先輩と後輩と③
女将さんは懐から一通の手紙を取り出すと俺に手渡した。手紙は仕事の関係上度々利用しているため、それ自体は珍しくない。事実女将さんはいつもと変わらず、と言った様子である。しかし時期が時期――というのもあって必然的に期待が高まる。
「ど、どうも」
言って俺は足早に部屋へ戻った。
部屋へ着くとルカが出迎えてくれ「夕飯は?」と尋ねてくれたのだが、返事もそれなりに自分の部屋へと直行した。あとでちゃんと謝っておこう。
部屋は窓を閉めきっているせいで夜になっても熱が籠っており、何をせずとも全身から汗が吹き出てくるようだ。俺は一先ず窓を開け夜風を取り込む。そして空気が入れ替わった所で手紙の封を切った。
中には一枚の紙。差出人の名前なんて書かれていない。内容も僅かに一行――。
『月満つる夜、彼の地にて待つ』
だけだった。だけだったが誰の手紙かは直ぐにわかった。わかったはいいがタイミングが悪いにも程がある。期待していた分落胆も大きい。出来ることなら空気を読めと言ってやりたい。とは言え何も言わずに姿を消すような奴が手紙を書くというのもおかしな話なのかもしれないが。
しかし約束は約束。窓から覗く月は煌々と世界を照らしており、その姿は奴と戦った時のそれとほぼ同じものになりつつあった。
そしておそらく明日――月は満ちる。魔王ベルガザールとの再戦を約束した日がやって来る。奴に成長した自分を見せ付ける日が来るのだ。だが――。
「……ハァ」
溢れるのは溜め息ばかりである。まだ何も解決していないのに更に問題が増えたのだから仕方無い。A型の俺としては何とも言えず気持ちが悪いのだ。問題は一つ一つ丁寧に解決していきたいのに……。
ただ優先順位は明白だ。とりあえずはベルガザールとの再戦を明日済ませる。これは解決方法が明確だからだ。それに加え今は破魔双装が使えるわけだし、代表選考会の決勝で味わったデュランのプレッシャーを思えばベルガザールも恐るるに足らないだろう。そしてそれが片付いたらアシュレイの捜索に戻る、と。
よし、完璧だ。いつもだったら一人にやけそうなタイミングだがどうも上手く笑うことが出来なかった。
翌日――。
ルカと子供達には泊まり掛けの仕事が入ったと言い残し宿を出た。ギルドの連中は――俺が一日顔を出さなくても問題は有るまい。プリシラやら事情を知っている者は何か思うかもしれないが、それは帰ってから話せば事足りるだろう。
空は相変わらずの快晴で雲一つ見当たらない。ここまで晴れると逆に雨が恋しい、と昼間っから井戸端会議をしている奥様方が口を揃えていた。どうやら今晩は綺麗な満月が見れそうである。
予定としては夕方ジェスラー山脈に到着し夜を待つ。そしてそこでベルガザールと……。
「ふむ、こんなもんか」
と、独りごちたところで視界の端にふと見慣れた影が映った気がした。その影を追って顔を旋回する。
「どこ行くんだい?」
「――ミネルバさん」
影の正体は彼女だったらしい。
「あぁ、あれです。仕事でちょっと遠出に……」
「ふーん。今そんな依頼出てなかった気がするけどねぇ」
「あれ? そうでした?」
「フン、随分と下手な嘘をつくじゃないか……新人絡みかい?」
やはりアシュレイのことが気になって来たようだった。しかし残念ながら本件は彼とは関係の無い完全な私用である。
「いえ、違います。これは俺の仕事というか、まぁ――野暮用ですかね」
「……それは、嘘じゃないみたいだね」
言って歩み寄ってくるミネルバはいつもと同じ様に艶かしかった。
「まぁいい。アタシは別にそんなことを聞くためにここまで来たわけじゃないんだ」
「ほぉ。と言うと?」
「志士の集いにはちゃんと応援に来な。それが先輩を敬う後輩の義務ってもんだろ?」
ミネルバは優しく微笑む。優しさに満ちたその言葉の中にはちゃんとアシュレイのことも含まれているように思えた。
「了解です」