33 魔術師は思案する
アランは、扉にノックをする前に、深呼吸した。大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。それから、ゆっくり、二回、ノックした。
「おう、入れ」
ダニエルの返答に、中に入ると、真顔のダニエルが革張りのソファの中央に座っていた。
(嫌な予感がする)
そう思いながら、その対面、樫材の側面に彫刻の施されたテーブルの向こう側の、同じく革張りの椅子に腰を下ろした。
「で、何かあったのか?」
アランが尋ねると、ダニエルが苦笑した。
「なぁ、アラン。何か困った事、ねぇか?」
その質問に、首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「お前、レオを持て余したり、対処に困ったりした事、ねぇの?」
ダニエルの言葉に、アランの眉間に皺が寄った。
「やっぱりあいつ、何かやらかしたのか?」
「……レオ、あの小人族が何を思ったか、急に無抵抗になったら、どうしたら良いかわからなくなって、困惑してたぞ」
「え……?」
驚いたように、アランが目を瞠った。
「相手が諦めて抵抗しなくなったなら、最初に決めた通りに、拘束して捕まえれば良いって事を、自分で思いつかなかったみたいなんだよな。
それってちょっと問題じゃねぇか?」
「確かに無抵抗の相手は斬るなとは言ったが、相手を良く見て判断しろと言ったはずなんだが。
俺、レオに何て言ったかな。確か、相手が抵抗する気力が全くなくて、自分より弱い相手で、こっちに報復して来るようなタイプじゃなくて、その場限りで済む場合なら放置でも良いけど、それで済まない相手なら、確実に拘束しろ、それが無理なら斬っても良い、判断に迷うようなら、そいつを連れて俺の判断を仰げって言ったと思うんだがなぁ」
「うーん、あいつあれで一応、相手を良く見て判断しようとはしてたのかもな。けど、その判断ができないなら、問題外じゃねぇの?」
「それくらいの判断は出来ればして欲しかったんだが、まだ無理か。
そう言えば、ゴブリンの巣を見つけて、幼竜の餌として独断で狩った時も、クイーンとその取り巻きがレオに向かって来なかったから残したとか言ってたな」
「おい、それ、問題だろ」
「ゴブリンの巣を見つけた事も、俺が幼竜の餌のために近隣の魔獣が全滅するんじゃないかと心配したら、ゴブリンの巣を見つけたから大丈夫だの、クイーン残したからその内増えるから問題ないだの言いやがったんだよな」
「それ、かなりの問題発言だろ。どうしてそこで、キッチリ矯正・教育しておかなかったんだ」
「一応その場で説教はしたはずだし、何故クイーンを残したかの理由が判明した時も、その危険性や脅威について説明したつもりなんだが、あいつ何故か喜んでたんだよな……。
あの時はとにかく、早く処理しないとヤバそうだったから討伐優先して、後で説教してやろうと思ってたんだが……」
アランはそう言いかけて、ハッと気付いて、青ざめた。
「ああ、しまった! 特異で有用な魔法陣見つけて、うっかりそれにかまけて、忘れてた!
レオは魔獣や動物みたいな生き物だから、その都度すぐに言わないと忘れるから、何を言っても理解できなくなるのに!!」
ショックを受け、苦渋を噛みしめるような表情になったアランを見て、ダニエルはああ、と察して苦笑した。
「で、どうする? 今回のこれ、たぶんあいつ、まだ何が問題なのか、理解できてないと思うぞ。
俺が言うか、それともアラン、お前が言うか、どっちにする?」
「俺がレオと直接話す。これからも、こういう事は何度でも起こるだろうが──いや本当は起こって欲しくはないが──それを期待するのは無理だから、俺が対処する。
言わなきゃ何度でもやらかすのは確実だからな」
「なぁ、アラン。あいつ、お前には荷が重いと感じたりはしないか?」
「今のところ、面倒だし頭や胃が痛いとは思っても、荷が重いと感じた事はない。
それに、あいつと一緒に冒険者になって組むと決めた時に、覚悟した。俺はレオを見捨てたり、なかなか学習できないからと放置する気は毛頭ないぞ。
あいつがあんな風で、俺が頼りなく見えるから、おっさんが心配するのはわからなくはないけど、大丈夫だ。心配要らない」
アランは眉間に皺を寄せ、顔をしかめてはいるが、キッパリ言い切った。そんなアランを見て、ダニエルは苦笑した。
「お前、時折すっげぇ男前だな。でも、あいつの面倒見るの、正直だるくなったり、辛くなったりしないか?
考えようによっては、乳幼児の世話するより大変だろ、あれ」
「大丈夫だ。ムカついたら、あいつに文句や愚痴を言って、その都度ストレスは発散している。
あいつ自身に効果がなくても、俺が口にするだけで少しはスッキリするしな。大半は諦めて飲み込むけど。
ただまぁ、あいつ、あの調子だから、いつも俺が一方的に怒って、喧嘩とかにはあんまりならないんだよな。それが有り難いのかどうなのか、判断に困るけど。
本当はさ、レオと対等に喧嘩できた方が良いんじゃないかと思うんだ。ただ、ガチでやり合ったら、死ぬのは確実に俺だけど」
「別に殴り合いの喧嘩はしなくて良いだろ。口だけで十分だ。……でも、あいつ、お前に言い返したりしないのか?」
「そういうんじゃないんだ。あいつの反応は大抵ムダだと言ったり、流すだけだったり、茶化して煙に巻いたり、毒舌吐いて終わりだったりだしな。
あいつ、なんか表面的な事やその場限りの事だと、ちゃんと言って来るけど、まだ他に心の中に溜めて言わない事あるんじゃないかって、感じるんだ。あいつに言いたい事があるなら、直接俺に言えって、常々言ってるのに。
言わなきゃどうしようもない事、わからない事って結構多いから、考えてる事、感じてる事は元より、気になった事があれば、何でも言って欲しいんだけどな。
俺の出来る範囲では、あいつとこまめに会話しようとしてるつもりなんだが、出来てるかどうか、時折自信なくなる。
でも、諦める気はないぞ。諦めて、やらなくなったら、他に代わりになるやつはいないと思ってるからな。
あいつがどう思ってるかは時折自信なくなるけど、俺はあいつの友人だと思ってるし、友人でいたいと思ってる。
互いに完璧に理解しあえるとは思わないし、思えないけど、そんなのレオが相手じゃなくても同じだし、そう変わりはない。
レオは文句言うだろうけど、俺はレオが人として、あるいは冒険者として十分に経験積んで成長したと思えるまでは、ランクアップはしないつもりだ。
そもそも、十分な経験積みもせずに、軽い気持ちでランクアップするやつ、俺は個人的には嫌いだし、尊敬できないと思ってるから」
「そうなのか?」
ダニエルが首を傾げて尋ねる。
「金に困ってるなら、ランクアップは必須だけど、報酬目当て以外の理由で、ランクアップする必要って何だよ?
俺たちはいざとなったら、冒険者ギルドの依頼報酬だけでなく、近隣で薬草採取したり調合して売ったりすれば、生活費くらいは十分稼げるし、俺は魔術書や古文書とかに金をかけなきゃ、経費はほとんど掛からないし、レオは前衛の割に攻撃受ける事がほとんどないから、必要経費が最小限で済む。
自分で出来る部分は、自分でやって経費を抑えているから、生活費の負担を考慮してもランクアップする必要性は特にない。
特に今は、クロードのおっさんが生活費全額出して面倒見てくれてるから、かなり楽だしな。
金や生活費および必要経費に問題がないなら、ランクアップする意味は、例えば狩れる獲物が増えたり報酬額が上がる事以外なら、見栄とか面子とか、そういう類いの理由だろ?
そんなものを大事にするやつに、ろくなやつはいない」
「……それは極端な理由だと思うが」
ダニエルが肩をすくめた。
「んな事言ったら、特例で一気にランクアップした俺なんかどうなるんだ?
別に好きこのんでランクアップしたわけじゃなく、頼むからどうかランクアップして下さい的な展開で、二十代の間にSランクまで上がっちまったんだが」
「おっさんは例外中の例外だろ。そうじゃなくて、わざわざ金を積んだり、実力に見合ってるとは言い難い連中の事だ。
俺はそういうのが反吐をはくほど嫌いだし、自分がそう見られるのも我慢ならない。周りに遅いと言われるくらいでちょうど良い。
どうしてもランクアップしなくちゃならない理由がなければ、急ぐ必要はない。
下手にランクアップしてもろくな事にならないんだ。絶対確実に行けると確信できるまでは絶対しない」
「そこまで言うなら、確かに今はランクアップする必要はないんだろうな。
でも、ほら、若者って早くランクアップして、強い魔獣や魔物を狩りたいと思うもんじゃないか?」
「それは戦闘狂とか、見栄っ張りとか、レオみたいなとにかく何か斬りたいやつだけだろ?
俺は万が一の不安がある間はもちろん、必要がない事をするつもりはない」
「アランは若いのに冒険心が足りないなぁ。まあ、今のレオには不安があるってのは間違いないから、それに関しては同意できるが。
でも、あれだぞ、ランクアップできるようなら、した方が楽だぞ。
俺の時はなかったが、今は無茶するやつや、問題起こすやつがいるからって理由で、中位以上にランクアップするのには、制限期間がもうけてあるからな」
「知ってる。でも、細かい金策に関しては、俺が何とかするから、問題ない。レオがうるさいだけだ」
たいした問題じゃない、とアランは言い切った。ダニエルは肩をすくめた。
「まぁ、お前の好きにすりゃ良いけどな、あまりやり過ぎるとレオが暴発・暴走しないか?」
「適度に息抜きさせてやれば問題ない。レオは幼竜のおかげで魔獣・魔物狩る大義名分ができて喜んでるから、しばらくは問題ないだろう。
俺、ロランじゃ結構レオに自由行動させてるぞ? 時折トラブルも拾って来るが、今のところ俺の胃や頭が痛くなる程度で済んでいる。例のガイアリザードの件以外は」
「お前も勉強しなくちゃいけない事がたくさんあるのに、あんなお荷物抱えて大丈夫か?」
「どうかな。たまに実は俺の方があいつの足枷になってるんじゃないかと思うんだが。
俺は一人で何でも出来なくたって、それぞれの得意分野でやっていけば良いと思っている。
偵察役がいなくてもやっていけるのは、レオのおかげだし。先制攻撃や不意討ちを避けられるだけで、かなり有り難い」
「俺はアランの特技の方が役に立つと思うけどな」
「あんなのを当てにしてたら駄目だろう。確かに時折便利だと思わなくもないが、本当はあんなものに頼らずに仕事できなきゃ、成長しない」
「あるもんは使えば良いだろ、便利で経費も掛からないんだから。出来れば俺が欲しいくらいだよ。正直、レオより役に立つ」
「そんな事言って良いのか、おっさん」
「レオが可愛くないけど可愛い弟子なのは当然だが、便利で使い勝手が良くて汎用性高いのはアランだろ」
「その言い方はなんかムカつくんだが」
「じゃ、有能と言い換えるか?」
「なんかわざとらしく聞こえるから良い。で、おっさんの呼び出しは、小人族の件だけか」
「まぁ、大半の理由はそれだな」
「大半?」
「アランがレオの面倒見るのは気が重いと言うなら、騙し討ちにしてでもレオを持って帰ろうと思ってたんだが、それだけやる気があるならまかせてみるかと思ってな」
「……おい、おっさん」
ジトリとアランがダニエルを睨む。
「ハハッ、ま、あれだ。二人で共倒れになっても可哀想だしな! 引き離した方が良いならそうするかと。
あ、言っておくが一時的にだぞ? レオに常識その他叩き込んだら帰してやるつもりだったし」
「全くおっさんは、油断できないな。何も考えてませんといった笑顔で腹黒いし」
「だから腹黒じゃねぇってば。これくらい普通だっての」
「おっさんの普通の基準値ってちょっと変だからな。まぁ、でもおっさんのおかげで、迂闊に人を信用しちゃいけないと勉強になるから良いけど」
「そこまで酷くないだろ?」
「さぁ、どうだかな。人の評価はそれぞれだから、千差万別だよな」
アランは真顔でダニエルをジロリと睨むと、鼻で笑った。
「おっさんがそう思うんなら、おっさんにとってはそうなんだろ。俺とは意見が違っても仕方ない。
元々の価値観・倫理観が違う上に、性格も思考も文化も何もかも違うんだ。
俺の感覚や考えと、おっさんのそれが同じになる方が気持ち悪い」
「気持ち悪いって、それも何だかひどくねぇ?」
「おっさんがどう思おうと、俺には関係ない。互いに被害や迷惑掛けないなら問題ないだろ」
「アラン、すっかり可愛いげなくなっちまって。ちょっと淋しい気持ちになるじゃないか」
「おっさんに可愛いと思われて俺の得になる事なんか一つもねぇだろ。知った事かよ。それより用が済んだならもう帰って良いか?」
「おう、悪かったな。時間取らせて」
「別に。まぁ、レオの件は教えてもらえて助かった。たぶんあいつ聞かれなきゃ言わなかっただろうし。
じゃあ、おやすみ、おっさん。酒飲み過ぎるなよ」
「ああ、おやすみ、アラン。また明日な」
アランは挨拶を交わして部屋を出た。
「さて、どうしたものかな」
どう言えば、相方にわかってもらえるのか、それが一番問題だった。
以下修正。
×ハーフリング
○小人族




