1 それぞれの近況
2章ゴブリンの王国開始です。
アランの朝は早い。日の出と共に起床し、台所で火を起こして湯を沸かし、パンを焼き、朝食用のスープを作る。
家人の洗濯物を収集し、井戸水を汲んできて洗って干す。庶民にしてはわりと広い平屋の家屋だが、使用人や家政婦などの類いは雇っておらず、家主ももう一人の居候も、自発的には何もやらないし、気にも止めないで散らかし放題やらかす傾向が強いので、役割分担という考えはないようである。
それに関してアランは言いたい事がなくもないのだが、結局のところ文句言う暇があれば、自分でやった方が早いという事で、彼がこの家の家事一切を手掛けている。
そもそも、そういった細々とした事が嫌いではないせいもある。アランは神経質、もとい繊細であり、こだわり屋でもある。故郷で家にいる時も、ダニエルたちと共に暮らしていた時も、ずっと家事担当だったので、苦に思う事もない。
あえて言うなら、井戸から水を汲むぐらいの事は、たまに手伝って欲しいくらいである。
「おはよう」
玄関側から現れた完全装備のレオナール──微かに血の臭いがする──にアランは眉を寄せる。
「お前、また日の出前から狩りに行ってたのか。いい加減にしないと、この辺の魔獣・魔物が全滅するぞ」
「大丈夫よ。ゴブリンの巣を見つけたの。ゴブリンクイーンと取り巻きと赤ん坊は残してあるから、しばらくしたら勝手に増えるから問題ないわ」
「おい! それはギルドに報告しなくちゃ駄目だろ!!」
「ええ~っ? やっと見つけた餌場なのに。近くに人里もないから平気よ。被害が出る前に私とルージュが狩るから」
「そういえばあの幼竜、自力でゴブリンまで狩れるようになったのか?」
「元々怪我も病気もしてなかったし、たくさん食べて自由に動けるようになったから、だいぶ動けるようになったわよ。
大きめの獲物はあの子だけじゃ仕留め損なうし、角兎はまだ不意討ちでしか仕留められないし、コボルトには逃げられるみたいだけど」
「……お前、もしかして狩りの仕方、あいつに教えて育ててる?」
「そんなつもりは毛頭ないけど、あの子が勝手に学習して行動するのは妨げてないわね」
ふむ、とアランは頷く。確かにレオナールが誰かに何かに積極的に世話を焼いたり、何かを教えたりするような姿は想像できない。いつものペースで好き勝手にやってたら、幼竜の方で勝手に学習した、という方が納得できる。
「ねぇ、アラン。今、何か失礼なこと考えなかった?」
「気のせいだろ。とにかく、嫌でも面倒でも、ゴブリンの巣がこの近くにあるってんなら、報告だけはしないとまずいぞ。
何か事があれば、知ってて隠匿したとかで難癖つけられたり、罰則食らったら、困るのは俺達なんだからな」
「朝食の時にでもクロードのおっさんに話せば良いかしら」
「それでも良いが、たぶん後でギルド行って改めて報告、って形になると思うぞ。仕事とプライベートはきっちり区別つけるからな、あのおっさん」
「……おはよう、お前ら。おっさんおっさん言うな。俺はこう見えてまだ35歳なんだ。ダニエルより6歳も若いんだぞ」
眠そうな顔の家主、ギルドマスターのクロードが家の奥にある彼の寝室から現れた。
「え~? 二十歳超えたら全員オッサンよね?」
レオナールの言葉に、アランは微苦笑を返した。
「おい、お前ら! 自分が15歳だからって、その基準は酷くないか!?」
「だって、考えてみてよ。ギルドマスターが成人してすぐ結婚してたら、私たちくらいの子供の一人や二人いてもおかしくないのよ? 十分おっさんよね」
「くっ……、レオナールに正論言われると、こんなにムカつくとは……屈辱だ……!」
クロードが頭を掻きむしりながら、悶えた。その姿を、レオナールが呆れたような目で見る。
「っていうかまだ、身支度できてないの? 後ろ髪がはねてるわよ。そんなんじゃ嫁の来手がいないのも当然よね」
「言葉がイタイ! 胸に刺さって苦しいよ、天国のママン!! ちくしょう、俺の周囲には何でこう優しさの足りないやつばっかりなんだ。どいつもこいつも、ろくなこと言いやがらねぇ!!」
床の上を転がりそうな勢いだったので、アランがクロードの肩に手を置いて止める。
「汚れるからやめてください。一昨日大掃除したとこなんです」
アランが言うと、
「ひどっ!! 俺の心配じゃなくて床の心配するとか酷すぎるっ!!」
「洗濯物の心配もしています。台所は火を使う関係上、煤汚れがつきやすいのですが、この煤汚れというやつが掃除するにも洗濯するにも、面倒なんです。
床でゴロゴロされると、竈などから飛んだ煤が広がる上に押し潰されるのでやめてください。食事の支度が終わってから掃けば、また暫く大掃除しなくても、こまめに掃除するだけで状態を維持できますから。
俺が、ここへ来た初日、台所の掃除にどれだけの労力と時間を費やしたか……おかげで夕飯の支度をする時間が取れなくて、食材買い込んだにも関わらず、外食する羽目になったのは、ギルドマスターも覚えてますよね? 俺の魔法のレパートリーに《浄化》はないんです」
「あぁああああ、アランが小姑化してるぅうう、その内、棚の溝なんかを指でこすって『ほら、クロードさん、掃除が行き届いていませんよ』とか言い出すんだぁあああっ!!」
「いや、掃除含む家事担当は俺ですから、それはありませんね」
アランにまで呆れたような目で見られて、クロードは悶絶する。
「お前ら、目上への配慮と敬意が足りないぞ!!」
「いや、だって、ねぇ?」
「まぁ、そうだな」
具体的にどうとは言わずに、目線で会話する二人に、クロードは唸り声を上げた。
「くそぉ、結託するとは卑怯すぎる。多勢に無勢とか、おいちゃん泣いちゃう! 泣いちゃうわ!!」
二人の目が『このオッサン面倒臭い』と言いたげなものになってきたので、クロードはそこでやめて、真面目になる事にした。
「ところで、さっき、俺になんか話があるとか、ギルドへの報告がどうたら言ってなかったか?」
クロードが真顔で言うと、レオナールは肩をすくめ、アランが溜息をついた。
「とりあえず、先に朝食にしましょう」
◇◇◇◇◇
「で?」
食後のお茶を一口含み、飲み下したクロードが二人に促す。レオナールは嫌そうな顔である。
「レオナールが、ゴブリンの巣を見つけたらしいんです」
アランが口火を切った。
「何!?」
クロードの顔が真剣なものに変わった。
「何処で見つけた?」
睨むような目で見るクロードに、レオナールは溜息をついて、渋々口を開く。
「東門を出て、湖のある森を回って行くと岩肌が見えてくるでしょ? それを北東へ向かうと、洞窟があるの。そこが私が見つけたゴブリンの巣よ。
徒歩で行ける距離でようやく見つけた、おいしい狩り場なのに。あそこを潰しちゃうと、遠出しないと、まとまって見つからないのよね。
近場じゃ最近はにおいを覚えられたらしくて、ルージュ連れてると、ろくに狩れないのよね」
「ゴブリンクイーンと取り巻きと赤ん坊を残した、とかさっき言ってたから、かなり大規模な巣か、どこか別のところから巣立ってきたやつらだと思います」
レオナールの言葉に、アランが補足する。
「……それはまずいな」
クロードが舌打ちする。
「よし、後でギルドの俺の部屋へ来い。昼過ぎくらいで良いな。指名依頼として、『ゴブリンの巣およびその周辺の生息状況の調査』を出す。詳しい話は後でしよう。こっちも通常業務や職員たちと打ち合わせしたりする必要があるからな」
「せっかく手頃で良さげな狩り場を見つけたのに」
レオナールがガックリと肩を落とす。
「お前、本当、それ病気だな」
クロードが眉をひそめて言う。
「町の中で人を斬っても良いなら、そっちのが断然手っ取り早いんだけど」
真顔で言うレオナールに、
「ふざけんな! そんなアホなこと許すわけないだろ!! お前、そんなんだからアラン以外に友達いないんだろ」
「飲み友達的なのは一応いるわよ?」
「ジェラールは通りすがりの旅芸人とだって、気軽に飲みに行くやつだろ。あれを勘定に入れてどうする。
お前、何処へ行っても遠巻きにされてるじゃないか。普段の言動が言動だから仕方ないが、ドラゴン拾ってきた事で、更に悪目立ちしてるよな?」
「そうね、今週だけで3人から謝礼金を貰ったわね」
もちろん、レオナールが彼らに感謝されて支払われたわけではなく、闇討ちしようとしたり、喧嘩を売ろうとしたりして、返り討ちになった者が、見逃して貰う代わりに差し出した金である。
ちなみに、差し出さなかったのは、自力で身動きできないくらいに叩きのめされた連中である。
「謝礼金じゃなく、みかじめ料とか上納金のが近いだろ」
アランがぼやくように言う。
「そう言えば、《草原の疾風》のやつらが、先週だったか、全員全裸で丸刈りにされて、ギルド前の時計台に吊されてたな。あれ、お前らか?」
「さぁ、何処の誰でしょうねぇ」
アランはそらとぼけた。
「まぁ、殴られたり蹴られたりはしてないようだったから、レオナールの仕業ではないな。あれ、魔法使わずに素手でやったなら、ずいぶんな手練れだな」
「へぇ、それはすごいですね」
アランは棒読みで言った。レオナールがアランをニヤニヤ見ているので、バレバレである。
「ロランを拠点としている魔法使いは、俺の知る限り十人といないんだがな」
「そうですか。まぁそれくらいいるんだから、誰か一人くらいは関わってそうですよね」
仏頂面でアランが言う。はぁ、とクロードが溜息をついた。
「お前ら、本当問題児過ぎて、俺は胃が痛いよ。とりあえず、善良な皆さんには迷惑かけんなよ?」
「嫌だなぁ、ギルドマスター。俺がそんな事するはずないじゃないですか」
乾いた笑みと、感情のこもらない声で返すアラン。レオナールはニヤニヤ笑っているだけ。
「とにかく、頼むからな!」
ちょっぴり泣きたい気分で、クロードは念を押した。
朝食後、クロードは手早く身支度してギルド支部へと出勤した。レオナールがルージュと共に出掛けようとするのを、アランが押し留め、ジロリと睨む。
「お前、出掛けたら夕方まで帰って来ないつもりだろう」
「他の狩り場探しに行きたかったのに」
レオナールが不満そうに言う。
「別の日にしろ。いつでも良いだろ、そういうのは。……どうせ今日の午後には、次の仕事を受けるんだ。依頼中は好きなだけゴブリン狩って良いから」
「本当?」
レオナールが満面の笑みを浮かべる。
「ああ、とにかく今日の午前中はおとなしくしてろ。町の中なら出掛けても良いから」
「ん~、町の中で狩れる魔獣って何かいたかしら?」
アランの言葉に、レオナールが首を傾げる。
「おとなしくしてろって言っただろ! 人の話はちゃんと聞け!!」
アランが激高した。
◇◇◇◇◇
ドワーフのオーロンと、白髪紅眼の少女は、ロランの町にある中程度の宿屋に、もう二週間ほど滞在していた。
「で、あなたが王都から来られた、アドリエンヌ殿か」
「ええ、はじめまして、オーロンさん」
そう言って、見事な褐色髪に碧い瞳の美女が、笑いかける。
「こちらこそ。この度はよろしく頼みます」
「それで、そちらが、ダンジョンで保護されたという……?」
「うむ、とにかく言葉が通じなくて困っておりましてな」
少女は、無表情で宙を見上げてぼうっとしている。ここ最近は、食事と睡眠時以外はこんな調子である。
「では話しかけてみましょう。《はじめまして。私はアドリエンヌ。あなたのお名前を教えて下さい》」
アドリエンヌは、少女に近付き、古代魔法語で話しかけた。その途端、ものすごい勢いで少女が振り向く。
「《今のあなた!? あなた話せるの!?》」
少女は飛び付かんばかりの勢いで、安堵と喜びの笑みを浮かべて問い返す。
「《ええ、基本的な古代魔法語を話す事が可能です。言葉が通じないのは不安ですし、大変ですよね。
差し支えなければ、あなたのお名前や出身など、あなたの身の上につきお聞きしたいのですが、よろしいですか?》」
アドリエンヌが尋ねると、少女は困った顔になった。
「《わからないの》」
少女の答えに、アドリエンヌは怪訝な顔になる。
「《わたし、自分の名前も、過去の記憶も、現在の状況も、何もかもわからないの。
最初、この見たことないおじさんが誰なのかわからなくて困ったけど、この人も困ってるみたいだし、それに親切にしてくれてるし、有り難いとは思ってるけど、でも言葉が通じないから不安で不安で。
ねぇ、わたし、何故ここにいるの? この人は誰?》」
少女の答えにアドリエンヌは絶句した。
「……なんてこと……!」
オーロンと少女が、不思議そうにアドリエンヌを見る。
「《あなた、記憶喪失なの?》」
「《記憶喪失って何?》」
少女がきょとんとした顔になり、アドリエンヌの顔が蒼白になった。
「な、アドリエンヌ殿?」
驚いたオーロンが、声をかける。
「大変です。彼女は流暢に古代魔法語を話す事ができますが、記憶喪失に加え、一般的知識のいくつかもないようです」
「……なっ!?」
「とにかく彼女が何を知り、何を知らないかも探る必要がありそうです。これは時間がかかりそうですね。《あなたが自分の事で知っている事、一番最近の記憶は何ですか?》」
「《寝ていたから良くわからないけど、硬い石の上のような場所でずっと眠っていたわ。それ以外の記憶はないみたい。
あと、夢の中で誰かに名前を呼ばれたような気がする。でも、なんて呼ばれたかは覚えてないみたい》」
アドリエンヌは頭痛をこらえるような顔になった。
というわけで2章開始。
1章終了2週間後です。
以下修正
×臭い
○におい(レオナールの台詞のため)




