8月13日 その3 老猫への恩返しと災厄襲来
AM11:45
「きゃきゃー。」
「こら、美咲、オネストが可哀想だから、
毛を引っ張るのはやめなさい。」
「ああ、かなりの抜け毛が•••
爺様もう大分毛が少なくっているのに。
ごめんな。」
「んがー」
赤ん坊のおいたに対して
『気にするな。』とでも言っているように
鷹揚な鳴き声を返す老猫オネスト。
御歳確か18歳。
人間で言うと恐らく88歳前後、
米寿のお祝いをしてもらえるようなご老体である。
かつて『脱走の名人』『騙しの天才』と家族に
恐れられた反応の良さ、素早さは見る影もなく、
縁側にタオル等で作られた指定席に
抜け毛の多いでっぷりとした体を横たえている。
どこで資金を調達したのかは不明だが、
最近買ったらしいもう一台の車で買い物に出かけたという
母と姉を待つ間、
縁側で美咲の面倒を見ながら、
オネストのブラッシングや爪切りをやってやった。
昔ならこういった手入れをしてやるために捕まえるのも
一苦労だったのだが、今は
『好きにしやがれ』とでも言うように
全く抵抗を見せることもない。
というか猫にも認知症があるらしいし、
正直どこまで自分のされていることや
自分の世話をしているのが久しぶりに来た
長男であることを認識しているのかはかなり
怪しい所である。
そうは言っても姉さんと一緒に
仔猫のころから世話をしてやり、
父さんが死んだ日には
泣きながらこいつを抱いて眠った仲なのである。
大学入学と同時にこの家を離れ、
随分不義理をしてきたのであるから、
毛づやはなくなって口臭がひどくなり、
排泄が上手く出来なくて美咲同様のオムツ姿で
あったとしても、
丁寧に少しでも快適なように、
じっくりと心を込めて
ブラッシングをしてやった。
「んにゃー。」
「何か、随分可愛い声を出しているな。
余程気持ちいいみたいだ。
梅雨もこの子が生きている内に連れて来てやりたいな。
ユキの所に預けて来たんだろう?」
「はい。
ユキちゃんは絵の執筆が忙しくて
森に籠っているらしく、
賀川さんに託して来たんですが。」
「•••あいつに猫の世話なんて出来るのか?」
「いや、あの人小器用に何でも基本できると思いますよ。
タカさんの家ですから、彼が忙しい昼間には葉子さんが
見てくれるでしょうし。」
「それもそうか。
最近何か無愛想なあいつが仔猫にエサをやっている姿は、
シュール以外の何物でもない気がするが。
そういえばお義姉さんに連れて行かれたから、
ユキの絵のお返しを買えていなかったんだよな。
こっちで買う所はあるか?
あるなら賀川や葉子さんの分も一緒に買った方がいいな。」
「そうですね。
色々地元の商店とのツテはありますから、
いくつか回ってみましょうか。
他の職人さんにも多少の迷惑はかけるでしょうから、
それにお酒の一本くらい付けたらいいですかね。」
「そんなところだな。
明日にでも町を案内してくれるか?」
「喜んで。」
そんな風に今後の予定を立てていると
いやでも妊娠やプロポーズについての
あれこれが頭をもたげてくる。
ああ、どのタイミングで言ったらいいんだろう。
•••いや、待てよ。
姉さん達がいない今って
またとない機会なのではなかろうか。
あの二人が現れたら、
絶対ムードもへったくれも
なくなる気がする。
囃され、いじられ、なし崩し的に
大事な告白をさせられるくらいなら、
いっそここでっていうのも決して
なくはないんじゃないか。
婚約指輪は用意出来ていないが•••、
ええい、そのまま勢いで買いに行ってやる!!
「しかしこのお盆にここを訪れる予定は
あったとはいえ、いきなり車に連れ込まれる
っていうのはびっくりしたよ。
流石、お前のお姉さんだな。
年下とはいえ、あの迫力なら全然
お義姉さんと呼んで差し支えがない気が」
「司さん!」
「ふわ、い、いきなり手を掴んでどうしたんだ!?」
「大事なお話があります!!」
「そ、それはまさか。」
「そのまさかです。」
ごくん。
息を飲み込む司さん。
美咲ちゃんはとなりですやすやおねんね。
オネストも見てみぬ振りをしてくれている。
よし、今だ。
「二つお話があります。
一つはあなたのおな」
「おっかえりーーーーーーーー!!!
ワー君、着いたんだったら連絡してよーー!!
もう相変わらずイケズなんだから。
大好きなお姉ちゃんに久しぶりに会えるのが
うれしくないのーーーーーーー?」
「ふ、う、うぎゃーーーー!!!」
「こら、薫!
寝よう娘を起こしてどうするんよー!
ほーら、よしよし。
アホなお母さんですねーーー。
優しいおばあちゃんですよーーー。
いないないばーーー。
あら、渉、もう帰っとたん?
道混みようからまだまだ来んかと思ってたわ。
司さん、美咲の面倒みてもらってありがとね。
水ようかん買ってきたんですけど、
食べてですか?」
「あ、はい。
い、いただきます。
わ、渉、話はまた後でな。」
「•••」
俺が世紀の告白をしようとした刹那、
その決意は姉の体当たりと姪の泣き声、
そして全く空気を読んでいない母親の
おばちゃんトークによって無惨に引き裂かれた。
大事な告白ミッションは昨日に続いて
またもやアホ家族によって妨害されてしまったのである。
こ、こ、この歩く災厄母娘めーーーーー!!
人の一世一代の告白に盛大に
冷や水ぶっかけやがってーーーーーー!!
俺のなけなしの勇気を返しやがれーーーーーー!!!
俺は姉さんに抱きつかれた状態のまま、
美咲を抱いた母さんに連れられ、
縁側を後にする司さんを
涙を飲んで見送るしかなかった。
この世に神はいないのか。
少なくとも俺と司さんの間にいる
恋の女神ってやつには一回説教を
かまさないといけない気がする。
なんでこのタイミングであの二人の
乱入を許すんだ。
今までフォローしてくれていたのに、
何もここまで来て邪魔ばっかりしなくても•••
この機会を逃したら、もうこの帰省中、
静かな場所で二人っきりになれるか相当怪しいのに!!
俺は愚かにも天を憎んで心の中で愚痴をこぼすしかなかった。
しかしまあ、
オネストの老化と同様に、
人間も変化するものである。
結婚式以来の姉からの過剰なスキンシップに対して、
かつて現在の鹿島を笑えないレベルの
超弩級シスコンであった俺が、
むしろ物悲しさすら感じているのだから。
•••もちろん、
司さんに勝るとも劣らない、
見事なナイチチであったはずの
姉の局所的な柔らかさから、
『司さんもママになることで成長するのかなあ』
なんていう、
下らなすぎる妄想を胸に秘めている奴を、
成長したとは決して言ってはいけないと思うが。
シュウさん達の企画、『うろな町』計画に参加させていただく作品です。
老猫オネストを登場させるのを忘れてたので、
こんなあたりで切らしていただきます。
うちの実家の猫もこれくらい長生きしてほしいものです。
またもや邪魔された清水ですが、
そう簡単にプロポーズなどさせません(笑)
今まで順調に行き過ぎましたから、
少しくらいヤキモキしてもらいましょう。
また桜月りまさんのユキちゃんたちの
お名前を梅雨の関連で出させていただきました。
気になる所があればよろしくお願いします。
多分次回では13日終わらなそうです。
次に色々仕込んで、
次の次ではちゃめちゃにこの日を終わらせようと
思います。
中々進みませんが、
ゆっくりとお付き合いいただければ幸いです。