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暗闘・プリンセスチェリー  作者: 伊藤むねお
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暗闘

 上りの電車が入ってきて停車した。始発駅が近いここなら今の時刻でもまばらに空席がある。しかし三人だったので、もっと空いていた前の車両に移って並んで座った。鳥井が真ん中になった。陽子は伊能とくっついて座りたかったのだが、この方がよかったのかもしれないと考え直し、「あのう」と鳥井の耳に語りかけた。

 ははははは。

 鳥井は、陽子がなにも言わないのに笑った。

「びっくりしてますね。僕らはあそこの改札口の中で待ち合わせをしたのですが、こいつ、しきりに外を気にしているんです。どうかしたかと聞きますとね。照れながらいうのには」

 会社の女性がバイクで俺のあとを追ってくる。フルフェイスのヘルメットじゃない上にゴーグルも無いから顔が凍えている。俺が先に入ったと思わないから外にいるようなのだが、このまま知らないふりをするのは辛い。

 こういうんです。じゃ俺が様子をみてやろう。そういって改札口から体を曲げてみた。どの女性のことかはすぐにわかったが見て驚いた。

「なんと、桜木さんのお嬢さんじゃないですか」

 で、伊能にそういうと、鳥井の大事な人なら粗略にはできんなというから、それじゃ一緒に誘おうじゃないか、と引き取ったというわけ。

「まあ」

 陽子には驚きばかりで、さきほどから時間の経過さえ意識してなかったのだが、もともと頭の回転は早い。

「先生、教えてくださいます?」

「それ、やめてくれませんか」

「すみません。鳥井さん。主任は私より先に駅に着いたんですか。それも私が追いかけてきたのを知ってたなんて。どうしてでしょう? 私、なにもかも信じられません」

 ははは。鳥井はおかしそうに笑ってからこういった。

「信じること。そうすればわかってきますよ」


 三人は地下鉄銀座線の外苑前駅でおりた。

 地上に出ると、コートの襟を立てた歩行者が立ち止まって赤坂方向を眺めている。その視線の先を追ってみると、一キロほど先に巨大なオリオン像が輝いているのがみえた。

「まあ、綺麗。杉ビルですね」

「星座が見えないので、代わりに出してくれているのでしょう」

 鳥井がぼそりと答えた。この季節、夜空にはオリオン座がみえるはずなのだが、高層建築と雑多なネオン群のために、たとえ晴れていてもよくみえないのだ。

 北青山一丁目に聳える杉電器の巨大新ビルはオープンから一年経ち、もうすっかり東京の新名所になっていた。ビルの四方の壁面がそのまま巨大ハイビジョンスクリーンになっており、決まった時刻に壮大なビジュアル・ショーをみせてくれる。実物大?のゴジラが体を回しながら火を吹くシーンは、ゴジラファンならずとも必見である、といわれている。

 普段は普通のビルの装いなのだが、これも映像だ、赤煉瓦造りのレトロ調のものからCGを取り入れた超モダンなものに一瞬のうちに模様替えする、丁度ショー・タイムらしい。

「すばらしいですわね。科学の力って」

 これを可能にしているのは杉電器と政府が共同開発をした特殊な液晶建材だった。

 一年前、アメリカ大統領を迎えてのプレゼンテーションは日本のみならず世界の話題になった。

 しかし、その直前セレモニーに紛れて両国関係に大きな打撃を与える陰謀があった。それは幸いにも些細な出来事から露顕し、時限ぎりぎりのところで災禍が免れた。

 しかしこのことは事を公にすることを憚った官邸が、そうせざるをえない理由もあってすべてを隠蔽したのだ。

 詳細は前巻「暗闘」にあるが、伊能と鳥井いわくミスターバード、そしてこれから登場する二人の男は、いずれもその渦中にあった人物であった。このことは、むろん陽子の知りうるところではない。


「あ、あれは鳥井先生の原画じゃありません?」

「桜木さん。ビンゴ」

 伊能が微笑んで陽子にいった。

 ま、すてきな笑顔。それにビンゴだなんて。

 陽子は嬉しくって涙が溢れそうになった。

「先生というのはマジで止めて欲しいな。行こう」

 鳥井は照れた素振りで向きを変えて歩き始めた。


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