第二話 其の九 理覇王、その力の片鱗
一羽の蝶が、部屋の中を舞っていた。
淡く光る不思議なその蝶は、ラルドの肩に止まる。
『はじめまして、ロッシュ殿。この度は、うちのラルドがお騒がせいたしました』
蝶から発せられる女の声。「理覇王」マナラを名乗ったその声の主は、悪びれる様子もなく淡々と語る。
『なにやらこの辺境の地に、奇妙な気配を感じたのですが、ラルドを殺すほどの剛の者がいるとは、驚きました。私にもまだ驚く事ができるなんて、久々に良い気分です』
マナラの言葉にラルドも頷く。
『本来なら、ロッシュ殿から『魔王印』をいただいて殺すだけですが、今の私は大変気分が良いのです。故に今回は見逃して差し上げましょう』
言葉使いは丁寧だが、他者を殺す事に微塵も躊躇しない酷薄さが発言の中に見えて、ロッシュは背筋に冷たい物を感じた。
『ラルド、ご苦労様でした。詳しいお話が聞きたいわ。もう、戻ってらっしゃい』
「はっ」
マナラの命令に、先程までロッシュ達に向けていた殺気を霧散させて、ラルドはロッシュ達に背を向けた。
「ちょっと待った!」
思わず、ロッシュは制止の声を上げた!
少しでも情報を手に入れるチャンスである。しかも相手は「理覇王」。思いもよらない情報が手にはいるかもしれない。
が、突然、蝶から放たれた電撃が、ロッシュの体を貫く!
「ぐあっ!」
油断し、その一撃をまともに食らってしまったロッシュは、ガクリと崩れ落ちた。
『発言を許した覚えはありません。慎みなさい』
嗜めるようなその物言いに、ロッシュへの攻撃がお仕置き程度の意味合いしか持たない物だった事が伺える。
だが、そのお仕置き程度の一撃は、回復したロッシュの体力をゴッソリ奪う程の威力を持っていた。
魔界の覇権を争う一角の強大さ。それを、なんとなく想像して予測は立ていたのだが、予測を遥かに上回る力を身をもって知り、ロッシュはその恐ろしさに身震いするのを止められなかった。ロッシュと同じように、マナラの恐ろしさを感じた仲間達も、動く事ができない。
『今後も私を驚かせ、楽しませてくれることを期待します。では、ごきげんよう』
ロッシュ達の心情など気にも止めず、マナラが宣言すると、その声を伝えていた蝶が強烈な光を放ち、部屋全体を包み込む!
…やがて光が収まると、ラルドと蝶の姿は消えていた。
完全にマナラとラルドの気配が無い事を確認し、ロッシュ達は大きく息を吐いて、その場にへたりこんだ。
「っはあぁぁ…し、死ぬかと思った…」
ため息をつくロッシュに、皆が賛同する。
「使い魔を経由してなお、ロッシュさんへの攻撃に込められたあの威力…もう上限が検討もつきませんわ」
「…」
青ざめながら呟くアセリア。同じ魔力特化型のリシュリンも、無言で頷く。
ラルド、マナラと今の自分達をはるかに凌駕する連中と対峙したために、精神的な疲労感はピークを迎えていた。
もういっそ、この場で寝てしまいたい衝動に駆られるが、さすがにそうもいくまい。
兎にも角にも、こんな状態では、今後の為の話し合いも出来はしない。しばらく仮眠とってから打ち合わせを行う事にした。
トリアーヌ達に案内してもらい、かつてゼゴウ達が使っていた、それぞれの私室に向かう。
部屋にたどり着いたロッシュは、装備を外す事すらなくベッドに横たわると、そのまま泥の様な眠りへの誘いに身を任せて沈んでいった。
三時間ほど経過した頃、ロッシュは目を覚ました。頭を軽く降り、ベッドから身を起こす。さすがに元々、旅をしてきただけあって、目覚めは良い。
伸びをして、体をほぐしていると、不意に沸き上がる力を感じた。おそらくレベルアップしたのだろうと、『勇者紋』に意識を集中し、レベルを確認しする。
レベルは五十を越えていた。
墳墓から帰還してきた時点では、レベルは二十前後だった。たった一度の戦いで、レベルが三十以上も上がるなど、ロッシュにとっても初めての経験だった。それだけに、ラルドとの戦闘がどれだけ格上との戦いだったかが伺える。
「やれやれ…とんでもない奴等に目をつけられたなぁ…」
うんざりする様に、ロッシュは呟く。しかし、これはさらに強くなるチャンスでもあった。
トリアーヌを呼び、打ち合わせの場所を確認して、一足先にそちらに向かうロッシュ。
その表情には、強敵に立ち向かう緊張と、未知の困難に対する期待の様にな物が浮かんでいた。