老人とスリーガイズ
第152回フリーワンライ企画参加作品です。
お題
あい降って君をこう(「あい」と「こう」は変換自由)
アイシテルのサイン
薔薇と百合
馬鹿は死んでも治らない
シガーキス
すべて使用
制限時間10分オーバーでした
丘の上に建つ某国大使館を爆撃機が攻撃した。祖国のシンボルである石像はそれのみで観光が成り立つほど著名なものになっていたが不幸にも政治的なもつれに始まりなされてしまったテロが、相手国の精神を粉砕し、部外者の行楽のあてと幾許かの人生を奪ってしまった。
世間は騒々しい。恐怖政治の狂気に一夜にして染められてしまったわが国は、計り知れない巨大な凶器に負けぬほどに狂った報道と、政治声明と、交感し噴出したマグマのような民衆の興奮状態が、あたかも地を轟かせるようだった。
国家全体をかつてない恐慌が呻き声をあげるように不穏に覆いつくして、びゅうびゅうと吹く丘の風に図らずも重ねあわせてしまって思わず荒い鼻息をひとつ漏らしてしまった。緊迫した情勢にもかかわらず、あまりに小規模な、身内的な無言の要請で、十数年の時をほどいてかつての仲間は集まることになった。
私ひとり、蚊帳の外……例え深々と身を覆い込んだ装備がなくとも、想像を絶する労苦を、毎晩五臓六腑を痛めつけるためだけに神経の隅々にまで届かせるように惰性を何度でもあたかも忠実なほど繰り返すばかりだった悪酒のごとく浴び続けたのが私のその後の日々であって、それは闇黒。腐りきった精神ならまだしも、カピカピと浅黒くしわがれた顔面の皮膚は、ただの老人、とだけでは形容しつくせないほどに生気を失した無惨な姿なのであろう。
私は白日の宙を仰ぎ見ていた。確かに物騒ではある、それを知らぬ者がひと目向けるならば「ああ、やっぱりか……」と揺らぐ国の足元を見いだすことだろうが、しかし見慣れた者からの視界には、むしろ、日ごろよりも気の抜けたような穏やかな景色が写されているのであった。
なぜかといえばここはただの道路、国の一大事の渦中から近距離とするならすることもできるが、それは物理的なご近所だ、というだけで、実際精神的にはあまり重大事件とは何ら関係のない単なる通り道、とされるのだから。
左手から美しい薔薇と百合の清楚な右手からの、それぞれの香りが落着きのない風の左右運動に流されて随時運ばれて、密閉された我が機動隊のヘルメット越しにもいやがおうにも甘い癒しを厭らしいほどに漂わせるのだ、奴らが来たのだ、と瞬時に知覚した。
「久しぶりだな」
そう云うと奴は胸もとからやけに長い煙草を一本、高級そうなジッポーで先端を燃やし濃い煙を美味そうに燻らせはじめた。
「すまんが……いいか?」
ただそれだけだった。左手の『薔薇』は燃やされる前の煙草をくわえた『百合』のまるでクチバシに向かっていくと一頻のシガーキス…………
薔薇と百合の薫香に時が止まった錯覚すら感じてしまった。
あの頃はこうなることとは露知らずであっただろうな、しかし奴らをありもしないような何事か、から無益に護衛を続ける老人が成りあがった左右の美貌の威勢を覗き続け、奴らはまさかその老人がいるなんて思いもしないどころか、その存在を記憶から完全に消し去ってしまっていることだろうから……
そう、あの頃は、私こそが奴と、奴と、そして潰されてしまった高級車に乗ったやはり成り上がりの偉人たる奴、その三人の未来の偉人を束ねたリーダーだったのだ……
まあ、人生とはとても皮肉なものだ。
『薔薇』と『百合』の尽力で予定以上に工事は遂げられてしまった。美しい、あの女神の息吹……そう、死してなお清々しい生気を注ぎ込んで、アスファルトを光輝に満たしていたあの美しい、道路、それが戻されたのだ。
私はその事実だけでも、奴と奴に言葉ではつくせない感謝を、嗚咽のように漏らさずにはいられなかった。
テロの爆撃によって粉砕された石像の飛礫の一矢は、大使館へと通勤途中の奴の車へと直撃してしまった。政治家ではなかった、単に館の管理会社の社長であって、大手であるがゆえに確かに癒着もあったのであろうが、しかし奴の不運な死は、政治とは無関係であった。だが、機動隊はとりあえず配備された、ということだった。
モアイ降って君を工事。
この道路にはあの女の美しい死体が埋まっている。あの頃、皆猛々しかった、そして実際私以外は偉人となった。あの女神は、皆のものである、永遠に、だからこそ、この道路に、永遠の生を、死を、封印する、ということが結論であった。
左右は去っていく……去り際だった、潰された高級車が突然の「アイシテルのサイン」。否、「アイシテタのサイン」だろうか、まあ、どちらもあちら側に行ってしまったのだから、やはり「アイシテル」で間違いないのだろうか……
超常現象でも起こったのだろうか、と感じたに違いない、まあ、凡人である私は完全にそう思った。後日、理由を聞いてみれば何でもないような、しかし意味深な事実を聞かされて……
ミステリでよくあるような、いわゆる死体が動いた、という状況、それがブレーキを動かしたのだという。死後硬直が起こした求愛、という神秘……ああ、まったく、馬鹿は死んでも治らないな、それほど皆あの女に狂っていたのだから。