祝賀会③
「じゃあよう――」
そう口火を切ったのはデュランだった。
「俺が使えないってのは良しとしてだな、重ね掛けとこいつの――なんだ? まぁ、あの技ってどう違うんだ?」
「単純に言うと普通の重ね掛けってのは足し算式に強さが増すが、あれは掛け算式に強さを増していく――ぐらいかね。ま、その反動というか副作用も尋常じゃないみたいだけど」
言ってミネルバは俺を見る。確かに試合終了直後は酷かった。
「でも何でミネルバさんそんなに詳しいんですか? 俺なんて自分のことなのにさっぱりですよ?」
「ん? 色々本を読み漁ってたらそんな技が載ってたんだよ。結構マニアックな文献だった気がするけどね。アタシが思うにそもそも体質が適合しなきゃ使えない技なんだ――長い歴史を見ても使い手は少なかったんだよろうよ。だからそんなに有名じゃなかったんだろうね。ま、その分あの技についてはまだ解明されていない部分もあるだろうから、アンタもしっかり勉強しな」
一瞬ミネルバが女帝から女教師に変身してしまったのかと思った。だとしたらなんとまぁ卑猥な――姿格好が合間って実に破廉恥である。だがそれはそれで嫌いではない。とか思ってしまうのは酒の席であることをここで強調させていただきたい。
「ハ――ハァ、了解です」
「ちなみに、アタシの記憶が正しければあの技の名前は『破魔双装』だった気がする。自分で調べてみるのもいいだろうね」
「わかりました。ありがとうございます」
俺が礼を言うとミネルバは気にすんなと肩を叩いてどこかへ行ってしまった。その足取りは僅かにフラついていた。その後ろ姿を眺めつつデュランがふと溢した。
「ハッ、アイツが酔ってるたぁ珍しいね」
「え? そうなんですか?」
確かに足取りは怪しかった気がするが――。
「アイツは俺と違って自分の知識をひけらかす様なタイプじゃないからな。ま、案外ミネルバも今日優勝出来て羽目外してんのかもな」
言ってデュランは残り僅かな酒をグイッと流し込んだ。この人の肝臓はどうなってるのか実に興味深い。にしてもやはりデュランとミネルバ――二人には二人にしかわからない空気みたいなものがある気がする。今度デュランさんが酔ったら聞いてみようかと思う。
「いつまで待たせんだいショウッ!」
「ッ! ハ、ハイただいま!」
プリシラに呼ばれていたことをすっかり忘れていた。叶うのなら彼女にも忘れてもらいたかったが……。この後俺がへべれけにぐでんぐてんのミスター千鳥足になったことは言うまでもない。
次に俺が意識を取り戻したのは宿へ向かう帰りの道だった。例によって例の如く傍らにはアシュレイの姿があり、全身骨抜きにされ軟体動物へ生まれ変わった俺を支えてくれていた。
「うぃっく」
「あ、気付きました?」
「うん。ヒック」
酒をたらふく飲んだせいかしゃっくりが止まらない。それと同時にやってくる吐き気と頭痛――今日はなんだか目が覚めるとどこかしら体が痛くなっている気がする。
「飲み過ぎですよ、先輩」
「へへへ――仕方あるめーよ。ま、明日の朝に後悔するんだろうけどな。ってか皆さんは?」
「もうとっくにお開きで帰ってますよ」
「そっか……」
酒を飲んで熱くなった体を夜風がやんわりと冷ましてくれる。昼間の暑さが嘘のような涼しさだ。ここで眠ってしまいたいと思うのはやはり酔っているせいだろうか。
「ほら、しっかり歩いて下さい」
「クククク、悪いねぇ後輩。何分体が言うことを聞かんのでね。許してくれ」
という俺の返事にアシュレイは「はいはい」とぞんざいに返してきた。フン、先輩酔ってるから許してやる。
「ってかアシュレイさんよぉ――もう一ヶ月くらいか? こっちに来て」
「うーん……そうですかね。正確にはあと一週間くらいですけど」
「ハァ……時の流れってなぁ早いねぇ。で、どうよアシュレイ――充実しているかい?」
「……急にどうしたんですか?」
訝しむ様な表情でアシュレイが問い返してきた。だが別に大した理由じゃない。俺の後輩として、ギルドの一員として、何か不満が無いかを聞いているだけである。
「いいから、ほら」
「う、うーん――まだ慣れてないことも一杯あるんでそういう実感はちょっと……」
「そっかそっか。でもあれだぞ、何か有ったらちゃんと言えよ? 命懸けで助けに行くからな」
「ハハハ、大袈裟過ぎないですか? というかそんな恥ずかしい台詞先輩から聞くとは思いませんでしたよ」
そう言われても気にならないのが酔っ払いの特権だと思う。普段言えないことも酒の力を借りれば意図も容易く言えてしまうのだ。お酒恐るべし。
「失敬だなキミ。俺は家族と彼女と友のためなら命を懸けることなど厭わないのだよ」
「――聞いてるこっちが恥ずかしくなるんですけど」
「見ず知らずの相手にはとことん冷たいがなッ!」
「……極端過ぎでしょ」
とアシュレイの的確なツッコミが入った所で俺達は中央通りに出た。いつもならこの時間――日が変わるか変わらないかぐらい――であっても飲み歩く者達で賑わっているはずなのだが、今日は珍しく人気が無い。その広さと合間って、静まり返る中央通りはどこか寂しげにも感じられた。
しかし空を遮る物が少ないせいで月夜の通りは昼間の様に明るい――とは言い過ぎだろうか。俺は夜空に浮かぶ円みを帯びた月に向かって溢した。
「ハァ……月が綺麗ですこと」
「何でちょっと乙女チックなんですか」
「フン、このロマンティシズムをわからんとは。アシュレイよ、キミもあの月を見たまえ」
言って俺はアシュレイの顔をクルリと月に向けた。アシュレイはしばし沈黙し、静かに月を眺め始めたようだった。
フフフ、その感性が大切なのだよ――などと思いつつ俺はアシュレイの横顔をチラリと覗いた。すると何故だろう……その横顔はどこか寂しげで、儚げで、今にも消えてしまいそうな切なさを醸しているように感じられた。そしてややあってからアシュレイは一言「綺麗です」と呟き、そっと顔を俯かせたのだった。
俺の先輩としての勘が何か告げる。気付けば俺はアシュレイに問いかけていた。
「――何かあったか?」
しかしアシュレイは柔らかな微笑みを浮かべ小さく首を振る。そんなはずはないと思いながらもアシュレイの笑みからはこれ以上踏み込まないでくれと言われている気がして何も言えなかった。
「じゃあ先輩、僕はこっちなんで」
言ってアシュレイは自らの帰路に着く。
「お、おう――」
「おやすみなさい」
「あ――」
その瞬間唐突に、何故か彼を引き留めなければならない衝動に駈られた。気付けば俺はアシュレイの肩を掴もうと手を伸ばしていた。しかし、それよりも早くアシュレイが歩き出したため手は空を切る。
数歩歩いた後アシュレイが振り向く。
「どうしました?」
俺は空を切った手をそのまま上げ――。
「お……おやすみ」
「はい」
アシュレイは再び柔らかな微笑みを浮かべ会釈し、そのまま歩き出した。
その後俺はアシュレイの背中が見えなくなるまでずっと、何故かは俺にもわからなかったがその背中を見ていた。
そして翌日――。
アシュレイが姿を消した。