6月17日 その4 養ってくれますか?
PM4:30
「ユキどうしたんだ!?」
慌てて梅原先生が宵乃宮さんの
体を支えるが、彼女はブルブル
震え続けて唇がほとんど紫色に
なっていた。
やばい。
発熱がすごい一方で
心拍が急激に低下している。
ショック状態だ!
このままだと本当にヤバい。
「誰か、そっちの赤いカバンから
AED引っ張り出して来てくれ。
早く!」
「わ、分かりました!」
賀川さんが反応して
カバンを漁り出す。
これは最悪の事態もあり得る。
俺は酸素吸入用のアンビューバック
の準備をしながら、
宵乃宮さんに問いかけた。
「宵乃宮さん、どこか痛い所ある?」
「•••わき•••こし」
そう呟いた直後、彼女の全身が弛緩し、
心電計の数値が0になった。
「ユキーーー!!!」
梅原先生の悲鳴がその場にこだまする中、
俺はパソコン画面の宮崎先生の目を見てから、
宵乃宮さんの顎を上にし、
口にアンビューバックを押し当てた。
「梅原先生、泣いてないでこれで口に空気送り込んで!
前田さん、心臓マッサージできる!?」
「できるぞ。嬢ちゃん、死ぬなよ!」
二人が作業を開始したとき、
賀川さんがAEDを持って来てくれた。
「ユ、ユキさんは」
「今からこれ使えば大丈夫だから、彼女のジャージ引き上げて!!」
「う、ごめんユキさん」
賀川さんが躊躇いながらも彼女の服を引き上げ、
下着姿の上半身が露になる。
俺はAEDのスイッチを入れてから、その指示に先行して、
右前胸部と左側胸部に電極パッドを装着した。
「心電図の解析を行います。体に触れないでください。」
「みんな離れて!」
AEDから心電図解析のメッセージがあり、
俺は3人を宵乃宮さんから引きはがした。
「心拍が確認出来ません。ショックが必要です。」
「絶対近づかないで!!」
俺は手を振り回して
もう一度3人を後退させた。
すでに余裕も何もない。
「ショックボタンをしてください。」
「動けーーー!!!」
ビクン、ビクン!
俺が叫びながらスイッチを押すと同時に
宵乃宮さんの体が2回跳ねた。
「ごほ、ごほ、ごほ」
「ユキ!」
「ユキさん!」
「嬢ちゃん!」
その直後に彼女は息を吹き返し、
心電計も数値が再び表示された。
「オッケー。これで取りあえず大丈夫。
梅原先生、そのまま宵乃宮さんの口に当てておいて。
前田さんと賀川さんは水を汲んで来て、
そっちのカバンに粉末のスポーツドリンクの素
があるから、薄めて作っておいて。
彼女の状況が落ち着いたら飲ませたいし、
俺たちも水分取らないと、この後の運搬が危険だから。」
俺は宵乃宮さんの体勢を維持したまま、
各種状態を確認すると、
3人にそれぞれ指示を出した。
ようやく少しだけ空気が緩んだ気がした。
その後、宵乃宮さんの世話を3人に任せ、
通信をスマホに切り替えて外で
宮崎先生と相談した。
ここからの内容を聞かれると
3人に不安を抱かせることになるからだ。
「先生、すいません、まともに
許可も得ずにやってしまって。」
「いいよ。問題があったらすぐアドバイス
するつもりだったけど、
適切な対処だったから。
経験あるんだったね。」
「被災地では人手不足で、
お医者さんや看護士の方と一緒に
お年寄りの家の見回りとかしてましたから、
何回か、補助を。
さすがに自分が指示を出すのは始めてだったので、
すごく緊張しましたが。」
宮崎先生と話しながら、
スポーツドリンクを飲み、
汗を拭う。
走っていた時とは違う意味で
息がまだ荒い。
「それでさっきの症状ですが。」
「確か彼女、水分が不足していた上に、
あんまり排尿してなかったんだよね。
考えられるのは急性腎盂腎炎かな。
寒気やわき•腰の痛みっていうのは典型症状だから。
詳しくは血液検査をしないと分からないがね。
ただちょっとまだ心拍が弱いし、
できれば早く抗生剤を飲ませたいんだけど、
意識レベルも低いみたいだから、
今はまだ誤嚥の可能性が高いよね。
どうしたものか•••」
先生から見ても、今の状態は小康状態であっても
安全とは言えないらしい。
この後1時間以上かかるであろう運搬に彼女が
耐えられるのだろうか。
出来る手はここで打っておきたい。
そう考えていると、
俺の頭の中に悪魔の囁きが聞こえて来た。
確かにそれをやれば彼女の救命率はさらに上昇し、
この後後遺症が残る可能性もかなり低くなるだろう。
しかし万一の場合、俺を待っている処罰は•••。
そもそも救急救命士がやる特定行為の範囲すら
軽くオーバーしている。
宮崎先生が、許可をだしてくれるのか。
しかも手技自体可能なのか。
確かに何度もやるのを間近で見て来たし、
内緒で手技の練習をさせてもらったりもした。
新人の看護士さんに
「わたしよりも上手!」
なんてお世辞を言われたこともある。
ただし、もちろん一度も患者さんにやったことなどない。
”やったら犯罪”なのだから当然だ。
「それがどうした。」
それでも全ての不安をその言葉で粉砕する。
俺は彼女にこのうろなの町を描いてくれと
頼んだじゃないか。
後遺症で彼女がもし絵を描けなくなるようなことになったら
彼女の命自体が助かっても何の意味もない。
明らかに暴論だろう。
でもだからこそ俺は医者ではなくて、
教師を目指したんだろう。
生きること自体ではなく、
その中身にこそ意味があると信じたのだから。
俺は”生徒”の未来を守るためなら、
この手を赤く、黒く染める覚悟をしてきたはずだ。
迷うことなど、何もない!
「宮崎先生、今そっちには先生一人しか
いませんよね。」
「そうだが、どうしたんだね?」
「先生、俺の薬剤投与認定を
6月1日付けにすることって、先生の力なら
可能ですよね?」
「し、清水君。それはつまり•••」
「そして彼女はすでにうろな総合病院に
通院していて、彼女の左手には、
点滴用の”留置針”が残っていたというのも
そこまでおかしい話ではないですよね。」
「そこまでやってしまうと殆ど
カルテ改竄に•••」
「それを用いて乳酸リンゲル液を用いた静脈路確保、
ブドウ糖溶液を用いた栄養•水分補給、
抗生物質の投与による抗菌、
アドレナリンの投与による心拍強化を行えば、
彼女の救命率は飛躍的に上昇し、
後遺症が残る確率は極端に減少する。
そうですよね?
うろな総合病院院長、兼”高速道路建設計画審議委員会理事”
宮崎雅広先生!」
「•••」
俺の最後の言葉に宮崎先生は絶句した。
この人は決して高速道路建設計画に積極的に参加して来た
訳ではなく、病院の院長として仕方なく名前を貸したに過ぎない。
ただしそれでも町を揺るがす問題事案に絡んでいたことが
明らかになれば今の立場は相当危うくなるだろう。
萌ちゃんの投薬の件も含めて、彼を抱き込んだのは、
彼が俺の知り合いの元部下であり信頼のおける人間である
というだけでなく、
彼の”弱み”を握っていたからでもある。
できればこんな手は使いたくなかったが、
一刻を争う事態である。
躊躇はしていられなかった。
「もちろん、理事の件が明らかになるよりも、
私の注射•点滴作業を黙認する方がはるかに
まずいでしょう。
先生のお立場がまずくなるようであれば、
私が独断で行ったとしていただいて全く構いません。
今のは私が本気だとお伝えしたかっただけですので、
ご安心を。」
「手技の経験は。」
「これも問題なのでしょうが、大学時代、器具を用いても、
そして看護士の方相手にも何度も練習を積んできました。
恐らく新人看護士レベルの技量はあるでしょう。
ただもちろん患者さんに行ったことは一度もありません。」
「•••素人ではないと。はあ、土屋先生に君には注意しろと
言われたのをいまさらながらに思い出したよ。
全く、公然化すれば私と君の首ではすまないだろうな。
つまり”上手く”やればいい訳だ。
清水君、私の指示には従ってくれるんだろうね。」
「もちろん、仰せのままに。」
ため息をつきながらにやっと笑った宮崎先生に
俺は頭を下げながら口元で笑い返した。
さすが土屋先生の後輩、いい根性してるよ、
このおっさん。
今度、何かの便宜を図れるように取りはからいますか。
「一体どういうことだ、外に出ていろって。」
「そうですよ、僕らでも何か役に立つことがあるんじゃ。」
「もうちょっとちゃんと説明せんかい!」
小屋の中に戻って
これから作業をするから外に出てくれと頼むと
3人とも思いっきり反発してきた。
そりゃそうか。
さっきの宵乃宮さんの状態を見て、
心配しないわけないしな。
みんないい人だ。
だからこそ巻き込むわけにはいかない。
「すいません、”説明出来ない”からこそ
外に出ていただきたいんです。
責任は俺が取ります。
どうかお願いします。」
「し、清水、お前何をやってるんだ!!」
俺は額を地面にこすり着けた、
全力の土下座で3人に頼み込んだ。
時間を労している分だけ
彼女の状況が危険になる可能性が高くなる。
「•••、小梅ちゃん、賀川の行くぞ。」
「ちょっとタカさん、何言ってるんですか!?」
「うるさい、大の大人があそこまでやっているのに、
意をくんでやらなくちゃ男じゃないだろ。
つべこべ言わずにさっさと来い。」
前田さんが賀川さんの首根っこをひっこつかんで、
外へ引きずって行った。
さすが前田さん、ダンディーです。
「清水•••」
それでもまだ動かない梅原先生に対して
俺は真剣な顔でこういった。
「先生、一つお願いしていいですか?」
「な、何をだ?」
「もし俺が教員クビになって無職になったら
養ってくれますか?」
「はあああーーー!?」
梅原先生は驚愕の表情を浮かべて唖然としている。
画面上の宮崎先生も呆れ顔だ。
半分本気だったんだけど、そりゃそうなるか。
「いや、それは冗談ですけど、
それくらいの話だってことです。
先生もクビになるのはまずいでしょう。
ということでここはこの鉄砲玉、
清水渉に任せていただければと。」
「•••」
笑ってごまかしたが、
こちらの本気は伝わったはずだ。
先生が後ろを振り向いてくれたとき、
ホッとした反面少し残念な気持ちになったのは
内緒だ。
が、しかし、愛しの梅原先生は
俺の想像など軽く超えて来てくれた。
「ふん!」
「うご!?」
先生は後ろを振り向いて、
そのまま外へ向かうと思いきや、
急に回転してこちらを向いたかと
思うとそのまま俺の顔面を蹴り抜いた。
人それを『後ろ回し蹴り』と呼ぶ。
「う、梅原先生、何を。」
「うん、やはり威力がまだまだだ。
藤堂先生のようには行かないな。
やはり格闘技は奥が深い。
是非、実際に道場に通って習得し、
剣道の動きにも取り入れたいものだ。」
この人いきなり何言ってるんですか!?
てか、先生、藤堂先生の道場に通うつもりなんですか?
あなたそれ以上強くなってどうするの?
俺は鼻を押さえながら大混乱に陥っていた。
完全に油断していただけに
すぐに体勢を回復出来ない。
「まあ、それはいい。
悪いが、清水、お前の言うことは聞けない。」
「そんな、どうして。」
「何故なら、私はお前の上司だからだ。
私が外にいようが、中にいようが、
お前がクビになるようなことをしたら、
私の責任も免れようがない。
ということでできるだけクビにならないよう
ここでお前のフォローをすることにする。
文句あるか!」
いや、文句あるに決まっているでしょう。
梅原先生は何も知らなかった、ということで、
済ませようとしてるのが、分からないんですか!?
ホントこの直球系強情アラサーは!
「逆にお前に聞こう、清水。」
「はい?」
「もし、私もクビになったら、
責任とって嫁にもらってくれるか?」
「はい!って、え!!先生、今なんて!!!」
「よし。それは嫌だから、頑張るとするか。
おい、清水、さっさと指示を出せ。
まず何をやるんだ。」
「え、あ、う、じゃあ、まずそっちの溶液を
取ってください。」
「これだな。」
え、さっきの何?
幻聴!?
うわー、さっきまで人の未来を左右する
からって緊張を極限まで高めていたのに、
全部吹き飛んでしまいましたよ。
えー、このまま進めて大丈夫なの?
あー、でもさっさとやらないと。
ユキちゃん、失敗したらマジごめんね。
俺は何かフワフワして、それでいて
どこか冷静になると宵乃宮さんへの
注射と投薬の準備を進めて行った。
「あんなおかしな雰囲気の救急現場は
始めてだったよ」
と、後に宮崎先生に謝りに行った時に、
苦笑しながら言われたのも当然である。
それどころか、もしかしたら日頃から
俺が梅原先生をいじっているというより
実は梅原先生が俺に合わせてくれているだけじゃないのか、
そんな風にさえ、
あの時以来感じるようになってしまった。
もちろん始めての注射、点滴が何の問題なく
完了したために、そんな気がしただけなのかもしれないが。
まあ、ユキちゃんが助かったんだからそれでいいのか。
投与後の経過を観察しながら、
俺はそんな微妙な気分のまま、
宵乃宮さんの汗を拭く梅原先生をただ見つめていた。
シュウさん達の企画、『うろな町』計画に参加させていただく作品です。
中々ハードになりました。
色々調べて面白かったけど、清水同様、
私も疲れました。
その癒しとして最後にちょっと梅原がデレてます。
清水KO
桜月さん医療系ご指摘ありがとうございました。
挿管は危なそうなのでやめておきます。
アンビューバックありがとうございました。
その他気づいた点がありましたらお願いします。
それから後ろ回し蹴りいかがでしたでしょうか?綺羅さん。
この後梅原が藤堂道場に入門しますので
サブミッションの方もよろしくお願いします。
次でこのお話もおしまいです。
最後までバタバタしますよ。