8 全て思惑通りに行くわけではない
女性に対する暴言があります。苦手な方はご注意下さい。
レオナールが用事を済ませて武具屋を出ると、ちょうどそこへ走ってきた栗色の髪の小柄な女性がぶつかった。
「あら」
レオナールは多少身体を揺らす程度でこらえることが出来たが、ぶつかってきた方の女性はそういうわけにはいかなかった。
「きゃあっ!」
小さな悲鳴を上げて吹っ飛ばされた少女は、持っていた荷物──野菜や果物、パンや干し肉などの食料品──を周囲に盛大にぶちまけて尻餅を突いた。
くるぶしまであるチュニック風の衣服に白いエプロン姿の少女は、見たところ打ち身や擦り傷以上の怪我はしていないようである。
レオナールは一般的な剣士としては小柄で痩せ形とはいえ、鋼鉄製の胸部板金鎧に、腕や足の関節などを保護する丈夫な魔獣革製の鎧を重ねて着用した彼にぶつかってほぼ無傷とは運が良い。
「ごごご、ごめんなさい! 本っ当にすみませんでしたっ!!」
少女は脅えるようにその場で土下座せんばかりに頭を下げて謝ると、慌てて後退り、立ち上がろうとしてよろけて転んでぐしゃりと道に顔面から落ちた。
その様子を半ば呆れたように見ていたレオナールは、肩をすくめながら尋ねた。
「大丈夫?」
「だだだっ、大丈夫っ、ですっ! おおおおかまいなくっ!」
少女は叫ぶように言いながら立ち上がろうとするが、足腰がぐらぐら揺れて立ち上がれない。
「あれ? あれ、なんで? 足が、足が上手く動かない……っ!?」
慌てふためく少女の姿にレオナールはやれやれと首を振ると、少女を肩に担ぎ上げた。
「えぇっ!? ちょっ、いきなり何っ!? ど、どどどうしてっ!!」
「治癒師の家に行くより冒険者ギルドへ行く方が早そうだから、連れて行ってあげるわ。どうせ通り道だし。別にかまわないわよね、ダオル」
「ああ、問題ない。しかし、良いのか?」
口にはしないものの、珍しいと言いたげな表情のダオルがそう尋ねると、レオナールは笑みを浮かべた。
「別に放置でも問題ないと思うんだけど、とりたてて急いでるわけでもないし、何か他に用事があるわけでもないもの。回り道になるようなら面倒くさいからしないけど」
「えええっ!?」
少女はそこそこ清潔そうな服と革靴に長靴下を穿き、栗色の髪を後ろ一つで編んで垂らしている。華奢で薄幸そうなおっとりした雰囲気の可愛らしい少女である。
レオナールはそんな少女をチラリと横目で確認して、心の中で呟く。
(これってたぶんアレよねぇ、最近ちょろちょろ視界に入ってくる灰色のトロくさいの。なんでこんなとこで、こんな格好でうろついてるのかはサッパリだけど。
ああ、でも食料調達かしら? そうね、四六時中私達をつけ回してるならゆっくり食事取る暇なんかなさそうだし、加工しなくても食べられそうな物ばかりだったし。
でもこんな風に町の中、それも人目のあるところで接触してくるとは予想外だったわね。いつもコソコソ人目につかないように、容姿を特定しにくい装束で足音忍ばせてたのに。
それにしても、いったいどういうつもりかしら。どうせ考えてもわからないんだから、相手の出方を見れば良いわよね。それに攻撃されない内から手を出したら、アランに怒られちゃうもの)
少女は見た目だけなら無害そうでおとなしくか弱そうに見える。レオナールは体格・体臭・魔力に加えて身体の動きで判断したが、普通の人間であれば特定するのは難しいだろう。
(それにしても、相変わらず何もないところで良く転ぶわよね、この娘。この調子じゃその内、自分のドジで死ぬわね。もしかして死にたがり屋なのかしら?)
レオナールは理解しがたいと言わんばかりに首を左右に振った。世の中には妙な人間が多すぎる、とレオナールは思う。外見はそれほど大きく違うわけではないのに──レオナールには正直人の外見上の区別は体格や髪・瞳の色以外にはできず、美醜の違いなどは理解できない──多種多様な者が多すぎる。
(人の特徴ってゴブリンやコボルト、オークやオーガともそんなに変わらないし、亜人の方がよっぽど判別しやすいわよねぇ。
アランはそれほど鼻が良いわけでもないし、魔力や魔素が見えるわけじゃないのに、いったい何で見分けるのかしら)
レオナールは人や物の大まかな形だけを見て判別しようとしており、アランは細かなところまで見ているだけなのだが、彼はそのことに気付いていない。
ゴブリンやコボルトにも個体によって容姿に多少の差があるが、それらに興味を持たない者は気付かない──それほど熱心に注意深く見るわけではないからだが──ようなものである。
ダオルが少女の持っていたと思しき食料を全て拾い集めて麻袋に詰め終えて立ち上がるのを確認すると、レオナールはそのまま冒険者ギルドへ歩き始めた。
「ああああのっ、そのっ、結構ですから! たいしたことないですし、治療費とか払うお金もありませんし、そそそそのっ、ごごごご迷惑になりますから!」
「これくらいの怪我なら、銀貨一枚もかからないでしょう? 問題ないわ、なんだったら出しても良いわ」
「へ? え? ええぇっ!?」
少女は驚き、裏返った悲鳴のような声を上げる。ダオルですら無言ながら驚いたように目を瞠っている。レオナールはニッコリ笑いながら言った。
「だから気にしなくて良いわよ」
「!?」
少女の瞳が大きく見開かれた。
(油断しているところを見せたら襲いかかってくれるだろうから、町中でも思う存分斬れるわよね。ああ、楽しみだわ。
それにしても研ぎに出さなくて良かったわ。鎧も着込んだままだし、思い切りやれるわね)
幸か不幸か、この場にいる誰もが彼の真意を理解できなかった。困惑する少女を冒険者ギルドへ運んだレオナールは、何やら書類を繰っているジゼルのところへ向かうと、声を掛けた。
「ジゼル、ギルド所属の治癒師に診てもらいたい子がいるんだけど」
「え? ……レオナール!? ちょっとあなた、どうしたの!? まさかまた何かやったの!?」
ジゼルが蒼白な声で、施設中に響きそうな大声で叫ぶと、レオナールはやれやれと言わんばかりに首を左右に振った。
「やめてよ、何もしてないわよ。ただ店の外に出たら、この子が勝手にぶつかってきただけだもの。たぶん軽い捻挫か何かだと思うけど、自力で歩けないみたいだから抱えてきたの」
「どうしたの、レオナール。もしかしてどこかで頭でも打ったの?」
ジゼルが心配そうに尋ねると、レオナールは深々と溜息をついた。
「……どうでも良いから、治癒師のところへ案内してくれるかしら。私、自分では利用したことないから、知らないのよね」
「そうね、たまにアランが来ることはあったけど、あなたが患者になったことは今のところ一度もないものね。別に犯罪とか何かやらかしたわけじゃないなら良いわ。
わかったわ、着いて来てちょうだい」
「あなたが私のことをどういう目で見ているか、良くわかったわ」
レオナールが冷たく笑って言うと、ジゼルが眉を吊り上げて反論する。
「普段からの自分の所業棚に上げて良く言うわね!! あなたがロランに来てからこの一年ちょっと、ロラン支部近辺で起こった暴力沙汰の原因はほとんどあなたでしょう!?
だから『歩く暴力』だの『災厄』だの言われてるのに、自覚ないわけ!?」
「有象無象どもがほざく戯言に耳を傾ける暇があったら、剣でも振っているから良くは知らないわね。正面切って言う気もないくせに、コソコソと陰口叩く輩はどこにでも転がっているものでしょう?
そんなどうでも良いものに注意を払ってたら、面倒で疲れるだけじゃない。正面から向かって来るやつがいれば、その場でぶちのめせば済む話だし、気にするだけ無駄でしょ」
「……そうね、あなたはそういう人よね。あまりに珍しいことするものだから、うっかりまともな人みたいな扱いしちゃったわ、ごめんなさい」
「大丈夫よ、ジゼル。あなたが腹黒ぶりっこなのは、アランには言わないでおいてあげるから」
「ちょっ……!? レ、レオナール、あなた一体何言ってるの!? わ、私が腹黒ぶりっこだとでも言いたいわけ!? 私がいつそう言われることしたって言うのよ!?」
「わかってるわよ、ジゼル。女は皆生まれた時から腹黒で二枚舌で演技派で、好みの男の前では自然と声色や態度が変わる生き物だから、特にあなたが腹黒ってわけでも、ぶりっこというわけでもないと言いたいのね」
「違うっ! 絶対違うわよ!? ちょっとレオナール、あなたの思い込みや勘違い、誹謗中傷を事実のように言うのはやめてよね!! すっごく迷惑なんだから!!」
慌て叫ぶジゼルに、レオナールが怖気が走る悪意に満ちた笑顔でニンマリ笑う。
「そうね、思っても言わないであげるわ。その方があなたも嬉しいでしょう、ジゼル」
「レオナール、あなたそういう性格だから友達いないし、嫌われるのよ! わかってるの!?」
「別にかまわないわよ。そんなもの必要ないし、どうでもいいやつに友達面してすり寄られても気持ち悪いだけだもの」
そう言って笑うレオナールを、ジゼルは嫌そうに睨み付けた。
「本当、アランが気の毒だわ」
「でも、そのアランが私と一緒に冒険者になりたいって言うんだから仕方ないわよね。あなたのことは眼中にもないみたいだし、嫉妬しても仕方ないわね、ジゼル。
人間は自分の周囲の環境がどのように変化しても、嫉妬せずには生きられない厄介な生き物だもの。私には理解できないけど、色々大変そうよね」
「私はあなたが人として生まれてきたこと自体が、何かの間違いだと思ってるわ。きっと魔獣や魔物にでも生まれて来た方が幸せだったでしょうね」
ジゼルがジトリとした目つきで言うと、レオナールは心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ああ、それは私もそう思うわね。ゴブリンにでも生まれていたら、きっととても素敵な生を過ごせたでしょうね。面倒な人や生活に煩わされずに済むもの」
「……そう言えば、バカには嫌味が通じなかったわね。私が悪かったわ、レオナール」
「あら、悪かったと思うのなら、今すぐ土下座して『許して下さい』と懇願してくれても良いのよ?」
「誰がするものですか! 本当っ、人を腹立たせるのが大好きよね!!」
「もちろんよ。煽った相手が本気で怒っている姿を見ると、とても楽しいわ。ついでに殴り掛かったり、武器やその辺にあるもので攻撃してくれるともっと嬉しいんだけど」
「……やめてよ」
ジゼルはガックリと肩を落として憂鬱そうに言った。
「え? 何、殴り掛かってくれないの? 言葉の応酬だけでも楽しいから、どんどんやってくれると嬉しいんだけど。罵詈雑言の語彙が増えるから」
笑顔で言うレオナールを、ジゼルはジトリと睨みながらも口を固く結んだまま無言で、治癒師の待機する治療所へ案内して治癒師に簡単に用件を伝えると、用は済んだとばかりに立ち去った。
「はじめまして、噂はかねがね聞いているよ、レオナール」
焦げ茶色の髪の若い治癒師が、笑顔ながらも睨むようにレオナールを見て言った。
また今回もちょい短めです。
相変わらず暴言吐いていますが、注意書き必要なのか悩みます。
下記修正。
×レオナールは少女を肩に
○少女を肩に
×無害そうな、
○無害そうで
×この場にいる誰も
○この場にいる誰もが
×有象無象どもにほざく戯言
○有象無象どもがほざく戯言
×耳を掛ける
○耳を傾ける
×どんなに自分の周囲の環境が
○自分の周囲の環境が




