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第三話 在りし日の約束

 長く尾を引いていた静寂を打ち破ったのは、柱時計が午後六時を告げる音だった。ボーンと低い音色が六度正確に打ち鳴らされる。


「……どこから話したものかしらね」


 柱時計が再び沈黙するのと入れ替わるように、雅が口を開いた。


「長からは何か聞いたのか?」


 彩音の隣に座した綴も、ずっと固く引き結んでいた唇をようやく解く。


「ほとんど何も……」


 貴臣はいくつか気になる言葉を残してはいたが、それは妖魔との戦いのさなかのことで説明には程遠い。


「……そうか」


 綴は短く息を吐き出すと、両腕を組んで雅に視線を送る。互いに目配せをし合うと、二人はそれぞれ彩音に向き直った。


「彩音、今から話すことは全て本当の話だ」


「驚く事も多いでしょうけど、最後まで聞いてほしいの」


 二人の改まった様子を前にすると、彩音の中に小さな迷いが生まれた。部屋に入ったばかりの頃は、持て余している数々の疑問を早く解決してしまいたいと確かに思っていたはずだが、今はそれが少し怖くもある。


「聞かせて」


 聞いてしまえば後戻りできなくなるかもしれない。そんな漠然とした不安を飲み下して、彩音は慣れ親しんだ二人の顔をじっと見つめる。膝の上で握りしめた両手は、彩音なりの覚悟の表れだ。

 綴は黙って頷くと、数秒の間の後、淡々とした声で語り始めた。


「十九年前、とある新法案について白華と黒華が激しく対立していた時期があった。法案成立を推し進めようとしていたのが黒華、反対していたのが白華だ。当時のことは俺も父から聞き及んでいるだけだが、双方かなり緊迫した状態だったらしい」


 十九年前と言えば、綴自身もまだずいぶんと幼い頃だ。


「白華の中でも、当時最も力を持っていたのが神鳥宮ひととのみや侯爵家。神鳥宮侯爵がいたからこそ法案成立はぎりぎりの所で阻まれていたが、黒華からは目の敵にされていたそうだ」


 彩音は政治についてあまり詳しい方ではなかったが、綴の説明から当時の様子を想像することくらいはできる。途中で言葉を挟むことなく静かに話を聞いていた。


「神鳥宮侯爵を中心とする白華の反発にあって、法案は何カ月も成立しなかった。その間、何度も軍部を巻き込んだ小競り合いが起きてはいたが、それでも双方は均衡を保っていたんだ。……だが、その均衡を崩す事件が起こった」


 綴の両目が、すっと猫のように細められた。鋭くなった眼差しに、彩音の表情にも緊張が走る。


「神鳥宮侯爵の暗殺だ」


「それって、まさか……」


 暗殺の犯人は彩音にも容易に予想することができた。


「ああ」


 険しい顔で綴が頷く。


「刺客を差し向けたのは間違いなく黒華だろう。もっとも、どこの誰が命じたのかまでは未だにわかっていない。なにせ侯爵だけでなく、侯爵夫人から神鳥宮家の使用人の最後の一人に至るまで全員が殺害された挙句、屋敷には火が放たれた。誰もが黒華の関与を疑いながら、焼け跡から証拠は何一つ見つからなかったんだ」


 彩音は知らず知らず握った拳に力を込めていた。白華と黒華の対立は今に始まったことではないが、過去にそれほど凄惨な事件があったとは今まで知る由もなかった。今初めて、黒華の存在が恐ろしいと感じる。


「その後、神鳥宮家は?」


「……証拠もなく犯人の目星もつけられない以上、事件は迷宮入りを余儀なくされた。侯爵暗殺と言う不名誉な噂を立てられては困ると黒華が警察に圧力をかけたせいで、世間一般には使用人の火の不始末による火事で、当時神鳥宮邸にいた全員が焼死したと発表されている。要するに、都合よく闇に葬られたわけだ」


「一族全員の死亡が確認された神鳥宮家は廃絶が決まり、最有力者を失った白華は黒華に圧され、結局法案は可決されたわ」


 綴の後を引き継いで、雅が話を締めくくる。彩音の意識は自然と雅の方へ向いていた。


「これだけなら白華と黒華の政治闘争の末の惨劇……ということで片付けてしまえるけど、この話には続きがあるの。……いいえ、あなたにとってはここからが本題ね」


 仕切り直すように雅が居住まいを正すと、髪に挿したかんざしがしゃらんと鳴った。


「神鳥宮家当主には白華の侯爵として政治への強い影響力があるだけでなく、代々秘密裏に受け継がれてきた大切な役目があった。それが道返ちがえしとしての妖魔討伐よ」


 道返。彩音がその響きを耳にするのは今日二度目だった。


「道返って、一体何なの?」


「道返とは妖魔と言の葉を交わし、その存在を幽世かくりよに返すことのできる唯一の存在だ」


「妖魔と言の葉を交わす……」


 ふと脳裏をよぎったのは、あの路地での出来事だ。貴臣が妖魔を斬った時、彩音の頭の中に直接声が響いた。


「あの声、もしかして私が最近ずっと見ていた夢は……」


「ああ。お前が見ていたのはただの悪夢じゃない。無意識に妖魔の声を聞いていたんだ」


 貴臣の言う『覚醒』とは、そのことだったのだろう。今朝、夢の話をした時に綴が何か考え込むようなそぶりを見せたことにも今なら納得がいく。


「道返を守り、その命に従って妖魔を斬るのが八握剣やつかつるぎである俺や雅が持つ本来の役目だ」


 八握剣。その響きにも彩音は覚えがあった。


「昔から長として八握剣を纏めてきたのが、天苑寺家当主よ。今の長には、あなたももう会っているわね」


 それが天苑寺貴臣であることは、わざわざ確かめるまでもない。そう理解すると同時に、彩音はまた一つ貴臣の言葉を思い出した。


「伯爵が言ってたよね。二人は道返を育てて守る役目を与えられてるって。だけど私は、まだ何も知らないままだって……」


「……ええ」


 伏し目がちに雅が頷く。


「神鳥宮家は……誰も助からなかったんじゃないの?」


 その問いが今までの会話の核心を突くと、彩音は既に悟っていた。喉の奥が乾き、鼓動が早まっていくのを感じる。


「それも表向きの話だ」


 綴は静かに首を振った。彩音を気遣ってだろうか、低く落ち着いた声だ。


「当時、神鳥宮侯爵夫人は侯爵の子を身籠っていた。夫人が双子を生んだのが、奇しくも事件のあった夜のことだ。屋敷を襲った刺客は、生まれた赤子が双子だと知らなかったんだろう。襲撃の際、夫人が咄嗟に隠した双子の片割れの存在に気づかなかった。だから屋敷中の人間が殺されても、その赤子一人だけが辛うじて生き残っていられたんだ」


「屋敷が焼け落ちる寸前でその赤子を助け出したのが、先代の天苑寺家当主よ。けれど、赤子を天苑寺家に置いては目立ちすぎてしまう。もしも黒華に知られたら、また危険が及ぶかもしれない。だから平民である西雲家に赤子を預けたの。……道返としての力が開花し始める十代後半まで、身分を隠して育てるようにと」


 雅が顔を上げ、真っ直ぐに彩音の瞳を覗きこむ。一瞬の沈黙の後、薄く紅を引いた唇が動いた。


「神鳥宮家の正当な血統を継ぐ道返であり、その唯一の生き残り。……それが、あなたよ」


「……!」


 彩音の喉の奥から、声にならない声が飛び出す。途中から薄々気づき始めていたとはいえ、彩音の受けた衝撃はやはり軽いものではなかった。


「ずっと黙っていて、ごめんなさい……」


 雅は苦し気に顔を歪め頭を下げた。そんなことをされたのは初めてで、彩音はひどく困惑する。助けを求めるように隣に目をやっても、綴も表情を硬く強張らせたままだ。


「俺達はもっと早く話すべきだったな。そうすれば、お前を傷つける事もなかっただろうに。すまない……」


「綴まで……」


 会話はそこで途切れ、また沈黙が帰って来る。三人は微動だにせず、それぞれ別の場所をただ見つめていた。


「話してくれてありがとう」


 チクタクと忙しなく動き回る柱時計の針が間もなく午後七時に差し掛かろうかという頃になって、彩音は俯いていた顔を上げた。


「お前……」


 綴は目を見張った。彩音が微笑を浮かべていたからだ。


「確かにびっくりしたし、混乱もしてるよ。だって今朝まで姉さんの妹として普通に生きてきたのに、急に自分が侯爵家の娘で、妖魔を討伐する道返だなんて……」


 実の両親や血を分けた双子の片割れが、黒華の謀略によって命を奪われていた。彩音には朧げな記憶すら残っていないが、その事実を知ってなお、取り乱さずにいられることに自分でも驚いている。単純に、心が麻痺してしまっているだけなのかもしれないが。 

 それでも彩音が今こうして笑っていられるのは、貴臣に出会ったあの瞬間から、自分が日常の境界を踏み越えて、非日常を歩き始めてしまったのだと、どこかで感じていたからかもしれない。


「でもね……この十九年、私はずっと姉さんの妹で、綴の幼馴染の西雲彩音だった」


 彩音はすっと目を閉じる。まぶたの裏に浮かんだのは、大好きな姉と優しい幼馴染の姿だ。


「だから真実を知ったって、何も変わらないよね……?」


 目を開いて、彩音がまた微笑む。


「彩音!」


 堪え切れなくなったように、雅が彩音を掻き抱いた。


「姉さん……?」


「ごめんなさい、彩音……。あなたにもう一つ、言わなければならないことがあるの……」


 雅の声が細く震えている。彩音はきょとんとして瞬きを繰り返したが、すぐに察っしたようだ。


「伯爵と、どんな約束があるの……?」


「それは……」


「俺達が次代の道返の身を預かるのは、あくまで力が覚醒し始めるまで……。その後は道返としての役目を果たすため、天苑寺家当主の元へ返す」


 声を詰まらせる雅に代わり、綴が先を続ける。


「……それが俺達と長の間で交わされた約束だ」


「じゃあ私……もう、ここにはいられないってこと……?」


 雅の腕に抱かれたまま、彩音はその瞳に綴の姿を映した。声が少し擦れている。二人は答えない。その沈黙が答えだった。


「そう、なんだね……」


 ぽつりと呟くと、彩音の目尻から一滴の涙が伝い落ちた。自らの出生を知っても何とか耐えていられたというのに、なぜ今になって涙が溢れるのか彩音にも不思議だった。ただずっと一緒に過ごしてきた二人と離れなければならないのかと思うと、言いようのない寂しさで押し潰されそうになる。


「ずっと、ここにいたかったな……」


「彩音……」


 雅の表情は見えないが、わがままを言って困らせているとわかっていた。だがとめどなく溢れ出す涙は、彩音の心よりよほど正直だ。


「……いればいい」


「え……?」


 涙に頬を濡らしたまま、彩音は綴を見つめた。


「ここに残りたいと思うなら、そうすればいい。それがお前の望みなら、俺はお前の気持ちを優先したい」


「でも、そんなことしたら……」


「長には俺が話しをつける」


 綴はきっぱりと言い切った。


「構わないだろう? 雅」


「……いいえ」


 雅はゆっくりと顔を上げると彩音を離した。


「綴一人にはやらせないわよ、だって大切な妹のことだものね」


 細く長い雅の指先が、彩音の涙を優しく拭う。


「いくら長が相手でも、泣いてる彩音を無理やり連れて行かせたりなんてしないわ」


「姉さん……」


 すぐ間近で雅が微笑んでいる。


「……そうくると思った」


 つられたように笑みを零すと、綴はぽんと彩音の肩を軽く叩いた。


「というわけで、俺と雅の意志は決まった」


「いいの……?」


「当たり前だ。雅と同じように、俺にとってもお前は……大切な幼馴染だからな」


 聞くまでもないと言わんばかりに即答しておきながら、照れくさくなったのか綴はすぐに目を逸らしてしまった。


「ありがとう」


 ふわりと彩音が笑う。それは微笑ではなく、花が綻ぶような心からの笑顔だった。



 貴臣の定めた五日という期限は、瞬く間に過ぎ去った。

 約束のその日、貴臣を乗せた馬車は陽が傾き始めた頃に花菱楼の前に到着した。


「彩音、話はちゃんと聞けたか?」


 貴臣が馬車から降りると、そこには彩音、綴、雅が顔を揃えている。


「はい」


「そうか。では行こう……と言いたいところだが、そこの二人は黙って君を引き渡す気は無さそうだな」


 貴臣は鼻先で笑うと、彩音の両脇に佇む二人に目をやった。


「長、彩音はここに残ることを望んでいます。どうか今まで通り、俺達に任せてください」


「私からもお願いいたします」


「駄目だ」


 貴臣は一言で跳ねのけると、ゆっくりと歩を進める。


「君達は既に、道返を育てるという役目を怠っている。その結果、彩音を危険な目に遭わせたことを忘れたのか? これ以上の猶予は認められない。引け」


「申し訳ありませんが、俺はその命令には従えません」


「それは約束を反故にすると言うことか?」


「はい」


「……ふっ。なるほど君達の意志はわかった」


 じゃりっと土を踏みしめて、貴臣は足を止める。


「だが私も引く気はないんだよ、綴。残念ながらね」


「重々承知の上です」


「だろうな。そうでなければ、長を出迎えるのにそれは必要ない」


 冷たい色の瞳が綴を映している。馬車を降りた時から、貴臣は袴姿の綴が帯刀していることに気づいていた。


「私が聞き入れなければ、最初から実力行使をするつもりだったんだろう?」


「……はい」


「そうか。ならば話は早い」


 貴臣はサーベルの柄に手をかけると、何のためらいもなく抜刀した。


「交渉決裂だ」


 鋭い切っ先が綴に向けられる。


「っ……綴!」


「大丈夫だ。雅、彩音を頼む」


 息を飲む彩音に一声かけて、綴は前へ進み出た。


「ええ」


 雅は彩音を庇うように抱き寄せて、綴とは逆に数歩下がる。


「やれやれ、これでは完全に悪役だ。予想の範疇とは言え、あまり気分のいいものではないな」


「……申し訳ありません」


 綴は貴臣と対峙しながら、刀の柄に手をかける。


「まあ別に構わないさ。悪役ならば、悪役らしく振る舞うだけだ」


 貴臣は左手の指先で眼鏡を押し上げると、口端から笑みを消し去った。


「長に噛みつくという事がどういう事なのか、身をもって知るといい」


 貴臣の眼光が、手にした鋼の刃以上に研ぎ澄まされている。

 周囲の空気が温度を下げたように感じたのは、きっと彩音の気のせいではなかった。





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