終・先輩と後輩と④
アシュレイは男から様々なことを学ぶ。失われた時間を取り戻すように、貪欲に。いつしか男はアシュレイの師になっていた。アシュレイはそれを当然のことのように受け入れ、彼も男を先生と呼ぶようになっていた。
先生と教え子、師と弟子、父と息子――それが二人の関係であった。
先生は自分の教え子が世界を憎むことを否定しなかった。それも自由であり、憎まれる世界が悪い、と。アシュレイにしてみれば初めて出来た味方だったかもしれない。
その後二人は各地を放浪し、戦争の残虐さや凄惨さを目の当たりにしつつ、見聞を広めていった。先生は確かに、自分の教え子に世界を見せた。しかし結果的に――アシュレイの中では世界を忌み嫌う黒く歪んだ感情が膨れ上がっていた。
そんなある日、とある地方で起きた小隊同士の小競り合いに二人は巻き込まれてしまう。滞在していた小さな村が戦場となってしまったのだ。
「その時なんですけど、僕今ほど動けなかったんで怪我しちゃったんです。いや、怪我というか瀕死の重傷ですね、あれは。本気で生死の境を彷徨いました。でも先生が助けてくれたんです」
今度は死の淵から助けられた。二度目の救いの手――アシュレイはいよいよ先生に心酔していく。否、最早心酔ではなく、崇拝に近かったかもしれない。この人のためなら喜んで死ねる――安々と命を投げ出す者の気持ちまでわかってしまった瞬間だった。
しかし運命の日が二人に訪れる――。
二人は再び戦に巻き込まれてしまった。それはアシュレイが瀕死の重傷を負ったあの戦いの比でない、その国の明暗をわけるような大規模な戦闘だった。
凄惨を極めたその戦い――今度はアシュレイと、先生が重傷を負った。いや、傷だけで見れば先生の方が酷かった。肉は裂け、骨は砕け、何より腕が――アシュレイを幾度となく導いてくれた大きく慈愛に満ちた右腕が、失くなっていた。だがそれも自分を守ってくれたからこその怪我であることもわかっていた。
「自分が許せませんでした。恩を徒で返すような――足を引っ張ってしまった自分が、誰よりも許せなかった……でも先生は――」
それでも僕を助けてくれた。
先生は魔法と破動の使い手だった。が、傷のせいで魔法も破動も使えなくなってしまった。そこで先生はアシュレイにある物を渡した。
それは丸薬――薬学にも精通していた先生が調合した回復薬だった。アシュレイは言った――ご自分でお飲みになって下さい、と。しかし先生は小さく首を振る。そして言った――。
「私のような老人よりも、将来有るお前のような若者が助かるべきだ」
優しく微笑む先生を前にしてアシュレイは泣く泣く薬を受け取り、飲んだ。それを見た先生は笑みを湛えたまま――逝った。
薬の効果は凄かった。みるみる傷は塞がり、体力が戻ってくる。しかし、そんなことよりも――アシュレイは泣き続けた。冷たく、動かなくなった先生の体に縋りながら、泣いた。
泣いて泣いて泣いて――先生はもう戻ってきてくれない、話してくれない、教えてくれない、導いてくれない、手を差し伸べてくれない。それを悟った時、アシュレイの中で何かが弾けた。
「完全に全てがどうでもよくなりました。もうわけがわからなくなって、自分が何者なのかすらわからなくなってしまった。絶望とかそんな生半可な言葉じゃ言い表せない――どん底に突き落とされた感覚でした。そしてたぶんその時――」
ベルガザールは生まれた。
心の隙間を埋めるように、補うように芽生えた。自分ではない誰か、自分ではない他人が。
それからというもの、アシュレイはベルガザールという新たな草鞋と共に世界を渡り歩くこととなる。これぞ世に言う魔王そのものだった。各地で悪逆非道の限りを尽くし、ヒトの天敵として、ヒトから天災と恐れられる存在へと変貌した。
聞いている俺としてはそれはまるで二重人格のようだった。俺のあやふやな記憶によれば二重人格とは主人格が現実から己の身を守るために作り出されるモノだった気がする。確かにアシュレイの生い立ちと先生との別れを聞けばベルガザールが生まれたということにも得心はいく。
だが、だ。となると――アシュレイにはまだ話してない――あの黒い球体は一体なんだったのだろうか。パッと見アシュレイを苦しめる原因のように感じられたが。
本人は先生の死が直接的な原因だと思っているようだが、俺は正直釈然とはしなかった。まぁ、何かわかれば伝えればいいか。