17 逃げる魔術師と怒る占術師と嗤う剣士
洞窟の中は、外より若干気温が低い。空気の流れは皆無ではないが風はなく、湿度も若干外より低いようだ。何よりにおいが違う。
魔獣・魔物はもちろん動植物のにおいも、人の生活臭すらない。埃っぽくもなく、腐臭もない。先程の戦闘のせいか血臭は残っている。内と外では、同じ砂岩でも色も質も異なるようだ。
自然にできた洞窟ではなく人工的に作られたものだと、そのほぼ平らな砂岩の壁や床、天井を見れば誰にでも理解できる──レオナールにはこれがダンジョンなのか、資材を運び込んで作られたものなのかは区別はつかないが、いずれにせよ魔術を使っただろう事は想像がつく──そういう造りだ。
入り口周辺に人の気配はないが、少し奥まった場所──最初の戦闘をした部屋周辺──に十数人から二十数人、その手前に6~7人の気配と声がする。
そちらに近付くにつれ、ボソボソとした声が大きく明瞭になってくる。戦闘音はないし激しく言い争っているわけでもないが、どうやら揉めているようだ。
(斬りたい)
嫌なにおいがする。
「……なら、この場は我々が管理しよう。以前の約定もあるし、そちらは手が足りていないのだろう? ならば、我々に委ねた方が良かろう」
知らない男の声だ。
(斬りたい)
男は笑っているようだが、ねっとりした悪意と嘲りと驕りを感じる。
「それはセヴィルース伯による指示か、それとも独断か? わかっているのだろうな、ダニエル・アルツとオルトレール公とアンジェリーヌ殿下の不興を買う覚悟があるのか?」
ダオルの声が聞こえる。しかし、先の声の主は彼を侮っているのか、声を上げて笑った。
「わたしを誰だと思っている。伯の義理の従兄弟叔父で騎士団の第五隊隊長だぞ。元は流れの異国出身の平民ごときが意見できる相手だと思っているのか、痴れ者が」
「今の内に忠告するが、ここで退いた方が良い。でなければ後悔する事になる。ダニエルがこの件に関して、どれほど熱意を注いでいるか知っていれば、そのような言動ができるはずがない。
あの男は敵と見なした相手は問答無用で全て食らい尽くす。Sランクというのは、災害級魔獣級と同じくらいの脅威だぞ」
「ハッ、所詮は威を借る狐か。お前こそわかっておるのだろうな。わたしを敵に回せば、ラーヌの外に出ることはおろか、内にいても満足に眠れない生活を過ごす事になるぞ」
「そうか、忠告はしたぞ。では、連れと合流次第ここを去る」
「ハハハ、わかれば良いのだ」
(斬りたい。すごく、気持ち悪い)
レオナールは剣の柄に手を掛け、抜刀しようとした。
「おい」
聞き慣れた声にレオナールが振り返ると、呆れた顔のアランがルージュと並んで立っていた。
「……あら」
軽く目を瞠ったレオナールにアランが足早に歩み寄り、人差し指で額を軽く突いた。
「レオ、お前今、何をしようとした?」
渋面のアランに、レオナールは声を上げて笑った。
「あははっ、ごめんなさい。ついうっかり」
「ついうっかりで人を斬ろうとするなよ、おい。まったく、念のため後を追いかけて良かった。お前というやつは本当に油断ならないな。だいたいまだ敵対もしてないのにどうして抜こうとした」
「え、においが臭かったから?」
「は? お前、臭かったら斬ろうとするのか? ってこれ、整髪剤の香りか、これが嫌なのか? でも、貴族や金持ちは大抵使っているだろ……ってまさか、お前……」
「嫌なものは嫌なのよ。それにあれ、なんか気持ち悪い。ウザイから黙らせたい」
「よくわからないが、そんな理由でいちいち斬ろうとするな。なぁ、レオ。町に帰ったら鹿でも猪でも好きな肉食わせてやるから、それまでしばらく我慢しろ」
「あれ斬ったらスッキリしそうなんだけど」
「やめとけ。斬ったら厄介な事になって夕飯食えなくなるぞ。最低一晩牢で過ごす事になる。それに斬ってもにおいは消えないだろ」
「吐きそうに甘くて変なにおいなんだけど」
「我慢しろ。離れれば問題なくなる」
「その前に吐いたらどうしてくれるの?」
「安心しろ、レオ。ちょっと吐いたくらいで人は死なない。人は普通斬ったら死ぬか怪我するから、やめておけ。死んだ人は生き返らないんだ。
……お前が貴族が嫌いなのはわかってるつもりだが、無闇矢鱈と喧嘩売ろうとするな」
「別に喧嘩売ろうとしたわけじゃないわよ。それより、どうして? 私、待っててって言ったわよね」
呆れたような顔をするアランと、不思議そうに頭を傾げるルージュを見ながら、レオナールは首を傾げた。
「当たり前だ、俺はお前を信用してないからな。お前を単独行動させるわけがないだろう。俺が歩き出したら、普通にこいつも着いてきたぞ。この幼竜、お前より頭良いよな」
アランはキッパリ言い切った。
「それ、意味ないわよね、様子見てくるって言ったのに。何かあったら危ないでしょ」
「その時は『嫌な予感』がするだろ。《鉄壁の盾》か《眠りの霧》一回分の魔力は回復した。無いよりはマシだろ」
「今まで探索中に魔力切れ起こしたことあまりなかったのに、今回頻度ひどいわね」
「使い慣れない高位魔術を使ったからな。シーラさんくらいの魔力量があるならともかく、駆け出しの魔術師が使うには、ちょっとな。その後の休憩も短かったし。俺の心配してくれるなら、問題起こさないように努力してくれ、頼むから」
「でもたぶんあれ、斬った方が良い部類だと思うわよ?」
「だとしても、それは俺達が判断することじゃない、レオ。そう思うなら、しかるべきところへ訴えたらどうだ」
「……面倒臭い」
レオナールの返答に、アランは大きな溜息をつき、大仰に肩をすくめた。
「自ら手を下す方が余計面倒だと思うぞ。時間と手間は掛かるが、自分の手は汚さずに済むし、何より犯罪者扱いされずに済むからな。
面倒臭そうな相手なら俺とダオルでなんとかするから、お前はちょっとおとなしくしてろ。嫌なら聞こえない振り見えない振りして、今日の夕飯の事だけ考えていれば良い」
「それで良いの?」
「どう考えてもお前が剣を抜くよりマシだろう。それに、お前の嫌な事は代わりにやってやるって約束だからな」
「わかった。アランにまかせるわ」
「了解。一応言うが、何言われても絶対剣は抜くなよ?」
「なるべく気を付けるわ」
「なるべくじゃねぇよ! 抜こうとしたら夕飯抜きだからな」
「えっ、さっき奢るって、好きな肉食わせてやるって言ったじゃない!」
「人の話は良く聞け。剣抜かなきゃ食わせてやる」
「……わかった」
渋々頷くレオナールに、アランはなるべく早めに町へ帰ろうと決心した。アランを先頭に、レオナールとルージュが続いて歩くと、こちらへ向かって歩くダオルに遭遇した。
「ダオル」
「アラン、ちょうど良かった。先程、領兵団のラーヌ駐留黄麒騎士団所属の第五小隊が来た。捕まえた連中は彼らが連行すると言って、現在拘束して運んでいるところだ」
「待て。領兵団の連中は何処から来た?」
アランが眉をひそめて尋ねると、ダオルが苦い顔になった。
「巨大蜘蛛の方から魔法陣で転移してきたらしい。運び込んでいるのも、そちらだ」
「どういうことだ? 俺達が発見する前に、あの場所を知っていたとでも?」
「いや。どうもおれ達が門を出た後、着いてきた者がいたようだ。おそらく場所を確認して、小隊を向かわせたんだろう」
「何? おい、それ、まさか」
「冒険者の装備や遺体に興味はないだろうが、宝物や財宝でもあると思っているのだろう。違うと言ったが、あれは信用してない。
《混沌神の信奉者》の名称くらいは知っているが、詳しくは理解してないようだ。セヴィルース伯と直接の伝手はないから、これからすぐダニエルに連絡するつもりだ」
「その方が良いだろうな。外でするのか?」
「ああ。屋内でも出来なくはないが、外の方が良い」
「わかった。面倒な事になったな。魔法陣は使えそうか?」
「しばらく難しそうだ。場合によっては、徒歩で先の場所へ向かった方が早いだろうな」
「ガイアリザードとルヴィリアは無事かな。こんな事なら連れて来るんだったな」
アランは嘆息した。
「そうだな。幼竜が通れるならガイアリザードも問題なかっただろう。どのみち遺体または遺品の確保があるから、戻らなくてはならないが」
「レオが暴走しなきゃ、こんな事にはならなかったんだよな」
アランに恨めしげな目を向けられ、レオナールは肩をすくめた。
「私のせい? だって、どのみち連中とは遭遇してたんじゃないの」
「違う。そうじゃなくて、あれがなければ、エリクの遺体を確保してから向かえたと言ってるんだ。少なくとも誤転移はなかっただろうからな」
「アラン、しつこい」
「これだけうるさく言えば、忘れっぽいお前も学習するだろ? してくれなきゃ困るが。
まあ、それはともかく、そういう事ならこのまま外に出てさっきの洞窟へ向かうしかないだろうな。あまり気は進まないが」
「そうだな。おれとしてもあの連中に幼竜の姿をさらす気にはならない」
「何か言ってたのか?」
「おそらくこの拠点も、巨大蜘蛛のダンジョンにも、彼らが望むような宝物の類いはない。そうなると、それに替わる代物を欲しがるだろう。幼竜は、とても稀少だからな」
「まともな神経してたら、こんなもの欲しがらないだろう。レオと一緒だとそうは見えないかもしれないが、幼竜とはいえれっきとしたドラゴンだ。愛玩動物じゃないし、下手に手を出したら死ぬぞ」
「それが理解できない者もこの世にいる。つい先程会話したが、あの小隊長はこちらの話に聞く耳持たないようなので、一旦引く事にした。
領主の遠い親戚とはいえ係累なのに、こんなところで小隊長やっている時点で仕方ない事かもしれないが」
「それは早々に退散した方が良さそうだな」
一行は足早に外に出た。追ってくる気配はないが距離を置いてから、ダオルは紙に何かを書きつけて封をすると、魔道具を取り出し押しつけた。
封をした手紙と魔道具が白く輝き、手紙がふわりと宙に浮いた。そして、北東へ一直線に飛んで行く。
「結構速いな」
「ああ、人に運ばせるよりずっと速い。魔術師ならば使い魔を利用できるのだろうが、これは魔力の少ない者でも使えるのと場所を選ばないのが利点だな。
特に使用制限はなく、魔力が少なくなると赤く光るようになるから、魔石を交換すれば問題ない」
「使い魔を持つ魔術師も少数だろう。それは特定の相手にしか使えないのか?」
「ああ。対の魔道具を所持した者にしか届けられない。問題があるとするなら、常に移動していると届くのが遅くなることだ。
それと、あれより速く移動していると、いつまで待っても届けられない。また、対の魔道具を持たない者は触れられないが、あれに魔法などで攻撃して燃やしたり破損させることは可能だ」
「手頃な値段なら欲しいんだが、高いんだろうな」
「ダニエルが知人の魔術具技師に作らせたらしい。たくさん持っているから、頼めば融通して貰えるだろう。値段まではわからないが」
「おっさんなら頼めば無償でくれそうだが、後が面倒そうだ」
「ずいぶん可愛がっているように見えたが?」
「それは否定しないが、あのおっさんの感情表現はゆがんでいる上に、本性見せた相手には色々面倒臭いんだよ。ダオルの目にどう見えているのかは知らないが、あの人無償奉仕は基本的にしないぞ。与えた分は強制的にでも徴収する。それが目に見える形のものじゃなかったりするから、鈍感な人や美化している人には気付かれない。敵にしても味方にしても面倒なんだ」
「敵にしても味方にしても面倒、というのは同意する」
「じゃあ、行くか。早いところ回収して、済ませてしまおう」
アランの言葉に、ダオルは頷いた。
◇◇◇◇◇
一行は南下し街道を越えた辺りで、ルージュを先頭に巨大蜘蛛やアラクネのいた洞窟を目指した。途中から多くの枝が払われ、草が踏み荒らされ、土が踏み固められて道のようになっている。
「あの連中、馬で来たのか」
「ドラゴンが走った後だから、通常よりは走りやすかっただろう。その前に枝葉を鉈か何かで切り払ってあるようだが」
「稀少な薬草や樹木はないようだから良いのかもしれないが、結構無茶するな」
「荷車のような跡もある。もしかすると、おれ達は何日も前から見張られていたのかもしれない」
ダオルが渋面で言うと、アランも顔をしかめ、レオナールも肩をすくめた。
「やはりラーヌは早々に発った方が良さそうだ」
アランはウンザリしたした口調でぼやく。
「えっ、古き墓場は?」
「転移陣があるからロランからでも行けるだろ。ラーヌは組織丸ごと換えなきゃダメなんじゃないか?」
「どんな組織も一度に全て変えようとすると弊害があるから、丸ごと交換は無理だろう」
「全部斬れば済むのにね」
「……それで済むなら、お役人の仕事も多少は楽になるだろ」
アランは溜息をついた。洞窟前にたどり着くと、ルヴィリアが駆け寄って来た。
「ちょっと! 置き去りにするなんて酷いじゃない!!」
ルヴィリアの叫びに、ダオルはふむと頷き、アランはしまったという顔になった。レオナールは素知らぬ顔である。
「すまない。すぐ戻るつもりだったのだが、諸事情あって遅くなった」
ダオルが謝り、アランも慌てて頭を下げた。
「悪い。ちょっとレオがドジ踏んで遠回りする羽目になった」
「えーっ、それ、ちょっと省略しすぎじゃない? 私も悪かったかもしれないけど、それだけが原因じゃないでしょう」
「良くわからないけど、レオナールのせいなのね! そんな事より、大変なのよ!! ラーヌ駐留の領兵団の小隊が来たのよ。なんか半数が騎馬で、下働きと従者と輜重付き! 煮炊き道具まで持参よ」
「……あー、そうらしいな。とにかく証拠の遺体を回収してラーヌに戻ろうと思ってるんだが」
苦い顔でアランが言うと、ルヴィリアが眉をひそめた。
「えっ、まだ回収できてないの? どれだけ時間経ったと思ってるのよ。早くしないと日が暮れるわよ」
「蜘蛛を見て入り口で気絶してた人に言われたくないわね」
レオナールが鼻で笑いながら言うと、髪を掻き上げた。その言葉と態度に、ルヴィリアがカッとなる。
「うっ、うるさいわね! 人には誰しも苦手なものがあるのよ!!」
「虫嫌いとか冒険者としては致命的よね」
「……あぁ、それだけど、悪いけど私、冒険者なんて無理だわ。絶対無理。でも良く考えたらダニエルから最初に言われた仕事内容って、あなた達の支援とレオナールに一般常識を教える事だから、冒険者になる必要なかったのよ!」
「え?」
「は?」
キョトンとするレオナールとアランに、ルヴィリアが満面の笑みで宣言した。
「そういうわけだから、私、町で引きこもるわ! 昼間はあなた達の仕事をするから、会うのは夕方から夜で十分よね。
私も昼間は本職、占術師と薬師の仕事をするわ。確か冒険者ギルドの仕事に、薬草採取とか薬の納品とかもあったはずだから、問題ないわね!」
「……問題ないかどうかはともかく、レオに常識が必要なのは確かだな。学習できるか否かは別にして」
コホンとわざとらしい咳払いをして言うアランを、レオナールは睨む。
「ちょっと、アラン! 今、こいつ面倒だから私に押しつけよう、とか考えなかった!?」
「そんな事はないぞ。お前に一般常識がないのはただの事実だからな」
アランは胡散臭いニッコリとした笑顔を作って言う。
「私は嫌よ! なんでそんな面倒臭いこと……っ!」
「言っておくけど、私だって断れるものなら断りたいし、やりたくないわよ。でも、手付金と報酬貰っちゃったから、その分の仕事はするわ。
だいたい、私が冒険者になっても、少なくともあなた達の役には立たないでしょ。足手まといになるくらいなら、最初から同行しない方が良いわよね」
ルヴィリアが「ほら、これで問題ないでしょ」と言わんばかりの表情で堂々と言い切る。アランは一応正面を向いてはいるがルヴィリアと目を合わせず、愛想笑いのまま頷いた。
「そうだな。それで別に問題ない。そういえば薬師や情報屋の真似事が出来るという話だったな。
なら、町に滞在してそっち方面で支援してくれると、俺の仕事が減って助かるな」
「ちょっと、アラン! 自分だけ逃げないで、こっちのフォローもしてよ!! 別に教育係や指導役なんて要らないわよ!」
「レオ、お前はもうちょっと頑張って頭使った方が良いと思うぞ。
どうしても嫌なら、俺よりダニエルのおっさんを説得した方が早いだろ、ハハッ」
「ちょっと! どうして私と視線合わせようとしないのよ!!」
「うん、今日も天気に恵まれて良かったな。よし、日が暮れない内に回収して、ラーヌへ戻るか!」
「わざとらしいわよ、アラン!」
アランはレオナールともルヴィリアとも目を合わせぬよう、ダオルを促して洞窟の中に入った。
残されたレオナールとルヴィリアは顔を合わせた。
「ねぇ、あなた私のこと嫌いなんでしょう? それでもやるわけ?」
「ええ。残念ながら使ったお金は返って来ないから仕方ないわ。
それに、私もそろそろ稼がないと。お金っていくらあっても飛ぶように消えちゃうのよね」
「それ、使い方が悪いんじゃないの?」
レオナールは呆れたような目でルヴィリアを見た。
「うるさいわね! あなたみたいな変態××××野郎に言われたくないわよ!!」
「うるさいはこっちの台詞よ。躾けのできてない犬みたいにキャンキャンわめくのはやめてくれないかしら?」
「死ね! ××野郎!!」
「下品ね」
ルヴィリアの怒りの叫びと、レオナールの哄笑が辺りに響いた。
スマホなどPC以外の端末向けに改行増やす事にしました。
ガラケーなのでスマホだとどう見えるのか知りませんが、ipadやVITAから見る限りでは、スマホの画面だと見づらそうです。
あと3話で完結すると良いなと思ってますが、書く度に増えているような。




