終・スリフトの依頼
「あ、先生だ!」
エルリックは俺に気付くと大きな声と大きく手を振って出迎えてくれた。しかし今に限ってはその大声が命取りになりかねない。あの『魔王』に聞こえるかもしれないのだ。俺はダッシュで駆け寄ると三人の前で人指し指を口に当てた。
「シーーッ!」
三人は物の見事にキョトンとした表情を見せる。
「どぉしたのぉ!」
こともあろうにフィリアがわざと大声を出した。俺は咄嗟にフィリアの口を押さえ、本気のガン飛ばしをしてしまった。こんな年端のいかない子供にである。
本来なら絶対に有り得ないことではあるが、この子達を生かすためなら嫌われたって構わない。するとそんな俺の気迫が伝わったのかフィリアは珍しく「ごめんなさい」と自分から謝ってきた。
「いいかい、みんな。今先生達には時間が無いんだ。だから詳しい話をしている暇も無いし質問に答えている時間も無い。頼むから言った通りに動いてくれ。いいね?」
「はい」
三人は物々しい表情で答えた。
「よし。じゃあ急いで帰るぞ」
言って俺達は山を駆け下りて行った。
跳ね返る泥水も何のその。雨が弾丸の様に打ち付けて来ても何のその。黒い魔王とやらに比べたらてんで問題にもならない。
振り返らずに、ただ前を向いて走り続ける。子供達も無言で付いてきてくれた。
よし、このままなら――。
麓が見えた。あそこはまだゴールと言うには近すぎるが、それでもここまで帰ってきたという安堵感は与えてくれる。
しかし――。
「グォォォォォオオオオッ!!」
遠くからあの咆哮が聞こえてきた。それはまだ俺達が奴の懐にいることを示している。やはりここぐらいでは逃げたことにならないようだ。
「先生」
と、突然アベルが声をかけてきた。
「ん?」
「さっきもあの声聞こえてきた」
さっき――おそらくは馬車を持ち上げた時のものだろう。
「――そうか」
「モンスター?」
アベルの質問。別に隠す必要は無かったかもしれないが咄嗟に口から出てきた言葉は何とも曖昧な答えだった。
「まぁ、そんなとこだ」
そんな答えにアベルは納得したのかしてないのか、はっきりとはわからないがそのまま押し黙って走り続けた。
それからまたしばらく、俺達は黙々と走り続ける。ジェスラー山脈を下り、草木の生えていない剥き出しの大地を駆け抜けた。
厚い雲が空を覆っていても陽が傾いているのはわかる。ただでさえ暗い空が夕方に突入したせいでより一層暗くなった。
「先生~」
背中越しにエルリックの声が聴こえる。俺は首だけ振り向いて答えた。
「どした?」
「つ、疲れた~!」
「疲れ――あぁ、そうか……」
気付けば一時間以上走り続けていたようだった。ふむ、さすがにここまで来れば……。
「よし、じゃああの木まで行ったら休憩しよう」
すると萎れた表情をしていたエルリックにみるみる生気が戻ってくるようだった。
然して大きくない、街路樹程度の杉の木に到着すると俺達はようやく腰を下ろした。皆ここまで全力疾走――肩で息をしている。もちろん、俺も。しかし俺は一応先生。子供達への労いの言葉は忘れない。
「ハァハァ、みんな、頑張ったな」
三人は「へへ」と小さく笑った。
俺はふと今来た道へ視線を移した。そこには雄大なジェスラー山脈が若干小ぶりになって佇んでいる。そこでもう一度――逃げ切れたことを確信した。