3(つまんない)
※
「また塗り直されたよ」
暫くして、教室で由香里にいわれた。「描きにいかないの?」
ぼくは首を横に振った。
「へったな落書きされたよ」
また暫くして由香里は声をかけてきた。「ねぇ、描きに行かないの?」
やはりぼくは首を横に振った。
「つまんない」由香里は唇を尖らせる。「その気になったら誘って頂戴」
ぼくは首を振る代わりに、「条例違反だぞ」
すると由香里は、まるで知らない言葉を聞いたような顔をして見せた。「関係あんの?」彼女は自分を呼ぶ仲間のところへ戻っていく。
どうにかすると、教室で、廊下で、校内で。
由香里の声が気に障るようになった。ひとの輪の中で笑う声もキンキンうるさい。
ぼくが落書きをしていたのは誰かに認めて欲しかったとかそんなことではなく、独善的な、ただただ自分が面白いと思うことをしたかっただけった。由香里に知られたことは、ぼくのお気に入りを取り上げられたようなものだった。
「まるくなったな」
七号館の地下で作業しているとノブさんにいわれた。
「そうですかね」
ぼくはボードに向き合ったままぼんやり応えた。
「もっとケレンミあってもいいんじゃないか」
このときの課題はAプラスだった。
入学してからこっち、制作物は全部保管していた。
ぼくは返却された課題を破って捨てた。
※
橋脚はライトグレーに塗り直された。
ぼくはぼんやり突っ立っていた。
帆布バッグを肩にかけ、そこから何か浮かび上がるのを待っていたけれども、そんなことはなかった。描きたいものがなかった。
「おっす」
顔を向けなくとも由香里だと分かっていた。
「誘ってっていったじゃん」
不意に怒りを憶えた。なのに由香里は気にする様でもなく、図々しくもぼくと橋脚の間に割り込んできた。「いけず」
その顔を見て気が抜けた。由香里は季節外れの真っ白なマスクをしていた。
「風邪か」
ぼくの問いに、由香里は目を細めて笑った。「犯罪なんでしょ、顔バレやばいじゃん」
「なにをいまさら」そんな殊勝な心がけとは無縁だろうに。「バカだろ」
「口裂け女って知ってる? あたしキレイってやつ」
ぼくが黙っていると、「ねぇ、」由香里は顔を近づけ、「あたし、キレイ?」
「お前、口、裂けてる?」
「下の口なら」
その下品さには呆れたが、さらっとした物いいは憎めなかった。「やっぱバカだ」
「いいじゃん。描かないの?」
「その気が失せた」
ぼくはバックを抱え直すと、陸橋下を後にした。
「ちょっと待ってよ」
由香里の声はマスクでくぐもっていた。ぼくは今度は歩幅を合わせなかった。
「もしかしてスランプ?」
立ち止まって振り返ると、由香里はマスクを取りながら、「あたしのこと、描いてよ」
真っ直ぐ見つめて、彼女はいった。
由香里は絡んでくるようになった。
殆どは一言二言だが、喫煙所で鉢合わせすると、のべつ幕無し喋る彼女に辟易した。
どうにかして黙らせる算段をするも、解答は得られなかった。