41 剣士の努力は魔術師を脱力させる
冒頭にレオナールのモノローグが入りますが、一応前回の続きです(少々時間経過あり)。
レオナールはかつて、世の中には嫌なものとキライなものしかないのだと、思っていた。楽しい、あるいは嬉しいという感情があることを知ったのは、ここ数年のことだ。
それまで、世界には自分が嫌だと思うことしかないと思っていたから、何を見聞きしても誰に何をされても、何も感じないように心を、思考を閉ざしていた。
何も知らなければ、感じなければ、楽だったから。痛みによる苦痛なら、我慢できた。生きる事は、自分に苦痛しかもたらさないと思っていたから、誰にも何にも関心を持たなかった。
『嫌なことは嫌だと言えよ、レオ』
初めて興味を持った生き物に言われた言葉の意味を、たぶん本当の意味で理解できたのは、最初にそれを言われた数年後だった。
今も昔も、レオナールにとってアランは不思議な生き物だ。出会ってから八年、理解しがたい生き物ではあるものの、付き合いの長さと経験から、何となくではあるが考えている事がわかるようになった。
だけど、レオナールには『何故そうなるのか』がわからない。何故なら、自分はどういう思考回路を経たとしても、アランと同じような結論には至らないし、同じようには感じないからだ。
(だいたい、細かいことや、むずかしいことは良くわからないのよね)
師匠であるダニエルを含め、この世の大半の人のことは理解できていないが、アランの言いたいこと、考えていることならば、大まかには理解できる。しかし、だからと言って彼のことが理解できているかと言えば、否である。
(そもそも、なんで嫌なことは嫌だと言わなきゃならないのか、理解できないのよねぇ)
この世の大半のことは目を瞑り、耳を閉ざしていれば、たいてい過ぎてしまう。嫌なことは抗っても良い、というのはレオナールにとって新鮮な考えだった。
ならば、相手を殺してしまえば二度と嫌なことをされずに済むのではないだろうか、と考えたが、それはアランに否定された。殺してしまえば二度と生き返らない、つまり取り返しがつかないから、それをすべきではない、と。
レオナールにとっては、たいていの事は二択だ。我慢し抵抗せずに言うなりになるか、あるいは斬る──相手が動かない状態にする──かだ。それが一番楽だと思う。その後のことを考えなくても良い。
(まぁ、面倒くさいことはアランが全部やってくれるらしいから、私が考える必要ないわね。どうせ考えたって何も思いつかないし)
だから、アランが何故、苦痛を堪えるような痛そうな顔で目の前に立っているのか、理解できない。
「俺はお前を信じたいんだよ、レオ」
真剣な口調でそんなことを言われても、困惑する。
「あなたバカなの、アラン。信じたいなら信じれば良いじゃない。あなたの好きにしたら?」
レオナールが言うと、アランはショックを受けた顔になった。
「あのな、俺がいくらお前を信じたいと思っても、お前が俺を信じてくれなきゃ無理なんだよ! 独りよがりじゃないと俺が信じられなきゃ、お前を理解出来てると信じられなきゃ、何を基準にすれば良い!?
俺は案山子や人形相手に友達ごっこする自信はないぞ。オーガ程度までなら何とかギリギリ付き合えるが、スライムとかそもそも思考能力や言語があるのかもわからないような生物と友達やれる自信はない。
なぁ、レオ。教えてくれ、お前はいったい何を考えているんだ?」
レオナールは目をパチクリとさせた。アランが何を言いたいのか、自分が何を要求されているのか、全く理解できない。だから尋ねる。
「どういう意味?」
レオナールが首を傾げてそう言うと、アランは愕然とした表情になった。
「……本気で言ってるのか?」
アランの問いに、レオナールはコクリと頷く。
「とりあえず、私にわかるように短文でお願い、もちろん簡潔にわかりやすくね」
アランが半眼になった。
(この世の大半のことは、理解できないことばっかりだわ)
特に、人間とそれに関わる物事が。
◇◇◇◇◇
その後、アントニオと話がしたいとダニエルが言い出し、アントニオお勧めの昼も営業している酒場へ行った。レオナールとアラン、ダオル、ルヴィリアは帰宅、ジャコブはギルドへ戻った。
ルヴィリアとダオルはそれぞれの部屋へ、レオナールはアランに「話がある」と言われて、アランの部屋に一緒に入った。
「おっさんが言ってたのは、どういう意味だ? お前の本音ってどういうことだ」
真顔で言うアランに、レオナールは首を傾げた。
「ごめんなさい、アラン。意味が良くわからないわ。もっと具体的に言ってくれる?」
良くわからないから、今思っていることをそのまま言ったのだが、レオナールの言葉を聞いたアランが痛そうな顔になるのを見て、何か間違えたとわかった。
「俺はお前を信じたいんだよ、レオ」
わかったけれど、理解できない。
「あなたバカなの、アラン。信じたいなら信じれば良いじゃない。あなたの好きにしたら?」
自分のしたいようにしろ、とレオナールに言ったのは、アランだったはずだ。なのに、何故こんなことを言われているのか、わからない。
レオナールの返答に傷付いた顔をされることも、理解できない。
(どうしてそうなるのかしら)
何やら長々と言われても、理解できないものは理解できないのだ。アランが何に傷付いているのかも理解できないのに、これ以上何を言ってもお互い益はないように思える。
しかし、アランはレオナールと何か話がしたいらしい。だからまず何が言いたいのか、わかりやすく言って欲しいと言ったら、怒った。
しかも、いつものように説教するでもなく、カッとなって怒鳴るわけでもなく、睨むというよりは強い目で見つめて、無言で静かにピクリと動かずに怒っている。
(これは良くないわね)
説教されたり怒鳴られたり、そういうわかりやすい怒り方をするアランの対処はそれほど難しくない。気が済めば、レオナールが何をしなくてもいずれ終わるからだ。何も言わず、内に押さえ込むように静かに怒っている時は長引く上に、何を考えているのか、何を言いたいのかが、更にわからなくなる。
「お前、俺に隠していることがあるのか?」
レオナールは首肯した。レオナールがアランに隠していることは色々ある。だが、アランだってレオナールに隠していることはたくさんあるはずだ。そういうのは日頃から一緒にいればすぐわかる。内容まではわからないが。
「それは、いったい何故だ」
何故と問われても困るのだが、一つだけ言えるのは、
「アランに言う必要がないから」
「俺じゃなければ言えるのか?」
アランの目が据わっている。素面なのにこれはまずい兆候だ。思わずレオナールは唸った。
「おい、答えろ、レオ」
アランの口調が若干強くなる。
(どうしたものかしらね)
レオナールは溜息をついて肩をすくめた。
「だって、アラン、すぐ泣くでしょ?」
「は?」
レオナールがそう言うと、アランは困惑した顔になった。
「あと、私が反応しないと、不安そうな顔になったりするじゃない。だから、一応気をつかってるのよ」
「はぁ? お前が、俺に気を遣ってるだと? どこがだよ、そんな記憶はまるでないぞ」
嫌そうに睨むアランに、レオナールは髪を掻き上げながら答える。
「顔の筋肉動かすのって、結構面倒なのよね。でも、師匠が言うには、動かすのが面倒だからって動かさないと、身体の筋肉と同じでますます動かなくなるんですって。
だから、無理矢理でも良いから動かしてたら、その内意識しなくても動くなるようになるかもしれないから、これも鍛錬の内だと思って動かせって。
どういう表情作ったら良いかわからない時はとりあえず笑っとけば良いとも言われたわね。お前の笑顔は十分武器になるからって」
「つまり、お前の表情は、お前の感情を表してるわけじゃなく、意識して作ってるものだっていう意味なのか?」
「そうね。適切かわからない時は、アランの顔見ればわかるとも言われたわね。最初の内は、周囲にいる人間の真似をすれば良いんじゃないかって。
実際、言葉や言い回しなんかもそうやって覚えたし、それと似たようなものよね」
ニッコリ笑うレオナールを、アランは半ば呆然と見つめた。
「……つまり、嘘、なのか?」
「どういう意味かしら」
「お前の表情が作り物なら、それは嘘だってことじゃないのか?」
「良く意味がわからないわ。確かに表情は作ってるけど、アランに隠し事はしても、何か嘘をついたことはないと思うわよ? そもそも、嘘をつく意味が理解できないし、理由もないもの」
「じゃあ、騙していたわけじゃない?」
「何故そうする必要があるの?」
レオナールが不思議そうに眉をひそめた。
「普通の人間は、特に理由や必要がなくても、嘘を言う場合があるんだよ。意図や悪意がある場合は尚更だが」
アランは顔をしかめて言った。
「ふぅん、面倒くさいわね、人間って」
髪を指に絡ませクルクルと巻きながら言ったレオナールに、アランは思わず息を吐いて、脱力した。
「……ああ、人も亜人も、意思と思考力のある生き物は皆、面倒臭いよ。クソッ、あのおっさん、いったい何を考えてるんだ。おかげで妙に身構えたじゃねぇか」
「何、師匠のこと?」
舌打ちしてぼやくアランに、レオナールが尋ねた。
「それ以外の誰だと思うんだ。ったく、あのおっさんときたら、ろくなことしねぇ」
「それについては同感ね」
「で、お前の表情が作り物だってことはわかった。それをどうして俺に隠してた?」
アランが尋ねると、レオナールは肩をすくめた。
「だってアラン、私が笑うと安心するでしょう?」
「はぁ?」
「私には良くわからない理由で泣いたり、傷付いたりするじゃない? それはちょっと嫌だなって思うから。
私が笑ってるとアランは安心するみたいだから、そんな事で済むなら、表情を作って見せることくらい、なんでもないでしょ?
暇な時はなるべく周囲の人間を観察して、真似するようにしてるんだけど、結構上達したでしょう?」
「……おい、レオ」
左手を腰に置き、右手で髪を掻き上げ、ニッコリ微笑むレオナールに、アランは呆れた顔になった。
「何? その呆れたような、とんでもないバカを見るような、不細工顔」
「不細工は余計だ。あのな、レオ。確かに俺はお前が笑ってると安心するけど、それが本心からのものじゃないなら、必要ないぞ。
俺は、お前が心から楽しんでくれれば、生きることを嬉しいと感じてくれれば、それで良いんだ。笑顔は手段じゃない。お前の感情からにじみ出た結果じゃなければ、意味がないんだ。だから、笑いたくもないのに、笑顔を作る必要はない」
「えー、でも、師匠が言ってたわ。顔の筋肉を動かす癖がついてないと、だんだん動かなくなるって。
だって私、生まれてからずっと、顔の筋肉を動かしたり、声や音を出したりできなかったのよ? どういう時に笑えば良いかとか、そういうのちっともわからないんだもの。
あ、でも、前に詰め所で兵士を殴った時は、作らなくても顔の筋肉動いてたかもしれないわね。悲鳴上げられたけど。
まぁ、そんなことはともかく、やらない事はいつまで経ってもできないんだし、ちょっとした奉仕活動? わざわざやっても喜ばない相手にまでやる必要は感じないけど、私の笑顔くらいで喜ぶなら、やらないよりは良いでしょう?
師匠ほどじゃないけど、アランも私の笑顔見るの好きでしょう? たまに何故か嫌そうな顔になることもあるけど」
アランは言われた言葉に、固まった。
「え……っ、それ、いったいどう……いや、まさか、俺のためだって言うのか!?」
「私は正直、鍛錬だとしても顔の筋肉を動かすことに意味なんか見いだせないし、表情とか作る必要も感じないけど、アランはあった方が良いんでしょう? 私が笑うと安心するじゃないの。
師匠は私の笑顔は好きだと言うけど、あの人の場合、別に私が笑わなくても、アランみたいに不安そうになったり、悲しんだり、考え込んだりしないでしょう。なら、必ずしも必要ってわけじゃないわよね」
「……お前、なんって……」
アランは絶句した。
「だいたい、アランって本当、面倒くさいのよね。何も言わなかったり、反応しなかったりすると、いじけたり、考え込んだり、なんか妙な方向に反応するし。だったら、こっちで気づかってあげないと、ますます面倒になるじゃない」
「面、倒……」
アランがガックリとうなだれた。
「正直、笑ったり泣いたりするのは良く理解できないのよね。私に理解できるのは怒りだけ。アランと師匠には感謝しているわ。
私にとって怒りは生きるということと同じことなの。怒りは、自分のおかれた状況に抗い立ち向かうための力よ。
嫌なことには抗って、それが可能ならば己の身を守るために戦って良いんでしょう? 私はアランと出会うまで、選択肢はなかった。そもそも自分で自分のしたいことを考えるという発想がなかった。
あなたと出会うまで、私は檻の中にいたわ。屋敷の中で安全な食べ物が手に入りづらくなったから、外で手に入るものを探して、何でも食べた。
暴力を受けることには慣れても、飢えによる苦痛には慣れなかったわ。一切の飲食を断とうとしても、死なない程度に食べさせられるから。
自分で何かをすることは、人に迷惑掛けないのなら自由なんでしょう? そうするのは人として自然なことなんでしょう? それって我慢し続けるよりもずっと楽だし、楽しいわよね」
レオナールがそう言うと、アランは顔を上げ、真顔になる。
「ああ、誰かを、何かを傷付けたり迷惑掛けたりしないなら、自身の望みや欲求に従うことは悪いことじゃない。それを我慢するのは、強いストレスになるからな。恒常的な不満やストレスは人を歪める。
人は一人では生きられない、社会を構築してその中で生きる生き物だ。だから、他者に迷惑を掛けるようなことは慎むべきだが、そうでなければ問題ない。
やりたいと思うことをやるのは、それを阻止・阻害する要因がない限り、生き物として自然なことだ。そもそも、それをやりたいと思うことの大半は、それがその当人にとって必要なことだからだ。
それが反社会的であったり、他者に被害や迷惑が掛かるような事であれば論外だが、そうでなければ自分にとって必要なことを為したいと思うのは当然だ。それを我慢する方が身体や心に悪い」
「師匠が言ってたわ。人間社会に溶け込むには、人間として振る舞った方が良いって。私にはその基準とか良くわからないから、アランを参考にすれば良いだろうって。
アランは人間の平均値とは言い難いけど、一番そばにいて、私が真似しやすいだろうから、アランを私の基準にして言動すれば楽だろうってね」
「……な……っ!?」
「アランには悪いとは思うけど、私自身はあの頃とさほど変わってないわ。でも、少なくともアランの前ではだいぶ人間らしく振る舞えてるでしょう? 頑張ったのよ、私なりに」
どうよ、と言わんばかりに胸を張るレオナールに、アランは「頑張るところが違う」と呟きながら脱力した。
相変わらずサブタイトルが微妙です。
当初プロットでは次章でアランに気付かせる予定でしたが、書いてる途中で「アランが自力で気付くとか無理じゃない?」と気付いてしまいました。
書いてる当人が言うのはアレだと思いますが、レオナールもアランも自己完結しすぎだと思います。
以下修正。
×魔術士
○魔術師
×半目
○半眼
×常に
○日頃から
×気を遣ってる
○気をつかってる(レオナールの台詞なため平仮名に修正)
×気遣って
○気づかって




