終・代表選考会⑩
静寂に満ちた世界――足元は不安定でまるで水面に揺れる様な錯覚を覚える。四肢に力は入らず、揺れ動く体は自分の意識とは別に存在しているようだった。
目は見開いているのか、それとも閉じているのか。在るのは黒――漆黒の空間。右も左も上も下も前も後ろもわからない。
「――ん輩」
突然遠くから聞き覚えのある声が、アシュレイの声が聞こえてきた。沈み行く意識を呼び戻す様な声――それでいて普段と変わらない声だった。
「――先輩」
今度ははっきりと聞こえた。そこでふと気付く。声は意外に近くから聞こえていたということに。そしてもう一度「先輩」と呼ぶ声。
「……ンン」
俺の意識は覚醒した。
重たい瞼を持ち上げると会場の照明がぼんやりと浮かび上がるのがわかった。そしてそこに映り込むアシュレイの顔――しかしその顔は傷やら何やらで随分と汚れていた。
「アシ――」
ュレイと言いたいが声が続かない。仕方ないのでゆっくりと言葉を紡ぐことにする。
「どう――し、た?」
すると俺の問いかけにアシュレイは小さく微笑み一言――。
「……良かった」
その声音から察するにどうやら心配してくれていたようだった。叱られ宥められ心配され、先輩として完全に失格かもしれない。
「わ、るい、な」
一応謝っておく。アシュレイはそれを受けて小さく首を振った。
俺はアシュレイの肩に手を掛けた。そして体を起こそうと腕に力を込める。と、その瞬間腕だけでなく全身に激痛が走った。苦悶に顔が歪むのがわかる。
「大丈夫ですか!?」
「ハハ、だ、い丈夫だっての――さっさと終わらせ、ようぜ」
「……はい?」
何故そこで問い返す。まぁ確かにズタボロですけども。
「まだ、まだ戦え、るって」
「いえ、先輩その――」
アシュレイは俺の手に自らの手を添えて続けた。
「……すいません」
「え?」
何を謝る? 何かやらかしでもしたのか?
するとアシュレイがふと遠くを見るような仕草で顔を上げる。俺は理由がわからないままアシュレイの視線の先を追った。
『――はり女帝は強かったぁぁあッ! ミネルバ笑顔で勝利ですッ!』
そこには笑顔で観客に手を振るミネルバの姿があった。
唐突にアシュレイの言葉と表情の意味を理解する。と同時に緊張の糸はプツリと切れ、全身から力が抜けていくのがわかった。アシュレイの肩から手がずり落ちる。
「そっか――負けたのか……」
「すいません……」
「何でアシュレイが謝るんだよ。ここまで来れたのはお前のお陰なんだから」
そう、まさにその通りだ。アシュレイがいなかったら、アシュレイじゃなければ、きっとここまで来れなかっただろう。
「でも――」
「でも、でもだ。俺はアシュレイには感謝してる。それに負けたのは俺の責任だし――つってもお前が納得しないってんならお互い責任があるって事で、な?」
「……はい」
言ってアシュレイは精一杯笑って見せてくれた。
にしてもこの体――しばらく動きそうにない。動きはするけど激痛を伴う――言うなれば重度の筋肉痛か。思えば現在俺の体は破力も魔力もすっからかん。その結果なのかもしれない。
「アシュレイ、肩貸してくれ」
「あ、はい」
俺はアシュレイに担がれる様にして立ち上がった。そして勝者であるミネルバの元へ歩み寄った。もちろん祝いの言葉を述べるためである。
「おめでとうございます。ミネルバさん」
「ん? ハハ、ありがとう。それよりアンタ大丈夫なのかい?」
「いえ、冗談抜きにダメっぽいです」
「だろうねぇ。あんだけやりゃあ……ウチの相方ですらこのザマだ」
言ってミネルバは足元を見やる。そこには気絶したデュランが横たわっていた。何故笑顔なのかはわからないが。
と、そこへプリシラがやって来た。おそらく閉会の言葉でも述べるためだろう。
「はいはいどいとくれ。ん? こいつぁ何でこんなとこで寝てんだい。邪魔だったらないね」
言って笑顔で寝ているデュランの顔に一発蹴りをかます。この人は鬼でしょうか……。
「あ、そうそう。これ終わったらいつもの店で打ち上げだから。いいね?」
屈託の無い笑顔でプリシラは言った。俺は笑顔で返す。
長かった代表選考会が――終わった。