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6月17日 その5 森の助け

PM5:00


投薬後宵乃宮さんの容態が

安定したこともあり、

先ほど予定していた

フォーメーションで

彼女を運搬することとなった。


宵乃宮さんの意識はまだ

もどっておらず、

腕に点滴、口には

アンビューバックという痛々しい

状態ではあったが、

大分血色も良くなっており、

このまま病院に運べば、

すぐに回復してくれるだろう。




さきほどまでどうなるか、

本当に心配だったが

何とか上手くいって良かった。


外に出ていた前田さんと賀川さんも

こちらが呼びかけると飛んで来たが、

彼女の顔色を見てホッとしたようだった。


賀川さんがボロボロ涙をこぼしていたのはもちろん、

多少前田さんの目も潤んでいたように見えたのは、

気のせいだろうか。


とにかくこれだけ心配してくれる人がいるのは

良かった。

彼女が目を覚ましてからも

みんなでフォローして行こう。






「それじゃあ、行きましょうか。

宵乃宮さんの体はちゃんと固定出来ていますから、

揺らさないようにというよりは足元に気を付けてください。」

「とはいえ、揺らさん方がいいに決まってるだろう。

賀川の、気合い入れて持てよ。」

「当たり前じゃないですか!」


持ち手の二人は気合い十分なようである。

これなら予定よりも早く直澄達に

合流できるかもしれない。


ただタブレット端末で見る限り

向こうもまだ森に入ったばかりのようだし、

こちらもさっさと行くとしようか。




「待って。」

「「「「えっ」」」」


出発しようとした刹那、

担架から宵乃宮さんの声がしたので、

みんな驚いて彼女の方に向き直った。


こんな状態になってもまだ抵抗する

意思があるのかと思ったが、

彼女は目を開けてはおらず、

どうやらうわ言のようだ。

とはいえ、意識が戻りかけているのは

いいことなのだが。




「びっくりさせるなよ、全く。」

そう毒づく前田さんもどこか嬉しそうである。

「大丈夫ですよ。すぐ戻ってこられますから。」

微笑を浮かべた賀川さんは彼女にそう語りかけていた。




「待って。お母さん。置いて行かないで。」

ただそんな温かな雰囲気も彼女の更なる

うわ言の深刻さにかき消されてしまった。


彼女は恐らく助かるだろう。

さりとて母に捨てられた、

あるいは母と死別した、

少なくともすぐには母に会えない

彼女の孤独が埋まる訳ではない。


いや、もちろんこの4人を中心にできるだけ

サポートはしていくつもりだが、

母親というのはやはり特別な存在だ。

誰かが代わりになれるというものではないのだ。


周りを固める野郎どもは

その辛さが想像できるだけに

少し暗くなってしまった。

男は所詮いくつになっても

マザコンなのである。

母親の話だけはどうにも応えるのだ。




その中でただ一人、

梅原先生だけは反応が違っていた。

彼女は微笑んだまま、

宵乃宮さんの手を握り返すと

こういった。


「どこにもいかないよ。

私はいつでも

ユキの側にいるからね。

必ず守ってあげるからね。」


その言葉に応じるように

弱々しいながらも

宵乃宮さんが手を握り返していた。


「幸せにおなりなさい、ユキ。」

「うん。お母さん。ありがとう。」


宵乃宮さんはそう呟くと、

手の力を抜き、寝入ってしまったようだった。

ただその寝顔は先ほどよりもずっと

安らかなものであった。




「梅原先生、さっきのは?」

「ああ、すまん、すまん。

なんかあの子のお母さんがここにいるとしたら

そんなことを言うんじゃないかなって思って。

勝手なこと言ってまずかったか?」


先ほどのやり取りをぽかんと見ていた俺は

我に返ると梅原先生にその真意を聞いて、

本当に驚いた。


梅原先生の言った

「幸せになれ」というフレーズは

どうやら彼女が最後にお母さんから

聞いた言葉であったようであったと、

いくつかの作品紹介に出てくる

キーワードから判断していたからだ。


もちろんそのことを

まだ俺は梅原先生に話していない。

宵乃宮さんの体調がこんなことに

ならなければ彼女への説得の

台詞として同じ女性である

梅原先生に言ってもらおうと

考えてはいたのだが•••。




「いいえ、おかげで彼女も

安心出来た気がします。

本当にありがとうございました。」

「何言ってるんだ。

おだてても何も出ないぞ。」


そう言って恥ずかしがる梅原先生を見て、

心の底から熱い想いが沸き上がって来た。

俺は本当に素晴らしい女性に惚れたんだな。

ああ、こんな状況じゃなかったら、

今すぐプロポーズしてーーー!!!




「おい、そろそろ行くぞ。

折角ならちゃんとしたベットで

寝かしてやった方がいいだろ。」

「ああ、そうですね。

では改めて出発してください。」


前田さんの一声で我に返った俺は、

一旦燃える感情を押さえ込むと

そう号令をかけた。











PM5:20


20分ほど進んで、大分救急隊との距離も近づいて来た。

というか、直線距離なら100メートルも離れていないのだが、

険しい森が邪魔して担架を運んでショートカットというのは

難しそうだった。




「やっぱり無理か。」

「無理ですね。この場所からなら渉兄さんが

いるところまで大きな木がそちらの目の前に

一本あるだけなんですが、そいつが

いつ倒れるか分からない上、

間の薮も深くて、足を取られかねないです。

これはやっぱり規定のルートを進んだ方が

安全ですね。」



直澄に携帯で向こうから見える状況を

確認するがやはりこの道を突っきるのは

難しいようだった。

できればここを使って時間を短縮したい所だったが、

しょうがないか。


俺は現在いる少し開けたスペースから

直澄がいる所までの規定の遠回り

ルートをスマホで表示させた。

やはりそうするとまだ30分以上

かかりそうだった。

目の前の場所を使えば5分もかからないだろうに。




「おい、まだこっちは十分体力あるんだ。

とっとと出発するぞ!」


切り株で一息ついていた前田さんがこちらを急かす。

宵乃宮さんが軽いと言っても人一人、しかも森の中を

運ぶのは大変なことから、

早めに休憩を取りがてらルート探索を

していたのだが、

この辺りが潮時だろう。

向こうにも移動するように指示を出して、

こちらも動き出すとしようか。




「すまない、直澄、やはり規定のルートを

行ってくれるように救急隊員の人に

言ってくれないか。引き止めて悪かった。」

「いいっすよ、そんなこと。

それじゃあ、皆さん、出発を•••、

って、なんだこのイノシシ!!

鼻の頭にリスを乗せて•••。

ん?リスが持っているのはちっこいけど

タケノコか?

って、うわー、突撃してくるーーー!!!!」


プープープー。

いきなり意味不明な奇声と共に

電話が切れてしまった。

何があったのだろうか。




「う、うわー、く、熊がーー!!」

賀川さんの大声にびっくりして

そちらを振り向くと

大きな熊がのっし、のっしと

こちらに向かって歩いて来ていた。


しまった、この場所熊の縄張りだったのか!

なんでここまで来てこんなことに。

えっと、熊よけのスプレーはどこ入れたっけ。






俺が混乱しながら熊撃退グッズを探している

と梅原先生が熊の前に立ちふさがった。


「縄張りを荒らしてすまん!

ただこちらには病人がいるんだ。

どうか見逃してくれないか!!」


そう熊に対して叫んでいた。


いや、先生、熊に対して

人間の言葉で何言っても

意味ないでしょう。

ああ、熊が不機嫌そうになっている。


おい、このベア野郎、それ以上

俺の梅原先生に近づいたら、

この熊殺しスプレーを噴射した後で

致死量の劇薬、

テメエの皮を貫いて

ぶち込んでやるからな!!!




手を広げて立ちふさがる梅原先生の背後に俺は回り込み、

前田さんと賀川さんは宵乃宮さんの担架の前で

身構えている。


そんな一触即発の時間がしばらく続いたが、

熊はそれ以上全く動く気配を見せない。

なんか面倒くさそうに頭をポリポリ掻いている。


そして熊が何の気なしに、

さっき話していた木にもたれかかった

瞬間、メリメリっという音と共に、

大きな木が熊と一緒に向こう側に倒れ込んでいった。

どうやら熊の体重を支えきれなかったらしい。




「た、助かったのか?」

「わ、分かりませんが、

やる気のない熊で良かったですね。

でもどうなったんだろう?」


俺がさっきの木の先を見ると緩やかな斜面に太い木が

倒れて滑り落ち、一本の道が出来ていた。

熊は見える所にはいないようで、

別の方向に転がって行ってしまったらしい。




「もしかしてこれなら降りれるんじゃないか?」

「確かに、でも担架を持って人が通れるかは

怪しい気が•••」


梅原先生と俺が斜面を見下ろしながら相談していると

下から光が差したと同時に、

何かが飛び出して来た。




むぉっふぉぉおおおお!!


そんな鳴き声と共に飛び出したのは

大きなイノシシだった。

そして何故かリスを頭の上に乗せている。

コイツがさっき直澄が言ってた奴か?




「渉兄さーん!!」

後ろを振り返ると、

下から直澄と救急隊員の人が登って来ていた。

どうやらさっきのイノシシが通過したおかげで

道がさらに広がったようだ。

これなら担架ごと宵乃宮さんを降ろせるかもしれない。




「し、清水ー、た、助けてくれー!!」


梅原先生の悲鳴にもう一度振り返ると、

彼女の頭の付近をイノシシに乗っていたはずの

リスが走り回っており、

梅原先生の周りをそのリスの動きに合わせて

イノシシがぐるぐる回るという

実にシュールな光景が展開されていた。




「一体何が起こっているんだ?」

どう助けたらいいのか分からず、

俺が呆然としていると、

リスが手に持っていたミニタケノコを木々の間へ放り込んだ。

梅原先生の周りをグルグルしていたイノシシはその

タケノコを追っかけて、再び森の中に消えて行った。




「た、助かった。

一体なんなんだこいつらは?」


へたり込んでしまった、

梅原先生の肩では

さっきのリスが

「ピル、ピルルル」と

まるで笑っているように鳴きながら、

彼女のほっぺたをつんつん突いていた。




「渉兄さん、大丈夫ですか!?

あれ、さっきのイノシシはどこに?

いきなりこっちに襲いかかってきたと思ったら、

落ちて来た木で出来た斜面を駆け上がって行くし、

ホントなんだったんでしょう?

まあ、おかげでショートカットできたから、

良かったですけど。

あ、あの子が宵乃宮さんですね。

みなさーん、お願いします。」


直澄のかけ声で

救急隊員の人たちが

宵乃宮さんの方へ向かって行く。

やった処置についてちゃんと説明しないとな。


俺は気を取り直すと担架の方に向けて

歩き出した。

何か色々あって気が抜けてしまったのか、

とても足取りが重く、体がだるかった。









「本当に大丈夫ですか?」

「ああ、二人を出口まで案内してやってくれ。

俺のスマホにお前の使ったルートが転送されているから、

少し休んでからゆっくり帰るよ。

ただうろな家前まで着いたら木下先生の車で

少し待っといてくれ。

さすがにこの木の葉だらけの格好で

電車やバスに乗るのはまずいから、

家まで乗っけていってくれ。」


救急隊員によって

宵乃宮さんが運ばれるのを見送った後、

俺は直澄に前田さんと賀川さんを

出口まで送ってくれるように頼んだ。

正直俺は足腰にかなりきていて

もう少し休憩してからでないと動きたくなかった。


「梅原先生も一緒に行っていいんですよ。」

「足腰立たん奴が何を言っている。

まあ、私も大分疲れたから少し休みたいんだ。

別にまだ明るいし、大丈夫だろ。」




まだ6時にもなっていない。

3時過ぎに学校を出たはずだから、

3時間足らずで宵乃宮さんを

救出できたことになる。


途中の処置を考えたら、

出来過ぎぐらいな早さだろう。

救急隊員の人も

「これなら大丈夫です。」

と言ってくれたし、

後はうろな総合病院の先生達に

お願いしよう。




「本当お手柄だったな、先生さん。

あんた大したもんだよ。

工事の予定がある時は言ってくれよ。

サービスしてやるからな。

じゃあな!」

「こっちはサービスという訳には

いきませんが、いつでも気軽に呼んでくださいね。

彼女の容態が安定したらお見舞いに行こうと

思いますので、そのときまたお会いしましょう。」

「ではお邪魔者は失礼しますのでごゆっくり。

仮に”大分遅くなっても”俺は全然気にしませんので、

どうぞごゆっくり!」

「バカ澄!!何を言ってるんだ!!!」

「ははは。流石にそんな元気はないけどな。

ではお二人とも、宵乃宮さんの状態や

今後について情報がありましたら

ご連絡しますので。

今日はありがとうございました。」




俺は3人を見送ると、

広場の大きな切り株の上に仰向けになって寝転んだ。

梅原先生はすぐ横に腰掛けたようだ。




「それにしても無事にユキを引き渡せてよかったな。」

「全くですよ。

処置だけでも死ぬ思いをしたのに、

熊が出て来た時にはもう頭真っ白になりかけましたよ。

まあ、おかげで予定よりも早く引き渡せたんで、

ある意味動物様々ですけど。

前田さんの、蟻が宵乃宮さんに食べ物を運んでいた

なんていう話はデタラメじゃないのかと

疑っていましたが、先ほどの件を考えると

あながち嘘ではないのかもしれませんね。

まるで森自体が彼女を助けようとしている

みたいでした。」

「森の助けか。妖精みたいな子だったし、

本当にそうなのかもしれないな。

あの子の手、すごく白くて細くてきれいだった。

全く私とは大違いだ。」




梅原先生はその剣道で節くれ立った

手を空中にかざして苦笑した。


俺はそんな彼女の手を両手で包み込んだ。


「ど、どうしたんだ。」

「そんなことないですよ。

梅原先生の手、

しっかりと握った感触があって、

あったかくてとても安心します。

俺はこっちの手の方が好きです。」




そう言っているうちに全身を

甘いしびれのような疲れが

巡り始めた。

マジで限界のようである。

手先足先も少し震え始めている。


「大丈夫か?」

「正直あんまり。

いやー、本当人の命を

自分の両手が左右するなんて

経験はさすがになかったので、

緊張するなんてものじゃなかったです。

今になって震えが止まらないです。

まだまだ俺も場数が足りないなー。

梅原先生、5分くらいでいいので

ちょっと寝かせてもらっていいですか?

そうしたらもう一度

動ける気がするんで。」


そう言って俺は静かに目を閉じた。

全く情けない話だ。

梅原先生に幻滅されなければいいけど。




そんな風に思いながら

まどろんでいると

俺の両手が改めて握り返された。

梅原先生の体温をしっかり感じていると

疲れが抜け、震えが収まっていく気がした。




「いいさ、ゆっくり休め。

今日上手くいったのはやっぱり

お前のおかげなんだから。

格好良かったぞ、清水。」


そう言われると危ない橋を

渡ったことを含めて

すべてが報われる気がした。




完全に意識が沈む直前、

梅原先生の顔がすぐ近くまで

寄って来ているのを

声がすぐ耳元で聞こえることから

感じた。

まるで彼女に添い寝をしてもらっている

気分だ。

短い時間でもいい夢がみられそうだ。




そうして意識を手放してしまったため、

俺はその後その場で、

彼女がなんて言い、何をしてくれたのか、

はっきりとは覚えていない。


ただ夢の中で

「寝ちゃったか。

まったくこうして見ると

本当子どもみたいだな。

でもこんな無防備な

姿を見せてくれるのは

何だか嬉しいな。

ゆっくりお休み。

私の愛しいワタル。」

そんな声が聞こえたかと思うと、

俺の唇に何か温かいものが

しばらく押し付けられていた

ような気がする。

ああ、あれが現実だったら

最高だったのに。




15分ほどして目を覚ました際、

梅原先生が俺から少し離れた位置に

座っていたので余計にそう思った。


その後まだ足元が覚束ない

俺の手を梅原先生が引きながら

森を後にした。




実際に何があったのか、

知っているのは帰り道、

顔を逸らしたままだった彼女と、

今日の奇跡の立役者である、

森の仲間達だけである。


うろなの北の森は訪れるものを優しく包み込む。

俺は自分の手を引く彼女の体温を感じながら、

そんな感慨を胸に抱いていた。


願わくば森の祝福が俺と彼女の未来にもあらんことを。

シュウさん達の企画、『うろな町』計画に参加させていただく作品です。


ユキちゃん救出話これにて完結です。


桜月さんの協力のおかげで

力作に仕上げることができました。

ありがとうございます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。


また途中で零崎虚識さんのクマさん、イノシシさん、リスさんに

ご協力いただきましたが、大丈夫でしょうか?

リスさんは梅原でも気に入ってくれるんではないかと勝手に判断したのですが、

問題があれば言ってくださいね。


なんか流れでちょっと梅原にやらせてしまいましたが、

まあ、清水はちゃんと気づいてはいないのでいいですよね。


次は19日に文芸部のみなさんと病院に行ければと思います。

高校文芸部の3人にも来てもらおうかな。

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