5 幻影の洞窟の探索1
合図の狼煙が上がった事に一番最初に気付いたのはルヴィリアだった。ダオルの視線は下へ向きがちだったせいもある。
アランは太陽のある方角を確認したり、植生や簡単な地形などを書き留めたりしており、視線をあちらこちらへ向けてはいたが、視界を広く取る分、一点に対する集中力はいくぶん低くなっていたかもしれない。
「思っていたより煙の量が多いな」
ダオルが木立の間から立ち上る煙を見上げて言う。
「あいつ、薬剤の量を間違えたな」
アランが舌打ちした。
「わかったのなら、早く向かいましょ。ここ、魔獣は見かけないけど虫が多いから、さっさと済ませてしまいたいわ」
ルヴィリアが言った。一行は、狼煙を目印に移動速度を速めた。
「ここ、右手へ向かって傾斜しているな」
「うむ。少し下っているようだな。見通しが悪いから、先の方はどうなっているか見えないが」
「そう言えばコボルトの巣も、断層で隆起したらしい崖を利用した造りになっていたな。街道のある辺りは概ね平坦なのに」
「なるべく起伏の少ないところを街道にしたのかもしれない。おれは辺境からアマル川沿いの南の街道を下って来たが、ラーヌ辺りは、多少の起伏はあるが、ちょうど緩やかな谷のようになっているようだ」
「谷、か」
「とはいえ、エルヴィラから北は、馬車で移動する分には特別気にならない程度だろう。気になるのか?」
「ああ、いや、これは趣味みたいなものだから。探索には関係ない」
狼煙の位置は、ラーヌから見て東にちかい南東であり、コボルトの巣よりもラーヌに近い場所のようだ。
「この森、日当たりも地味も水も問題なさそうなのに、生息する動植物の種類がやけに少ない気がするな。人が頻繁に入っているせいなのか、他に何か原因があるのか」
「定期的な伐採はされているようだし、人の出入りもありそうだから、おそらく前者が原因だろうな」
「虫は多いけどね。本当これ、うっとうしいわ」
アランの独り言に、ダオルとルヴィリアが口を開く。
「虫が嫌いなのか?」
「そうね、好きとは言い難いわね。でも、一番大っ嫌いなのはクモよ、クモ。あの足のいっぱいあるところとか、種類によっては毛が生えてたりする辺りが、ものっすごく嫌。想像しただけで寒気がするわ」
「足は二本多いだけだろう。そんな事言ったら、ムカデとかゲジゲジとかはどうなるんだ」
「やめてよ! 名前だけでもほら、こんなに鳥肌が!!」
ルヴィリアがぐいっとローブの袖口を肘まで引き上げて、右腕をアランに突き出して見せる。
「虫が嫌いとか言ってたら、田舎で生活はできないし、冒険者とかきびしいだろ。森や山の探索とか移動とか多いんだぞ。ダンジョンだって、場所によっては虫系のやつだって出て来るし。
ダンジョンに出て来るのは大抵大きいぞ。コボルトやハーフリングより大きいのもいる」
「やめてって言ってるでしょ!? 気持ち悪い事言わないでっ!!」
甲高い悲鳴混じりの声で叫ぶルヴィリアに、アランは肩をすくめた。
(これは虫系魔獣とか出たら、うるさそうだな。これは判断ミスったか。出ない事を祈るしかないが)
先を進むにつれ、前方に灰色の岩壁が見えて来る。
「砂岩、泥岩、礫岩ってとこか。これも断層っぽいな」
位置を確認して書き留めるアランに、ルヴィリアが怪訝な顔になる。
「どうしてそんなに頻繁に書き留める事があるの?」
「え、だって、ギルドに報告する時や、ギルドで確認取る時に、情報があるのと無いのじゃ、だいぶ違うだろう?」
「私、冒険者ってもっと脳筋で雑な仕事してるのかと思ってたわ」
ルヴィリアの言葉に、アランは眉をひそめ、ダオルは苦笑した。
「十把一絡げにされるのは、気分良いものじゃないな。そういうのは千差万別だろ」
「アランの仕事が丁寧なのは、間違いないな」
岩壁の近くへ向かうと、レオナールが駆け寄って来た。
「アラン!」
その声にアランが右手を挙げて応じる。
「ちょっと、アラン! あの薬の臭い、嫌だって言ったのに、何なのあれ!!」
駆け寄って来たレオナールが、噛み付くように怒鳴る。
「嫌な臭いの方が記憶に残りやすいし、覚えやすいだろ」
アランは肩をすくめて言った。
「何それ! 嫌がらせ!?」
「お前にわざわざ嫌がらせしてどうしようってんだ。そんな事より、あれか?」
岩壁を指し示すアラン。しかし、レオナールは首を左右に振りつつ、狼煙を指差した。
「そんな事よりって! あれ、どうにかしてよ!!」
「もう必要ないから、消せば良いだろ。だいたい、一度に燃やす量が多すぎだろうが。あれ、一つで一回分だぞ」
「そうなの?」
「何のために、同じ量にして練り固めてると思うんだよ。粉末状だと扱い辛いし、お前は目分量とか苦手だろう」
「でも、今ある分は仕方ないにしても、次からは違う臭いにしてよ」
呆れたように言うアランに、レオナールが珍しく嘆願する。
「どうせ次回作る時には、忘れてると思うけどな」
「何が言いたいのよ?」
肩をすくめて言うアランに、レオナールはジロリと睨んだ。
「使用頻度が少ないから、たぶん一年分以上あると思うぞ」
「えっ……!」
アランの言葉に、レオナールが絶句する。
「だからその内慣れるし、それで覚えるだろう。そうしたらわざわざ変える必要ないよな」
アランがニヤリと笑って言うと、レオナールが愕然とした顔になった。
「それ、ひどくない?」
「全然酷くないぞ。どうせ中途半端なのにしたら、忘れるだろ。覚えやすくて良いじゃないか」
「アランの横暴! ひとでなし!!」
「だから何だ? 言っておくが、変える気はないからな」
アランがキッパリ言うと、レオナールはガックリ肩を落とした。
「……最悪」
そんなレオナールの姿に、アランが鼻で笑う。
「言っておくが、これはお前に対する嫌がらせとかそういう理由じゃないぞ。なるべく安価で手軽で、一番効果のありそうな素材を選んだんだ。
文句があるなら、稼げるようになってからにしろ」
「ランクアップさせてくれない上に、依頼受注の頻度もそっちが決めてるくせに、良く言うわ」
「当たり前だ。わざわざ無理するようなもんじゃないからな。お前の裁量にまかせたら、負担とか効率とか休息とか関係なしに、片っ端から討伐依頼を受けようとするに決まっている。
冒険者なんて命あっての物種だし、身体が資本だ。無理して身体を壊したり負傷したら、元も子もない」
「じゃあ、せめてランクアップさせてくれたって良いでしょ」
「少なくともあと三ヶ月は様子を見る。登録から一年とまでは言わないが、最低半年は現状維持だ」
「アランって本当、面倒くさい」
「面倒臭いとか言うな!」
その様子を見ていたダオルは苦笑し、ルヴィリアが困惑した顔になった。
「ねぇ、アラン。こんな事言うのあれだけど、さすがにそれ、ちょっと可哀想じゃない?」
「可哀想? 誰が。一応言うが、これはこいつのためでもあるんだぞ。この前の戦闘はおっさんがいたからわからなかったかもしれないが、レオの戦闘の仕方見てたら、俺の心配も理解できるはずだ。
こいつの特攻癖ときたら、本当にひどいからな。格下相手や命がかかってない時はともかく、そうでない場合を考えたら、心臓に悪過ぎる」
アランはいまだに、レオナールがレッドドラゴンに一人で特攻したのがトラウマである。
そのレッドドラゴンは運良く仲間になったが、似たような状況になれば、明らかな格上にも飛び掛かる可能性が高い。レオナールは全く反省していないのだから。
「きゅきゅーっ!」
岩肌の前に立つルージュが急かすように鳴き声を上げた。アランは幼竜に近付き、その尻尾の先が消失しているのに気付いて、驚いて足を止めた。
「え!? なっ、し、尻尾はどうした!?」
アランの狼狽ぶりに、レオナールがニヤニヤ笑いながら、ルージュの消えた尻尾の近くに自分の指を伸ばして、それが岩壁に消えるところを見せた。
「幻術ね。しかも認識阻害と知覚減衰までかかっているわ」
普段自分が良く使う魔法なだけあって、ルヴィリアが言い当てた。
「待て。だとしたらこれ、高位魔術師の仕業か? かなり高度なレベルだろう。普通に見たら、ほとんど違和感を感じないぞ」
「確かに幻術の構成や再現度はものすごい高レベルだけど、認識阻害はちょっと上手いくらいで、知覚減衰に至っては普通だと思うわ。
たぶん精神魔法はそれほど得意じゃなさそう」
「いや、でも、このレベルで展開・維持できるなら十分すごくないか?」
「そうね。効果範囲が尋常じゃないわ。もしかしたら魔法陣か魔道具を使っているのかも。これが常態だとしたら、人力かつ詠唱でこれを展開・維持するのはキツそう」
「魔法陣、か」
アランは顔をしかめた。それを見たレオナールが楽しそうな声を上げた。
「何、アラン。嫌な予感がするの?」
期待を込めたレオナールの視線に、アランは思わず渋面になる。
「レオ。一応言うが、この先絶対単独行動するなよ。最低でも幼竜は連れて行け」
「大丈夫よ。ルージュなら言わなくてもちゃんと着いてきてくれるもの。今回はガイアリザードと大剣遣いがいるから、アランを残しても問題なさそうだしね」
ニッコリ笑うレオナールを、アランはギロリと睨み付けた。
「おい、それ、大丈夫って言わないだろ。頼むから無闇矢鱈に特攻したり、突出して先行しないでなるべく指示に従ってくれ」
「その時にならないとわからないわね」
「レオ」
「だって、考えるより先に身体が動くんだもの。難しい事は良くわからないわ」
肩をすくめて言うレオナールに、アランは諭すように言う。
「あのな、レオ。今回はここにどんなやつが出て来るか情報がないんだ。もし、ドラゴン級の魔獣や魔物が出たら、どうするつもりだ?
頼むから、考えなしに飛び掛かるのだけはやめてくれ」
「私は斬れれば何でも良いのに」
「自分が到底かなわない相手でもか」
「そうよ。知ってるでしょう?」
「知っているからやめてくれと言っているんだ。お前のためにって理由が気に入らないなら、俺のためにそうしてくれ。
やっと冒険者になれたんだ。命にかかわるような真似はしないでくれよ。俺がランクアップしたくないのは、お前が自分の生死や負傷を考えずにすぐ特攻するからだ。
俺は正直、高レベルの強敵より、お前の特攻癖の方が恐いよ。お前はもっと慎重に、冷静になれ。
出来れば、きちんとした状況把握と戦力確認をして、戦術を考えられるようになって欲しい。
今すぐとは言わない。少しずつで良いから。な?」
「良くわからないけど、わかったわ」
レオナールが答えると、アランは激昂した。
「それ、絶対わかってないだろう!!」
何故これで話が通じないのか、アランには全く理解できない。これ以上どう言えば、通じると言うのか。
「だいたい何がわからないんだよ!」
「一言で言うなら、話が長い?」
「長いって言われるほど長いか?」
「なるべく三文節内でまとめて貰えると助かるんだけど」
「おい、それは逆に難しいだろう。お前、思いつきで適当な事言ってないか?」
「じゃあ五文節くらい?」
「よし、わかった。希望に応えて短くまとめてやる。無茶をするな、次に特攻したら飯抜きだ」
「えっ、さっきそんな事言わなかったわよね?」
「お前が理解しやすいようにしただけだ。それに飯抜きって言われたら覚えられるだろう?」
「ひどい!」
「酷くない。酷いのはお前だろ。水は好きに飲ませてやるから安心しろ」
「戦闘後はお腹が空くのに!」
「なら、特攻するな。簡単な話だろう?」
「特攻しなければ良いの?」
「ああ。絶対にするなよ」
「……わかったわ」
レオナールは渋々ながら、頷いた。
◇◇◇◇◇
ルージュを先頭に、レオナール、アランとルヴィリア、ダオルの順に、岩壁にしか見えないその場所から、侵入した。
中は、外より若干低い気温の洞窟のようだ。壁は砂岩で主に構成されている。
「暗いな。どうする? 一応ランタンは用意してあるが、《灯火》を使うか?」
「《灯火》を使ってくれた方が楽なのは確かね」
「そうだな。ランタンはどうしても片手がふさがるからからな」
「わかった」
アランは《灯火》を詠唱し発動させた。そこは天然の洞窟ではなく、明らかに人工的に造られた空間だった。
天井は一番高い所で十五メトル以上ある。凹凸はあるが、ほぼ正方形に近い形状で、横幅は三十メトル前後というところだろうか。
一見何もないように見える。だが、アランはふと嫌な予感を覚えた。歩き出そうとしたレオナールの肩を掴んで、制止する。
「待て」
「何、アラン」
「念のために一つだけランタンに火を点ける。しばらくその場で移動せずに、周辺に注意と警戒してくれ」
「わかったわ」
アランの言葉にレオナールは肩をすくめた。
「あと、ルヴィリア。念のため、索敵と罠がないか調べてくれ。魔術の方で良い」
「初っぱなから慎重ね」
ルヴィリアは半ば呆れたような顔をしたが、指示に従う。ダオルも周囲を注意深く見回し、背後にも警戒を払う。
アランは背嚢からランタンを取り出し、火打ち石で火を点した。
「特にこの部屋には何もないし、遠くの方で水が滴るような音は聞こえるけど、他におかしな音も聞こえないみたいよ」
レオナールが言う。
「《物体感知》《生体感知》では、範囲内に感知できるものはないようよ。でも、室内あるいはかなりの広範囲に《隠蔽》《認識阻害》《知覚減衰》がかかっているみたい」
「幻術はここにはかかってないのか?」
「この部屋に関しては、なさそうね。たぶんかかっている魔法に抵抗できないと、何か見落としをする可能性はあるけど、ここには特に何もないと思うわ」
アランはますます嫌な予感を強めながら、ランタンをあちらこちらに向け、周囲を見回した。
「ねぇ、アラン。何か気になる事があるの?」
レオナールが不思議そうに尋ねる。
「ああ、なんか上手く言えないけど、嫌な予感がするんだ」
「それ、いつものやつ?」
レオナールに聞かれ、アランはしばし無言で考える。落ち着かない気分なのは確かだ。しかし、寒気がしたり、冷や汗をかいたりはしていない。いつものそれと同じかどうか考えるが、わからない。
(わからない?)
アランは首を傾げた。何か忘れているような、気付かなければならない事を見落としているような気がする。
「なぁ、ルヴィリア。本当に幻術はかけられてないか?」
アランが尋ねると、ルヴィリアは大仰に肩をすくめた。
「ないって言ってるでしょう」
「そうか。それなら良いんだ。しつこく聞いて悪かった」
アランはそう告げて足下に視線を落とした。淡いクリーム色の砂岩と赤褐色の砂岩がマーブル状になっている。
背後を振り返ると、ダオルの背後の通路の奥に森が見えた。
(何だろう、この違和感は)
アランは首を傾げた。
更新ものすごく遅れてしまいました。すみません。
というわけでダンジョン探索です。




