5月25日 プロローグその3 連携担当就任
職員室でのバタバタがあったため、
公民館へはタクシーで向かうことになった。
本来はこの町は交通機関がしっかりしているため、
バスか電車でいけば安上がりなんだが、
時間もないし、仕方がない。
まあ、どうやら交通費も経費で落ちるらしいから
何の問題もないのだが。
しかもこれはこれで役得が。
「なあ、清水。ちょっと近くないか。」
「そんなことはないと思います。」
タクシーの後部座席に二人で座っているのだが、
梅原先生は右側の席の真ん中辺りに座っているが、
俺は左側の席のぎりぎりまで右側によって座っている。
これ以上近づくと不審に思われる絶妙な距離だが、
ここからでも彼女の香しい芳香が
ほのかに漂ってくる。
「そうか。いや、別に気にしている訳ではないんだが、
午前中部活の稽古に付き合ったものでな。
昼にシャワーを浴びたんだが、
まだ少し汗臭い気がしていてな。
一応公的な場に行くから身だしなみは
大事だからな。」
「いえ、とてもいい匂いです。
何の問題もありません。」
そう石鹸の香りを基本しながらも、
微かに残る彼女の汗の塩辛さと
防具にしみついたエキスの残り香が
絶妙なハーモニーを奏でている。
典型的な運動不足であった俺は
最近剣道を始めたことで分かったことがある。
”匂いはエロい”と。
梅原先生の稽古は厳しく
初心者の俺にも容赦はないのであるが、
稽古終了後、疲労困憊で倒れ込んでいる俺に
先生は顔を近づけていつもより近い距離で話しかけてくれる。
その匂いをかいでいるともう昇天してしまいそうであり、
また次の稽古も頑張ろうと思えるのだ。
その気はなかったはずなのだが、
ここ一ヶ月で俺は完全な匂いフェチの素質を開花させてしまっていた。
もちろん梅原先生限定でだが。
「はあ。はあ。はあ。」
「何で息が荒いんだ。」
梅原先生はそんな俺の様子を不審に思ったのか、
席のぎりぎり右側まで寄ってしまった。
ああ、楽園が遠ざかる。
「「はあー。」」
距離が離れたことを残念に思う俺と、
部下の奇行に頭を悩ませる梅原先生の
ため息が重なって、
車内にこだました。
「みなさん、お忙しい中お集まりいただき
本当にありがとうございました。
これより第一回"うろな町の教育を考える会"を
始めさせていただきます。
それでは最初に町長から一言お願いします。」
司会役の役場の重役さんの一言で
会議の開会が宣言された。
公民館の大会議室は結構な人で埋め尽くされており、
席の前にはそれぞれの役職が書いてあった。
大体どの機関も偉い人だけではなく、
中堅どころの中年ぐらいの人と若手が一緒にきており、
この会議がかなり本気のものであることを感じさせる。
これだけの人を集めるだけでも新町長の手腕は
なかなか捨てたものではないのだろう。
俺は挨拶を促されて、高齢の重役達の中で立ち上がった、
あまり覇気がありそうには見えない若い男性を
注意深く観察した。
「助役の方からも挨拶がありましたが
本日はお集りいただき本当にありがとうございます。
みなさんもご存知の通り、このうろな町は町長が
私で2代目という若い町です。
本日お集りいただいた方の中にもこの町が
現在の形になる前からいらっしゃった方も
おられれば、ごく最近この町の発展のために
きてくだっさった方もいらっしゃいます。
そうした昔からの伝統と新しいエネルギーが
常に融合し合ってこそこの町がもっと住み良く
魅力的な町になると考えております。
本日は学校関係者の方にも多くお集りいただき、
この町の教育の良さをどうやって高め、
町の内外に発信していくのか、
それぞれの機関がお互いの情報を交換しながら、
忌憚なく意見をぶつけていく端緒にできればと
考えております。
どうぞ、この町が住んでいる子ども達、
お父さん、お母さん達、そしてこれから
移り住んでくるであろう方々にとって
楽しく、それでいて安全な町になるように
みなさんのお知恵をお借りできれば助かります。
今後ともうろな町をどうぞよろしくお願いします。」
そういって町長がぺこりと頭を下げると
会場中から大きな拍手が起こった。
ほー、なかなかやるじゃん。
シンプルでそれでいて分かりやすく、
対立している団体もある中でその両方に
配慮しながら、その協力を自然に促した
スピーチだったように感じる。
原稿を作ったのは、町役場の職員、
特に周りに座っている重役さんたちなのかも
しれないが、
あれだけ堂々としかも良い意味で
威圧感なく話せるってのはやはりすごいな。
ほとんど世襲のような形で2代目が決まったって
聞いた時には正直えーっと思ったが、
なるほどそれで反論がおこらないくらいには
しっかりした人物をあてたということなんだな。
ふと横目で梅原先生を見ると
実に感動したように力一杯手を叩いていた。
や、やばい。
先生、ああいうどストレートな
真摯さに滅法弱いんだ。
ああ、半分恋する乙女モードに入りかけている。
新町長はまだ独身みたいだし、
これはまずい。
どこかで挽回しなくては。
俺はその後のそれぞれの機関の代表の挨拶
そっちのけで、どうやったら梅原先生の
注目を自分に持ってこられるかばかり考えていた。
会議も終盤となり、次回の会議が来月の25日に行われること、
それまでに各機関の連携を密にしておくことなどが
確認された。
そして司会の重役の人が閉会の挨拶をしようとした瞬間
町長が手を挙げて発言を求めた。
「すいません、一つよろしいでしょうか。
今後の連携を密にすることに同意いただけたのは
ありがたいのですが、
やはり具体的に動く方がいらっしゃらないと
こういうのは上手く回っていかないと思います。
どなたか、特に本日はお若い方も多くいらっしゃっているので、
元気のある方に連携担当のような形で、
本務に余裕があるときでかまいませんので、
それぞれの機関を回っていただきたいのですが、
いかがでしょうか?」
いきなりの町長の提案に会場はざわざわとし始めた。
周りの重役達も少し混乱気味である。
完全にイレギュラーなこととして町長が言い出したのだろう。
今回はどこも様子見という感じで準備をしていなかったようだ。
キター。町長ナイス、パス。
分かってるじゃない。
おいしい所は独り占めしちゃだめだよね。
あ、梅原先生が手をあげようか迷っている。
先生、すいませんがここは男清水がいかせて
いただきます。
「はい、立候補させていただきます!」
俺の大きな声に周りの人たちが一斉に
こちらを振り向いた。
梅原先生は口をあんぐりと開けて唖然としている。
「私、うろな中学校で国語教師をしております、
清水渉と申します。
若輩者ではありますが、
是非その連携担当お任せいただければと思います。」
「い、いきなり何言ってるんだ、清水。」
俺の発言に梅原先生はびっくりして止めに入った。
「す、すいません。この者は先月着任したばかりの
新米でこの町のことについて右も左も
分かっていないのです。
いくらなんでもそんな大役を任せるのは荷が重いかと。」
梅原先生の釈明に会場の空気がいっきに萎みかけた。
ふふふ、先生。
怒りませんよ。
実はそれすらも計算済みです。
俺の今までの経験から、
揚げて落として、もう一回揚げた方が効果は高いんですよ。
「問題ありません。
私は海江田高校在籍時から生徒会会長として
他の学校との連携に尽力し、合同文化祭や町での
大型イベントを成功に導いて参りました。
卒業後は地震の余波に苦しむ北東大学に入学し、
教育学を学ぶ傍ら被災地での支援を行う
学生サークルに参加し、行政機関や
NPO、地元企業との連携のもと、
街の復興に貢献して来たと自負しております。
このうろな町に就職させていただいたのも、
教員採用試験の際、新しく動き出そうとしている
町の発展に教育の分野から貢献していきたいとの
希望を汲んでいたものと考えております。
もちろん私は先ほど梅原が申しましたように、
まだこの町のことについてほとんど分かっておりません。
しかし先ほど町長がおっしゃられたように
私はこの町に新たにやってきた新しい力として
この町について学びながら、この町の、
この町で育つ子ども達のために、
微力ながら少しでもお役に立ちたいのです。
いかがでしょうか、町長!」
そう言って俺は決断の責任を町長に集中させた。
こういう時には責任が分散していては
新しいことを決められない。
誰かが強引でも決めていかないと始まらないのだ。
それこそが俺が江田校で伝説の本田先輩達の薫陶を
受け、大学時代も実践して来た突破マインドの一つだ。
さあ、俺のこの勝負、受けるのか、町長。
「あの、全国最難関の進学校の出身!。
今非常に学生の活動も盛り上がっていると聞いたことがある。」
「しかも首都圏のトップ大学ではなく、わざわざ北東大に。」
「しかし、そんなのが何でこの町に。」
周りの喧噪の中、
野心的に睨みつける俺に対して町長は実に愉快そうな顔をしてこう言った。
「すばらしいですね。
こういう若い先生がこの町に来てくれたのは本当に嬉しいです。
教育委員会の採用担当の方に深く感謝したいと思います。
みなさん、この勇気と経験を兼ね備えた若者に
一つ賭けてみたいと思うのですが、いかがでしょうか!」
その声を聞いて俺の真横から起こった拍手を皮切りに
万雷の拍手が会場を包んだ。
俺が横目で見ると梅原先生がまた口を開いたまま、
しかも真っ赤に紅潮した顔で壊れた機械のように手を叩き続けていた。
作戦、成功。
本来はもう少し大人しくしておく気だったんだけどな。
まあ、この舞台も悪くはないだろう。
ここでも色々楽しませてもらいますか。
俺は会場の参加者に対して
深々と頭を下げながらも
内心してやったりという笑みを隠しきれずにいた。
その後会議は閉会したが、
俺は名刺入れを片手に参加者に片っ端から
挨拶をしまくった。
それをきっかけにして会場のあちこちで
挨拶合戦が始まった。
参加者から得られたありとあらゆる情報を頭に
叩き込んでいく。
家に帰ったら、さっそく名刺の連絡先への
メールと今後のプランニングを始めよう。
さてさてまた忙しくなるな。
今まで俺を連れて行く立場だったのにも関わらず、
いきなり俺の随行員のようになってしまった
梅原先生は何が何だか良くわからないような顔を
しながら一緒に挨拶回りをしていた。
よし、学校に戻る前に最後の一押しをしておこうか。
会議は町長や俺の活躍もあって大盛況のうちに
終わり、参加者は満足そうな顔をして家路についていった。
今回の会議だけでもこれからの町を盛り上げるために
色々な協力関係が出来上がったのではないか。
もし、俺があそこで発言しなかったとしても
町長には停滞した状況をなんとかする秘策が
まだあったのかもしれない。
まったく、末恐ろしい人だよ。
「いやー、助かりました。」
なんて頭を掻く町長に対して
俺は改めてお礼を言いながらも
そう一人ごちた。
この町を色々と面白くするためには
この不思議な2代目についてもよく知らなくては
いけない気がする。
まあ、いい。ぼちぼち行こう。
とりあえずは梅原先生が町長ではなく、
俺をぼーっと見るようになったというだけで
今回は十分な収穫があったのだから。
「おまえ、さっき言ってたこと本当なのか?」
雨が降って来たので、
帰りもタクシーを使うことを提案した。
いつもの先生だったら真面目に
時間はあるから、バスで十分だと強弁したのかも
しれないが、今日は大人しく俺の意見に従ってくれた。
「そうですね。大げさに言った部分はありますが、
嘘は言っていません。」
そう言って梅原先生の方に向き直ると、
彼女は戸惑ったように目を伏せた。
まだどことなく顔が赤い。
部下の突然の変化にどう接していいのか分からないのだろう。
「そんな畏まらないでくださいよ。
俺はいつもの俺と変わりありませんよ。」
そんなことを言いながら、一人称を私から
俺に自然と切り替えている俺は悪いやつなのだろう。
「だってそんなこと全然言ってなかったじゃないか。」
そんな俺の雰囲気に流されたのか、
梅原先生の反論もどこかこどもっぽく、
そして女の子らしいものだった。
「そんなことはないですよ。
大学の話はしましたし、高校の話は
聞かれなかったから、単にまだ話してなかっただけです。」
半分本当で、半分嘘である。
俺の経歴は細かく説明すると色々派手だから、
必要以上には人に話さないようにしている。
それをあえて話すのは
本当に欲しいものが見つかった時だけである。
俺は自分の人生でさえ、自分が楽しむための道具としてしか
見なしていないのだ。
「それは確かにそうかもしれないけど、
いきなりあんな風に話さなくても。」
「嫉妬してくれましたか?」
「はあ?」
混乱する彼女に対して俺はさらなる追い打ちを
かけ始めた。
そろそろ家が近い。
「俺は嫉妬しましたよ。
あなたが町長のことばかり見ているから。」
「そ、それは別に話してたから見ていただけで」
「それ以外の時でもちらちら見てましたよね。」
「何でそんなこと分かるんだよ。」
「だって俺はあなたのことばかり見ていましたから。」
俺は徐々に彼女との距離を縮めると最後はほとんど
耳元でささやくようにそう言った。
「な、な、な、な。」
もう彼女は二の句が告げなかった。
残念、もう家は目の前だ。
今日はここら辺で手打ちにしておこうか。
「あ、運転手さん、もうここで止めてください。
あと、これで中学校まで足りますよね。
梅原先生、それでは不肖清水、
これにてお先に失礼させていただきます。」
声を1オクターブほどあげ、運転手に支払いを
済ませると俺はいつもの調子で梅原先生に
別れを告げた。
「え、ちょっと、それ、どういう」
「来週もよろしくご指導お願いします。
それではー。」
俺は梅原先生の言葉を遮るように
車外に飛び出すと笑顔を振りまきながら
扉を閉めた。
住んでいるアパートの階段を駆け上がりながら、
横目で発進するタクシーをみると、
後ろの窓からこちらを見つめる梅原先生の
顔が見えた。
色々混乱させてごめんなさい。
申し訳ありませんが、この週末色々
思い悩んでもらえたら嬉しいです。
俺は謝意と底意地の悪さを
胸に同居させながら、
自宅の鍵を開けて中に入った。
さて連携担当の方も
しっかりやらないとな。
とりあえず、今日中にやることだけ
済ませたら、
さっさと寝て明日ゆっくり今後の計画を
考えよう。
俺は今後の予定についてそう確認すると
作業を始めるためにパソコンの電源を入れた。
あ、そうだ。
これからの作業を今後確認するためにも
毎日簡単な記録を付けておくことにしよう。
タイトルはまあ、
単に「うろな町の教育を考える会 業務日誌」
でいっか。
よし、フォルダを作成。
さっそく今日あったことをまとめておくか。
えっと、アミューズメント施設管理会社社長の名前は確か•••。
ブツブツと呟きながら俺は作業を開始した。
これは数奇な人生を歩んで来た俺が、
新しくやってきたこの「うろな町」で
巻き起こす新たな騒動の記録である。
とりあえずの目標は町の問題の
解決にかこつけていかに
梅原先生をおとす、いや
梅原先生に積極的にアピールするかということだ。
せいぜい長く楽しめると嬉しいな。
この時の俺は相変わらずそんな
ふざけた心根で問題の解決に挑もうとしていた。
この新しい環境が新たに見つけた彼女との関係、
そして俺自身のスタンスにどのような影響を
与えていくのか、
この時の俺には当然知る由もないことだった。
シュウさん達の企画、『うろな町』計画に参加させていただく作品です。
他の作品も以下のURLや「うろな町作品一覧」リンクからどうぞ♪
長くなりすぎました。
てか主人公が想像以上に下衆すぎるー。
しかも冒頭ただの匂いフェチの変態の話になってしまった。
かっとなってやった。後悔はしていない。
こんな形でプロローグとさせていただきます。
町長には出来る限り限定的なキャラ付けはしないようにしましたが、
これで良かったのでしょうか。
清水先生や梅原先生、加えて木下先生や合田君などの
オリジナルキャラは自由に使っていただけたらと思います。
もし作品に組み込んだのを教えていただけたら
こちらに可能な限り反映させていきたいと思います。
またシュウさんの「『うろな町』発展記録」より
町長さんをお借りしています。
そちらの「町長の初舞台」でも今回のお話の裏話を
フォローしてくれていますので、
是非チェックしてみてください。
ちなみに江田校がどうのこうのというのは
別に連載している作品からちょっと引っ張って来た感じです。
問題があるようでしたら、ご指摘いただければ幸いです。
それでは「うろな町」計画をみなさんで盛り上げていきましょう。
コラボ作品URL
『うろな町』発展記録
http://ncode.syosetu.com/n6456bq/