伊能とミスターバード
そのあいだに話題は鳥井の版画に移ったが、それには陽子も加わることができた。同じ敷地に住む祖父の居間には鳥井の作品が数多くあり、そのお陰でオリオン像の原画が鳥井良一の手になるものであることを言い当てられ、伊能のビンゴをもらえたのである。
この頃には陽子にもふたりの警察官のおよその正体(?)が見えてきていた。
佐野さんは歳は若いがキャリアのようだ。アメリカならインスペクター。秦さんはその部下でキャプテンかしら。でもふたりは身分をこえてお互いに尊敬しあっている。それにしても・・・この人たちはどういう知り合いなのかしら? 刑事と芸術家というのも奇妙な組み合わせだが、わが伊能主任との組み合わせはもっと奇妙。そもそも伊能さんが、テレビの前で刑事コロンボを見ている姿なんて想像できない。あはははは、なんて、うちの父のように大きな口をあけて笑うのかしら・・・まさか・・・
人の精神状態を観察することにかけて三人はプロである。陽子の心に住むもやもやが手に取るように判るだけに気の毒だった。
意を決して佐野が口を開いたが、心持ち声を抑えることによって、これから語る内容が〈他言無用〉であることを告げた。むろんそれがわからない陽子ではないとみたからだ。
「桜木さん。よけいなお喋りをすると伊能さんに嫌われるのですが、今晩はちょっとだけ嫌われることにします。じつは以前、わたしどもは大変難かしい事件を抱えたことがありました。そこに不思議なご縁から伊能さんが入ってこられて、詳しくは省かせてもらいますが、われわれにとっては天佑といっていいほどの働きをしてくれたんです。私どもはなんとかしてもう一度お会いしてお礼をしたかったのですが、お忙しいのと、ああいうシャイな方なものですからなかなか会っていただけません。そこで、今日はお友達の鳥井さんにお願いして半ば強引にこういう機会を作っていただいた、というわけなんです」
理解しがたいところもあったが、忙しくて会ってもらえないというところは陽子にも肯けた。でも。
シャイ? それじゃ職場でのあの振る舞いはシャイだからってこと? どうしてああまでする、いや、できるのかしら。信じられないわ。でも、信じるとわかる・・・そう鳥井さんはいってた・・・物差しを出さず、見たとおりを信じろ、ということかしら・・・
「そうだったのですか。では、鳥井さんもその事件からのお知り合いなのですね」
陽子がこういうや、どういうわけか佐野と秦は吹き出すのを懸命にこらえるという素振りになり、当の鳥井は身の置き所がないという有様になった。
「僕はですねえ。いや、じつはですねえ・・僕は、その、佐野さんたちを困らせた側の人間だったんです」
そのとおりである。鳥井は本名を鴨原良一といい、一年ほど前まではミスターバードの異名をとる闇の世界のビッグネームだった。殺人を除くありとあらゆる影の世界に有用な人材を発掘、時には教育を施して自分のテフダとし、犯罪をもくろむ依頼者にその斡旋や売り込みを行うのが本業だった。
闇の世界のハローワークあるいはリクルートといえばよいか。書類、絵画、彫刻の偽作者は勿論、なりすまし、美人局、盗聴、盗撮、妨害、扇動、拉致、ハッカーなどの腕利きが、ミスターバードの秘密のファイルにずらりと並んでいたのである。
先の杉ビル事件ではハッカーと拉致犯の供出?で関わったのだが、伊能亮一によってその存在と正体が暴かれ、事件はそこから一気に解決へ向かった、鳥井はその過程で伊能に命を救われたこともあり、一転、伊能と無二の親友になった。
鳥井は一命を取り留めたあとは警察に拘束されたのだが、貴重な情報を提供したことと、先にものべたとおり政府が事件そのものを隠蔽することに決したために、更正を条件として、健康の回復と同時に放免された。鳥井は約束どおり、愛人が自分の稼業の巻き添えで殺害されるという傷ましい事もあったので、ミスターバードの裏看板を捨て、元々表看板だった版画作家・鳥井良一で生きている。
鳥井はハンカチで汗を拭きながらいった。
「すみませんね、陽子さん。せっかく佐野さんがわかり易い説明をしてくれたのに、またわかりにくくしてしまって」
そのとき秦が、
「鳥井さん。伊能さんが向こうでお呼びのようですよ」
と、入り口の方を指さした。鳥井は振り返ると、
「失礼します」
といい救われたように席を立っていった。