陽子にここで別れをいおうかどうかを考えたのである。人が変死している現場に民間人の女性を連れて行っていいわけがない。しかし、万が一被害者が伊能であった場合はどうだ。家に帰ってテレビをみて初めてそれを知るというのではあまりにも可哀想ではないか。
「桜木さん、鳥井さんとここで少し待っていてください。様子をみてすぐにもどってきますから。鳥井さん、いいですね」
佐野がいった。現場経験が豊富なふたりも修羅場を何度もくぐった鳥井も表情はさりげない。
しかし、佐野の定めにはもっと直接的な意味もあった。もしも殺人事件であれば被害者が伊能でなくても剣呑な加害者がまだ近辺にいる可能性がある。そういう場所に陽子をひとりにしてはおけない。
鳥井はすぐに理解し、陽子を連れて人の流れから外れたところに位置を移した。ふたりの刑事は有楽町線への階段を急ぎ足でおりていった。
「あの、どうしたんでしょうか」
「事故のようですね」
鳥井はそれだけしかいわない。陽子はいいしれぬ不安に襲われた。事故があり、その現場に佐野と秦が駆けつけるというのは理解が出来る。しかし鳥井の様子がおかしい。鳥井がなにかを囁いたときのふたりの様子もただごとではなかった。
どうしたのだろう。