4 幼竜と剣士の不満
ラーヌ南東の森は、先日コボルト討伐を行った北東の森と、ゴブリン討伐を行ったロラン北東の森の間にある。
それぞれの森の合間に街道が東と南に向かって伸びており、東にはアマル川が流れている。
「で、この森のどの辺りだって?」
「ロラン方面へ抜ける途中とは聞いたけど、詳しい場所はあの魔獣屋も知らなかったみたいね。
そんなに広くないから、わからなければくまなく探せば見つかるわよ」
「おい」
アランがレオナールをギロリと睨んだ。
「それにいざとなったら勘頼りで良いじゃない。どんなスキルや魔法もかなわない最強の特技でしょ」
「お前、最初からそれ当てにしてただろう」
「あははっ。ねぇ、アラン。行きたくない場所ない?」
「今のところねぇよ、残念だったな」
「じゃあ、行方知れずの斥候さんの遺品ちょっと貸してちょうだい」
「おい、確認してもいないのに勝手に殺すな。預かり品って言え」
「じゃあ預かり品貸して。ルージュににおい嗅がせるから」
「背嚢の一番上に入っている。なるべく他のにおいがつかないように袋は二重にしておいた」
「まぁ、ないよりはマシよね」
「お前、それで良く実際行けば良いとか言えたな」
「うーん、なんか一応ヒントっぽい事は聞いたような気がするけど、色々あったり日が経ったせいか、忘れたのよね。
でも、忘れたって事はきっとどうでも良い事よ。どうしても必要ならその内思い出すでしょ」
明るく軽い口調で言うレオナールに、アランはしまったと蒼白になる。自信ありげに言うものだから確認を怠ったのがまずかった、と反省したが、本人はケロリとしている。
「おい、レオナール。どうしてお前、そんな平然としているんだ」
「世の中の大半の事は、なるようになるものよ」
笑顔で言うレオナールに、アランは渋面になる。
「それを口にして良いのは、日々平穏に人に迷惑かけないように暮らしている老人だけだ!」
アランは叫んだ。
◇◇◇◇◇
件の森の手前の街道で馬車を止め、レオナールが借り物の革手袋のにおいをルージュに嗅がせ、そのにおいを探すように頼むと、しばらく嗅いでから小走りに森の中へと駆け出した。
「ちょっ!」
慌てるアランに構わず、レオナールも背嚢を担ぎ上げ、駆け出した。
「見つけたら、合図の狼煙を上げるわ!」
「待て! こんな真っ昼間に森の中で狼煙あげて見つけろとか、無茶言うな!!」
「大丈夫! 何とかなるわ!!」
レオナールはそう言い捨てると、木立の中に姿を消した。アランはガックリと肩を落とし、深い溜息をついた。
「大丈夫か?」
ダオルがアランに声を掛けた。
「正直あまり大丈夫とは思えないな。悪い、迷惑掛けて」
「まぁ、おれは一応慣れているから」
ダオルが苦笑して言った。
「それで、狼煙は木の枝や葉を燃やしているのか?」
「一応、それに加えて俺が作った煙を出すための薬剤を燃やす事になっている。燃やした時に独特の香りのする薬草を乾燥させた粉末を、リンと炭と油を混ぜて練ったものだ。
量を増やしたり、一緒に燃やす木の枝や葉の種類を工夫すれば煙の量を増やせるのは間違いないが、これだけ木が密集して生えている場所で、見つけられるかどうか。
レオと違って匂いだけで場所を確認できる自信は、ちょっと」
「強めの匂いなら、おれにも探せそうなんだが、どうだろうか」
「近くに寄れば、わかる匂いだと思う。ちなみにこれだ」
そう言って、背嚢の奥の方から革袋を取り出し、ひとつまみ練り固めた薬剤を取り出した。
「……あまり嗅いだことのない匂いだな」
「匂いの強めの香草を数種類を混ぜている。蜜のような甘ったるい匂いと、わずかに刺激臭のある清涼感のある匂い、それと柑橘類系の匂いがすると思うんだが」
「変な匂いではないが、変わっているのは確かだな」
「普段何処かで嗅いだ事のあるような香りだと、探すのが大変だから。まあ、ぶっちゃけると、レオの嫌いな香草なんだが」
アランの言葉に、ダオルが目を丸くした。
「それ、嫌がられなかったか?」
「嫌な匂いの方が覚えられるだろう? あいつの好きな匂いって言ったら、肉を焼く時の匂いだから、論外だ」
「ああ、なるほど」
ダオルが納得したように、頷いた。
「で、どうするの? 行けるところまで馬車で行くって話だったけど」
「どうするかなぁ」
ルヴィリアに尋ねられ、困ったように頭を掻きながら、アランが呟き、レオとルージュが消えた木立の奥をしばし見つめる。
「どう見ても馬車が通れそうには見えないな。仕方ない。ここで、荷物の載せ替えをするか。
ダオル、街道から見えなさそうなところで、荷台部分を隠して置けそうな場所、近くにあるかわかるか?」
「幌付きのままでか?」
「最悪、幌は外して大きめの布でくるむ。水樽は1つか2つ残して、後は置いていくしかないだろうな。全部ガイアリザードに積むのは無理そうだし」
「了解した」
三人で手分けして、ガイアリザードに荷を積んだり、幌と荷台を布でくるんで、木に立てかけたりした。
それから、アランが愛用のナイフで地面に何かを刻む。
「魔法陣か?」
「ああ、低ランク魔獣にしか効かないが、魔物避けだ。効果時間は3日で人には効かないが、気休めにはなる」
そう言って、刻んだ魔法陣に触媒を降りかけ、寝かせたナイフで余分な触媒を払ってから、再度魔法陣を確認する。
「《結》」
古代魔法語で呟き、右手で魔法陣の外円に触れた。魔力を吸い上げた触媒が青白い光を放ち、グルリと時計回りに一周する。
次に内円が同じように輝き、中心の天空神のシンボルが光を放ち、最後に刻まれた古代魔法語の文字が順に光を放って行く。
最後の文字が輝き、更に強い光が数秒放たれ、全ての光が消えると、ようやくアランは指を外円から離した。
「初めて見たわ、魔法陣を描くところ。意外と簡単そう」
「いや、そんな事はない。普通の魔術師は魔法陣一つ描くにも、資料やら見本やらを見ながら描いているし、何の道具も使わずに正確な円を描くのは無理だろう」
「俺の師匠は慣れだって言ったな。慣れれば、誰だってこのくらい出来るはずだって」
「……お前の師匠は、無茶振り過ぎるな」
「まぁ、この魔法陣は何度も描かされたから」
そう言ってアランは立ち上がり、魔法陣の上に足を置いて、発動させる。
「樽の中の水は捨てて置いた方が良いだろうな。そんなに時間をかけるつもりはないが、腐らせると後始末が面倒だ」
「そうだな。俺がやろう」
ダオルがそう言って、3つの樽の水をあけた。アランは日差しを遮るように目の上に右手を掲げて、森の木立の合間を見回した。
「全く何処にも何も見えないな、あのバカ」
「ドラゴンの足跡、痕跡を探してみるか」
ダオルが言った。なるほど、ルージュが駆けて行くのを確認した木と木の間は、小さな細い枝が折れて地面に落ちていたり、折れ曲がったりしている。
また、わずかながら足跡も残っているようだ。後ろ足の半分ほどの足跡が、アランの三歩半から四歩分くらいの幅でついている。
「もし何も痕跡が見つからない場所に出たら、私が占術で占ってあげるわ」
ルヴィリアが言った。
「斥候もできる、とか言ってなかったか?」
「魔法で代用してるんだけど、魔力が豊富なわけじゃないから、なるべく温存しておきたいのよね。
占術だと魔力は必要ないし精度も良いから、下手な索敵魔法より正確よ。こう見えても失せ物探しと、人探しは得意中の得意なんだから」
「わかった。いざという時は頼む」
そうして、三人と一匹はダオルを先頭に、幼竜の痕跡をたどって後を追った。
◇◇◇◇◇
ルージュが邪魔な小枝をバキバキ折りながら、木立の中を駆けて行く。その後ろをレオナールが無言で追う。日課の際の移動速度と同じなので、追うのは問題ない。
(なんかアランが怒ってたわね。でも、そういうのは後で考えれば良いわ)
どうせ考えても自分にその理由がわかるはずがない、と考えているせいもあるが、考えるが面倒だからというのも理由の一つである。また、アランが怒るのは日常茶飯事だと思っているせいもある。
ルージュの走りには迷いがない。大きな身体に短い足で、バランスを取るために長い尻尾を左右に振りながら、走っている。
チラリと地面に目をやり、その足跡が残っているのを確認して、これなら着いて来られるだろうと判断した。
そうでなくても、ガイアリザードがいる。ガイアリザードなら、レッドドラゴンであるルージュの匂いをたどって追えるだろう。
レオナールも匂いには敏感な方だと思うが、それはあくまで純人と比較してである。さすがにルージュや嗅覚の鋭い魔獣には負ける。においを頼りに人を捜すなんて事は、まず無理だ。
周囲はニレやブナやオークなどの広葉樹がほとんどであり、今は一年で一番緑の繁る時期である事もあってか、視界はあまり良いとは言い難い。
しかし、ラーヌ近郊という事もあり、定期的に人が入るのだろう。木が密集していたり、下草が腰まで生え繁っているという事もない。
こちらの森は、コボルトのいた森より、薪や木材として向いている木が多い印象だ。また、あちらの森に比べ、魔獣・魔物も少ないように見える。
(だとしたら、ダンジョンの噂がないっていう方がおかしいわよね)
アランならばそんなものは存在しないからだと言うのだろうが、レオナールはその存在を全く疑っていなかった。
理由は勘だ、としか言いようがないのだが。人の表面的な嘘に騙されやすい方だ、と言われれば否定しがたいので上手く抗弁できないが、それでも必死な人間の表情が作られたものか、そうでないかの違いは見分けられる自信がある。
死、あるいは恐怖に脅える人間の顔には、慣れている。人の顔から他の感情は読み取れなくても、他人の恐怖を見分ける自信はある。
それ以外の感情には疎いだけかもしれないが。人は良く笑顔を作って見せるが、レオナールにとっては、それらの大半は気持ち悪いものだとしか感じない。
笑顔を作って見せる人間の大半は、心の中でろくな事を考えていないと思っているせいもある。
笑顔が、あるいは笑う事に対して良い感情を持つものだという前提がなければ、それを見せられて心を許すなどという事はあり得ない。それが自然にこぼれたものではなく、人に見せるためのものであるなら、尚更だ。
故に、何故人がそれを作って他人に見せようとするのかも理解できない。
レオナールが、アランに笑顔を見せる理由の大半は、それを見せるとアランが安心するからである。安心すると、そうでない状態の時よりしつこく絡まれない、と学習した。
アランの事は嫌いではないが、良くわからない理由で絡まれたり、説教されるのは苦手だ。それが、どうやらレオナールのためを思っての事らしい、というのは学習したのだが、何故それが自分のためなのかは理解できない。
(アランの心配って、大半がムダというか、空回りだと思うのよね)
そういうバカなところも嫌いではない。面倒臭いと思うだけだ。どうしても嫌で面倒なら、寝てしまうか逃げれば良いと思っている。しばらく経てば、いつの間にか普段の状態に戻っているのだから。
最初は驚いたが、何度か怒鳴られている内、慣れてしまった。レオナールは、アランは時折良くわからない理由で怒鳴ったり叫んだり嘆いたりする人、と認識している。どうせ他人事だと思って見ているので『からかうと反応が顕著で面白い』としか感じない。
言っている内容は、古代魔法語の文言のように意味不明なので、大半は聞き流している。アランが知れば、激昂する事実だが。
「きゅう!」
ルージュが立ち止まり、レオナールを振り返った。そこには森の木々に隠れるほどの高さの岩山があった。一見して、ただの岩壁が連続して続いているように見える。
だが、ルージュが立つ先をじっと注視すると、一瞬その岩壁が揺らいだ気がした。
「……これ、あの娘の使ってたのに、感覚が似てる……?」
レオナールがその揺らいで見えた岩壁に歩み寄り、そっと撫でる。岩の感触だ。しかし、何か違和感がある。
「隠蔽、認識阻害、知覚減衰……」
魔法には詳しくないし、知識もほとんどない。ルージュがその時、尻尾を大きく振るった。
「!」
音はなかった。大きく振った尻尾をピタリと止めると、その先が不意に消失したように見えた。
「ごめんなさい、ちょっとだけ触るわ」
そう言って、レオナールが指で消えたルージュの尻尾をたどると、そこに見えなくなった尻尾が存在した。触れたレオナールの指も見えない。
「気持ち悪いわね、これ」
「きゅうぅ~」
「あ、あなたの尻尾の事じゃないわよ。これ、魔法かしら? たぶん幻術と精神魔法よね」
「きゅうきゅうっ」
ルージュがブンブン、と首を縦に振った。
「有り難う、とても助かったわ、ルージュ。すごいわ、ここまで最短距離だったわね。あなたにお願いして良かったわ」
レオナールはそう言って、ルージュの鼻先を撫でた。
「きゅきゅーっ!」
ルージュが自慢気に尻尾を振りながら胸を張って鳴いた。
「ちょっと待っててね、ルージュ。今、狼煙の準備をするから」
そう言ってレオナールは背嚢を地面に下ろし、ゴソゴソと奥の隅から小さな革の袋を取り出した。それから、いくつか乾燥していそうな小枝や葉や草などを拾い集める。
少し離れたなるべく木が少ない開けた場所で、一番燃えにくい枝を一番下に置き、その上に枯れかけた葉や草などを積み重ね、その上に革袋から取り出した薬剤を3つのせると、火打ち石で乾いた木の葉に火をつけた。
「あ、火をつけてから薬剤入れた方が良かったかしら? 火を起こすのはあまり得意じゃないのよね」
普段はアランにやらせているので、上達するはずがない。相方がやっているところも見ているようで見ていないため、余計である。
薬剤の量も本当は多めなのだが、森の中だからとか考えてやったわけではなく、たまたま取り出したらそうなっただけである。
しばらく見ていると、白い煙が出て苦手な臭いが漂い始めたので、レオナールは慌てて距離を取った。
「もう、この臭い嫌いだって言ったのに、嫌がらせかしら」
思わずぼやくように言った。
「きゅう!」
レオナールはルージュを振り返り、その不満げな顔を見て苦笑した。
「アランにこれ、改善して貰いましょうね」
「きゅうきゅう!」
全くだ、と言わんばかりにルージュが首を縦に振った。
次回のサブタイトルは『幻影の洞窟の探索1』になるはず。
以下修正
×背負い袋
○背嚢(で表記を統一)




