終・先輩と後輩と③
後にわかったことであるらしいが、アシュレイが住んでいた国は当時戦争中だったらしく、そのせいで凄惨な――灰色の光景が広がっていたのだった。とはいえ俺からしてみればなんとタイミングの悪い――としか言い様がなかった。もしその時、彼の目に映る世界が素晴らしいものであったならば、物語はもう少し違っていたのかもしれないのに。
では話を戻すが、長い時間一人立ち尽くすアシュレイの頭にあることが浮かんだ。それはあの男性との約束。懐に仕舞ってあるナイフを返すという約束。いや、これはあくまで彼が自分に旅立つ理由として与えてくれたモノ――約束とは到底呼べる代物ではない。
だが一先ず、というかとりあえず――目的らしい目的も何も無いアシュレイは彼を探すことにした。
しかしそこでアシュレイが目にしたもの……それはヒトとヒトが血で血を洗う骨肉の争いだった。そう、もう一度言うが当時その国は戦争中だったのだ。いくつもの街や村が蹂躙され、黒く臭気を放つ死体の山がいくつもあった。あらゆる種族の垣根を越えて、凶気があり、狂気があり、狂喜があった。
約束を果たすために各地を放浪する中、それらの光景を目の当たりにしたアシュレイは不思議でならなかった。何故そんな安々と命を投げ出すのか。何故繋ぎ止めるべき命を無下にするのか、と。
確かに村では自ら命を絶つ者も少なくなかった。しかし彼等は皆生活が苦しくて、生きることが辛くて死んでいく。言ってみれば好き好んで死んでいく者は一人もいなかったのだ。
「まぁ、今ならわかりますけど……でもあの時はホント不思議でした。僕の中で死ぬのは生きることが辛いからで、辛くないのなら生きていたい。あの村に比べたらこの世界はどれだけ過ごしやすいことか。だからこそ聞きたかった――何か辛いことでもあるんですかって」
だからアシュレイはその疑問を胸に抱いて放浪を続けた。人探しの傍ら、見つかるかどうかわからない答えを探すために。時に戦に巻き込まれ、時に人の死を目の当たりにし、時に自らも傷付きながら旅は続く。
そして故郷を捨てて二年――探し求める答えは見付かっていなかったが、とうとう目的の人物との再会を果たしたのである。
男性は開口一番こう言った。
「待っていた」
アシュレイはその一言に救われた気がした。旅に出るまでの五年、旅に出てからの二年――その全てが報われたような気がした。そしてナイフを返し、深々と頭を下げた。それは自然に、気付かぬ間にそうしていた。もしかしたら無意識の内に彼がまた、自分に新しい理由を授けてくれることを望んでいたのかもしれない。
ナイフを受け取り男性はアシュレイに問い掛けた。
「キミの目に、世界はどう映った?」
端的だが今ある疑問の前提を問う質問――アシュレイは話した。何を見て、何を思ったか。男性は静かにそれを聞き、最後にアシュレイが抱いていた疑問に答えを与えた。
「絶望、羨望、希望――何をどう望もうとキミの自由だ。確かにこの七年間で世界は変わり果てた。だがそれを見て、落胆し、軽蔑し、怒りに打ち震えようと、それでもまだ何かを願おうと、キミの自由だ。キミは体は十分大人と言える。しかし心は今だ大人に成りきれていない。幼いのだ。どうだろう、私と共に来ないか? 私はキミに世界を見せることが出来る」
差し出された右手。まただ――またこの人は僕に道を与えてくれた。
答えは決まっていた。行くに決まっている。アシュレイは思う――この人と共に在れば他に何もいらない。わからないことがなんだ、安々と命を投げ出す者がいようと知ったことではない。死にたいなら死ねばいい、と。
今だかつて経験したことの無い晴れやかさだった。しかし全てがどうでも良いというような投げ遣りとは違う。言うなれば自由。
男との再会は彼にとって自由を手に入れたも同義だったのかもしれない。自由であることを認められ、自由であることを守られた。故に、男の背中に絶対の心服を寄せ、尊敬し、敬愛した。するとアシュレイの心に変化が、沸々と一つの感情が姿を見せ始める。
それは世界に対する嫌悪――無意識に自制していた黒く歪んだ感情が、男との再会とで、自由になったことで溢れ出たのだ。
聞く側からすれば当然のことのようで悲しいことだと思う。しかし、もし俺が同じ立場だったら――と考えたら何も言えなかった。