30 たぶん価値観と優先度の違い
「彼らに第五小隊襲撃容疑がかかっている? だとしても、それがお前に何の関係がある」
ヘルベルトは眉をひそめて言った。
「将来有望な若者を庇護し導くのは、大人のあるべき姿だろう?」
アレクシスはフッと鼻で笑い、大仰に肩をすくめ、当然といった口調で答える。
「そんな建前はどうでも良いから本音を言え」
ヘルベルトは露骨に顔をしかめると、頭痛がすると言わんばかりに眉間を揉んだ。
「当初はどうやらろくな証拠もなく彼らを捕らえて尋問するつもりだったようだな。おそらく何らかの思惑の下、有りもしな罪を着せて処断しようとしていたのだろう。その辺りは今、調べさせているところだ。
セヴィルース伯が到着するのが早いか、証拠が集まるのが早いか。いずれにせよ日が暮れる前には決着がつく筈だ」
「つまり時間稼ぎが必要だと言いたいのか?」
「いや」
アレクシスはそう言ってニヤリと笑った。
「そんな無駄なことはしない。僕はこんなところに長居する気は毛頭ない」
「なら何を」
「ここの連中が我々を外に出す気がないというなら、是非とも帰したいと思って貰うようになれば良い」
「……嫌な予感がするんだがアレクシス、いったい何をした?」
「僕は何もしていない。君も僕の性格は良く知っているだろう? 興味のない事に無駄な労力を費やす趣味はない。必要なら他にやらせることはあるが」
「おい!?」
ヘルベルトがアレクシスを咎めるように睨むが、意に介する風はない。アレクシスは髪を掻き上げて、深々と吐息をつく。
「まあ、そう大袈裟に取るな、ヘルベルト。人に探られて痛む腹がある輩には、あえて堂々と探りを入れてやった方が親切だろう?」
「それは探りを入れてるんじゃなくて、牽制していると言うんじゃないか?」
「大丈夫だ、無駄にはならない。それに僕が何もせずにただ居座る方が、疑心暗鬼を呼ぶ。彼らが納得できる理由が必要だ。何でも建前や名目は必要だろう?」
「……いったい何を企んでいる? お前が全く何もせずに、こんなところで茶を飲んでいるはずがない。お前は確かに無駄と判断した事は一切やらないが、娯楽や研究に関係しないことに時間を費やすはずがない」
ヘルベルトが詰問すると、アレクシスは眉を顰め、つまらなそうな口調で告げた。
「君の悪い癖だな、魔術師の手管や手札について明言・詮索しようとするのは。伏せるべきことは伏せ、自分の意識の及ばぬ領域については係わらぬ方が、賢明だろう。我が身が可愛いならばな」
「……お前がまどろこっしくて、面倒臭い男なだけだろう。文句があるなら、回りくどい表現を使わずはっきり言ったらどうだ」
「では、君にもわかる表現で言おうか。うるさいから、黙ってくれ。邪魔をするというなら、全力で潰す。……ほら、期待に応えてやったぞ」
アレクシスは気だるげな顔と面倒臭げな口調で言うと、椅子の背もたれに寄りかかり、溜息をついた。
「……ドラゴンが空から降ってくれば楽しいだろうに。あれほど美しい生き物はいない」
「お前は他領の領主の兵団駐屯地を壊滅させる気か!」
騒ぐ二人を横目に、他の四人はアランの淹れたお茶を飲んでいた。
「ヘルベルト殿はアレクシスの従兄で、近衛騎士団に所属している。おれは直接の知り合いではないが、あの通り二人は仲が良く、しばしばヘルベルト殿が訪ねて来るので、面識がある」
「仲が良い、ねぇ?」
ダオルの説明にアランは首を傾げた。確かにいがみあっているわけではないだろうが、あれを仲が良いと言って良いのだろうか。
「アランって、紅茶淹れるの得意なの?」
ルヴィリアが紅茶をひとしきり楽しみ、感心しながら尋ねた。
「祖母に仕込まれただけだ。自分でも研究していないこともないが、適した温度や抽出時間は、茶の種類によってだいたい決まっている。厳密には大きさや状態などによって違うが、慣れればどうすれば良いかわかる。 わからなければ、飲んで試行錯誤すれば良いし、販売者に淹れ方を聞いて参考にすれば手っ取り早い」
「茶なんて、味と匂いのついた水だと思うけど」
レオナールは匂いをかいだだけで、口はつけてない。
「毒は入ってないぞ」
アランが肩をすくめて言うと、レオナールは首を左右に振る。
「なんかこれ嫌い。嫌なにおいがする」
「お前の嫌いなものは入ってないと思うが」
「香料、たぶん動物性の甘い香りがする」
「ああ、そう言われればそうだな。麝香か、それに似た匂いがするかもな。でも、そんなに気にするほどか?」
「香りの強いものは嫌い。植物性のも動物性のも」
「全く匂いのない物なんて、この世に存在しないだろ」
「何が入ってるかわからなくなるような強いにおいのものは嫌だって言ってるのよ」
「飲みたくなければ飲まなくても良いが、香辛料や香草・薬草は我慢しろよ。あと野菜と果物も」
「…………」
レオナールは顔をしかめ、返答しなかった。そこへ、扉をノックする音が聞こえた。
「はい」
アランが扉に近付いた。
「ドミニクです。旦那様はいらっしゃいますか?」
「はい、こちらに在室されています」
そう言って扉をゆっくり開いた。扉の前には見張りの兵士とアレクシスの従者が立っている。従者は会釈すると室内に入り、扉を閉めた。
「旦那様」
従者が呼び掛けると、アレクシスが振り向いた。
「ドミニクか。首尾は?」
「暫くお待ちいただければ、こちらの責任者の方がいらっしゃいます。報告は後ほどいたします。また、『鳥』は夜には戻るでしょう」
「そうか」
「おい、まさか他領で使い魔を放ったのか?」
「黙れと言ったのが聞こえなかったのか、ヘルベルト。なんなら脅しではなく本当に黙らせてやろうか?」
アレクシスが冷たい目で静かにヘルベルトを睨み付けた。
《蒼炎》の由来は、彼が使用する多彩な魔術の内、一番攻撃力の高いものが炎系魔術である事から来ている。高温の青白い炎の柱を放つ《蒼炎》を使えるのは、現在アレクシスだけだという噂だ。
だがそれ以上に有名なのは、彼が変人で、たとえ国王陛下の命令であろうと気が向かなければ従わず、めったに招集・招聘にも応じない、王宮に詰めているのにその姿を見る事が稀少な人物だということだろう。
Sランク冒険者は、その多くが災害級魔獣と同等の力を持っている。かつてダニエルが所属していたパーティー《光塵》のメンバーの内では、ダニエルとシーラとオラース──光神神殿所属で、ダニエル幼少時には後ろ楯となった司祭──が、ほぼ同期の《深遠の探求者》ではクロードとアレクシスとベルトランが該当する。
ヘルベルトは近衛騎士団内では中堅であり、剣や槍の腕も悪くはないが、Sランク相手では分が悪かった。
「……アレク、お前は始祖に恥じるような所業はしていないだろうな」
「怠惰や自己の楽しみに寄りがちなことを批判されることはあるだろうが、天空神と大地の女神に顔向けできなくなるような事をした覚えは皆目ない」
ヘルベルトはアレクシスの答えに、頷いた。
「ならば深くは詮索すまい。だが、王都には今日中、あるいは遅くとも明日の朝には帰るぞ。お前の判断や決裁待ちの仕事が大量に溜まっている」
「おかしいな、ステファンには指示したはずだが」
「何をどう指示したと言うんだ」
「暫くかかる予定だから、代わりにやっておけと」
「そりゃ、あいつが涙目で俺に頼むわけだな。そういうのは指示とは言わん!」
そこへ更にノックの音が聞こえてきた。ドミニクがアレクシスを伺い、アレクシスが頷くと、ドミニクは扉へと向かった。ヘルベルトは言いたいことはまだまだあるが、視線をアレクシスから扉の方へと変更した。
「ラーヌ駐留黄麒騎士団所属のラーヌ駐屯所責任者のマクシミリアン・オルトールだ。話がしたい」
レオナールは扉の向こうの声に、聞き覚えがあった。
「入室を許可する」
アレクシスが言って、姿勢を正した。ヘルベルトはアレクシスの背後に護衛のように立つ。ドミニクが扉を開くと、領兵団の制服を着た、オールバックに口髭の貴族風の男が、兵士二名を連れて入室する。
「お初にお目にかかる、アレクシス殿。わたしはラーヌ駐留黄麒騎士団所属のラーヌ駐屯所責任者のマクシミリアン・オルトールだ」
先程と違って素面の男の目は猛禽類のように鋭く、防具も武器も身に付けてはいないが、姿勢や歩き方にも隙がない。
レオナールはわずかに目を細めた。いつでも立ち上がれるよう、椅子には浅く腰掛けている。脳裏では、いつものように相手を斬るとしたらどうするかと考えているが、顔には出ていない。視線に動きはあるが、あくまで無表情である。
「前置きは良い。本題を」
アレクシスが気だるげに先を促した。マクシミリアンは頷き、部屋全体を見回すと、
「出来れば、容疑者の彼らは外して貰いたい」
「容疑者? おかしな事を言う。どちらかと言えば、彼らは被害者だろう。自分達が何に巻き込まれ、何をされそうになったのかくらいは教えてやるべきでは? 後ろ暗いことがなければ問題ないだろう」
アレクシスは大仰に肩をすくめると、ニヤリと笑った。
「それとも、何か? 彼らがいると、まずい事でもあるというのかな。例えば、勤務中の飲酒とか」
その言葉に、マクシミリアンの眉間に皺が寄る。
「その、アレクシス殿は彼らとどういった関係で?」
「おや、聞いていないのか? そこの大男は僕の部下であり、金髪の剣士、レオナールは僕の同僚・ダニエルの唯一の弟子だ。そして、四名とも僕とダニエルが後見人となって、冒険者ギルド登録を行っているのだ。つまり、我々が子同然に可愛がって面倒を見ている冒険者、という事だな」
レオナールとアランは、ダニエルはともかくアレクシスに後見人になって貰った記憶はないし、面倒を見てもらった覚えもないが、それをわざわざ口に出す必要もない。
「ほう、それは初耳ですな。だからと言って、我々の立場と職務上、彼らを特別扱いするというわけにはいかぬのだ。
お恥ずかしい事に先日、こちらでは不祥事と汚職が発覚し、更迭・処分が行われ、多数の人員入れ替えが行われたばかりでな。
引き継ぎもそこそこに転任したばかりで全てを掌握しているとは言い難いのだ。そして上から下まで慌ただしいところに、この襲撃の報。
そこへタイミング良く同じ方角から戻って来る冒険者と来たら、我々が彼らを怪しむのも無理からぬこととは思いませんかな?」
「先程、《真実の鏡》を行使して事情聴取を行い、彼らの証言の真偽を証明した。彼らは第五小隊襲撃には関与していないし、それを目撃していない。では、容疑は晴れたと見て良いはずだな?
それとも、まだ何か彼らに聞く事があるのだろうか。てっきり、解放前の挨拶または謝罪に来たのかと思えば、そうではないようだな」
「失礼だが、我々、セヴィルース伯領ラーヌ駐留黄麒騎士団は、ラーヌの治安維持と防衛のため、わずかでも疑わしき者は全て取り調べる必要がある。
今回はたまたま、アレクシス殿がいらして《真実の鏡》という稀少な神術を行使し、彼らが第五小隊の襲撃には関与していないと証明されたが、このような事は早々ない。
アレクシス殿が被後見人に肩入れしてしまうお気持ちはわからなくもないが、我々の立場も考慮いただけると有り難いですな」
「それで、そちらの用件は? できれば夕飯までには、この兵舎を出たいものだが。でなければ、ここにいるヘルベルトのように、王都から続々と迎えの催促が来る事になりかねない。
今回はヘルベルトだったが、次はどうかな? ダニエルが来ると、うるさいだけでは済まないので、面倒なのだが。彼は困ったことに、破壊が何より得意な男だからね。
落ち着いて理性的に行動するという事ができないのが、最大の欠点だ。彼の歩いた後は、どこもかしこも穴だらけで後始末に困る」
「その、彼ら四名に関しては、今回の件に関与した可能性が低いという事で、解放しても問題ないという裁定が下りた。
現在は上部の承認待ちというところだが、ラーヌの外へ出ないのであれば結構だ。承認が下りれば、ラーヌの門の出入りも、ロランへの帰還も自由となる。それまでしばらく、ラーヌに滞在願おう」
「そうか。おそらく、明日か明後日にはダニエルが到着すると思うが、それまでに承認が下りることを祈ろう。では、我々は退出させて貰おう。
遅くなったが、第五小隊の襲撃の件、犠牲となった兵達に追悼する」
「これは有り難いことで。アレクシス殿も、様々な役職を兼任されて、ご多忙だろう。くれぐれもご自愛なされよ」
「……ところで、一つ聞きたいのだが」
「は、何か?」
「僕は、マクシミリアン・オルトールという名を寡聞にして知らないのだが、どちらの出身で、どのような業績を上げた方だったかな?」
アレクシスは顔から笑みを消し、冷ややかな目でマクシミリアンを見据えた。
「……っ!」
思わず息を呑むマクシミリアンに、アレクシスは冷笑を向ける。
「まぁ、ここで尋ねても数日後には忘れているだろうから、返答は必要ない。おそらく次にあなたとここで会う事はないだろう。では、壮健で。失礼する。
……さ、ダオル、レオナール、アラン、ルヴィリア。もう退出して良いそうだ。共に戻ろう。あと、今夜の夕食の手配を頼む。ヘルベルトの分もな」
「はい」
アレクシスは用は済んだとばかりに、さっさと出口へと向かう。ドミニクが扉を開き、アレクシス、次いでヘルベルトが部屋を出る。ダオル、アラン、ルヴィリアがそれに続き、最後に残ったレオナールがマクシミリアンを一瞥してから出た。
(素面で完全武装でも、あの髭男を斬るのは問題なさそうね。それほど数がいなくて囲まれなければ、いけるかしら。挑発は効きそうだし。
アランが協力してくれれば、かなり楽できるわね。グチグチ文句は言われそうだけど)
ふふっと笑みをこぼすと、振り返ったアランが怪訝な顔になる。
「どうした、レオ。何かお前の興味を引くような事があったか」
「そうね。たいしたものはなかったわ」
「お前がそんな風に笑ってる時って、大抵ろくなこと考えてないような気がするんだが」
「アランは攻撃魔法より、妨害系魔法を多用した方が良いと思うわよ。刃物が効く敵を相手にするなら、複数対象の攻撃魔法は詠唱時間と消費魔力考えたら、あまり旨味がないでしょう?
魔法耐性の低い敵に妨害魔法は効果的よ。敵が少なくて遠いところにいるならともかく、室内や洞窟みたいに視界が狭くなる場所では、攻撃するより妨害の方が絶対良いわ。
アランってばすぐ炎系魔法を使いたがるけど、あれ、私が敵の近くにいる時は必要ないでしょ。アランがどうしても敵を倒したいなら仕方ないけど、そうじゃない時は控えた方が効率良いわ」
「いきなり何の話だよ」
「もちろん敵と戦う時の話に決まってるでしょ」
「だから、どうしてそういう話を脈絡なく、こんなところで話してるんだよ。唐突過ぎるだろ。それ、今する話か? っていうかおとなしくしてると思ったら、そんなこと考えてたのか?」
「えっ、アラン、私が何をしてると思ってたの? 私が食事と鍛練と戦闘以外の何を考えると思ってるのよ」
「……わかった。後でじっくり話す時間を取ってやるから、今はしばらく黙ってろ、レオ」
アランが渋面で言うと、レオナールは頷いた。
「もちろん、戦術・戦闘の話よね?」
レオナールの質問に、アランは無言で生温い笑みを浮かべた。
更新遅くなりました。すみません。
アラン「もちろん説教に決まってんだろ!」
レオナールの真面目で真摯な態度は、アランにとっての不真面目。
以下修正。
×黄麟騎士団
○黄麒騎士団




