4(横から描いて)
「マズいぞ」
ノブさんにいわれた。
分かっていた。
ボードを前にして、ぼくはすっかり描けなくなっていた。
課題どころではない。
いや、課題は提出していた。
出来の悪さは指摘されるまでもなく自覚していた。
なのに評価はAか悪くてもBだった。
作品に正当な評価なんてない。
「どうしたらいいでしょうか」
口にして気がついたが、初めてぼくは他人に助言を求めたと思う。
いつだって試行錯誤しながらも、誰にも求めず訊ねず、自分だけで解決してきた。
なぜならそれが制作だから。それがぼくのやり方だから。
振り返るとノブさんは腕を組み、今までに見たこともないような渋い顔をしていた。
その真剣さに、なんとなしに訊ねた自分を恥じた。
この人は本気で考えてくれている。
毎年入学しては二年で去っていくたくさんの学生のひとりでしかないぼくの為に。
「いいです」そんなことしかいえない自分が情けなかった。「どうにかやっていきます」
「いや、そうじゃなくて」
組んだ腕を解いて、ノブさんは頭をかいた。「体裁を繕うのがうまくなるのは悪くないんだ」
ぼくは黙って訊いていた。
「お前、手先器用だからな。けっこう重宝されるぞ、それは。納期と予算の前に、プライドはアダになる」
褒められているのかどうか、反応に困った。
あのな、とノブさんは前置きしていった。「たいていはどこかのデザイン事務所だとかに就職するだろ。そうなると世間が求めるのはアーティストではなく、オペレータなんだ。だからこそ、学生のうちに何が好きで何が苦手で、何が得意で何が嫌いか、それを追求しておいたがいい」
「……どういうことです?」
「なんでも出来る、は、なんにも出来ない。好きで得意なことを鼻血が出るほど追求できるのは学生時代だけだ。同時に、苦手で嫌いなものは適当にあしらえるようになれ」
それからにっと笑って、「卒業して作るのは作品じゃない。商品だ」
「商品にプライドはないんでしょうか」
「商品は売れることが全てだよ」
そういうとノブさんはふらりとどこかへ行ってしまった。
ぼくはボードに目を戻し、溜め息をついた。
面白くなくても、求められてるのは出来不出来でなく、完成させること。
手先の器用さで誤魔化すことに、いつしかそうと気付かず慣れてしまっていたのだ。
ぼくは帰り支度を始めた。
タバコをくわえながら校舎を出たら、さっと火を向けられた。
由香里だった。
ぼくは一瞬迷ったけれども、結局そのおせっかいに甘えた。
由香里はタバコを吸い終ってか、煙を吐き出すぼくの横でぶらぶらとヒマそうにしていた。
「なぁ、」半分ほど吸って、ふと言葉が口をついて出た。「落書き、来るか?」
なんでそんなことをいったのか自分でもよく分からなかった。
「行く行く」
由香里は嬉しそうに応えた。「ちょっと断り入れさせて」
「先約あるんじゃ、」無理には、といいかけたが、いいの、いいの、と由香里は手を振って遮った。
ハンバーガーをテイクアウトして、軽く腹ごしらえしたぼくらはライトグレーに塗られたばかりの陸橋下に立った。
「今日はどうするの」無邪気に由香里は橋脚の前で踊るようにしていった。「なに描くの」
「お前、ヌードできる?」
できるよ、と由香里はいった。「約束、憶えててくれたんだ」
「時間ない」ぼくは鞄を降ろしてスプレー缶を取り出した。
「分かってる」いいながら由香里は着ていたものをすっかり脱ぎ去った。「お願いしていい?」
「なに?」
「横から描いて欲しい」
由香里は壁の前で右を向き、真っ直ぐ立っていた。
横から見た由香里の背から腰、そして尻から足への曲線に見とれた。
乳房も小ぶりだけど、つんと尖っていて、ともすれば挑発しているかのようで気に入った。
ぼくは由香里に片足を軽く曲げて、ゆったりとした感じになるよう指示した。由香里はそれに従った。
スプレーを手にして、ふいに気がついた。
「どうしたの?」 由香里は視線だけ動かしぼくを見た。
「髪。これだと落ちない」
「いいよ」由香里は視線を前に戻して「終ったら丸めるから」
「いいのか、」
「なら一緒に丸めて?」
一度、やってみたかったんだ、と由香里は笑った。「犯罪なんでしょ? 反省反省。あんたも丸めてあたしも丸めて、八方丸く収まるって」自分でいっておかしくなったのか、由香里はくすくす笑った。
「目を閉じて、息も止めてろ」
ぼくは十二色全てを使って、壁一面を虹色に塗り上げた。
由香里のシルエットがその中に立っている。
半身をカラフルに染めた由香里がそれを見て感嘆の溜め息をついたのが分かった。
「早く着ろよ」すでに五分を超過しいた。
うん、と由香里。ぼくは屈んで服を着る由香里を背にして、荷物をまとめていた。
その時、アスファルトを駆けてくる音がして、そっちへ顔を向けるや否や横っ面を思い切り殴られた。
ぼくは無様にひっくり返り、路面でしたたかに頭を打った。