いざ現実逃避へ
朝の十時。合格発表の時間がやってきた。
「大丈夫、今回はイケてる……はず」
今年で二六歳。資格浪人というなかなか聴くに切ないアイデンティティーを取得してどれだけの時間が流れたことか。正直このアイデンティティーにも飽きてきている。ここ数年合格まであと一問というギリギリのラインにいるためズルズルと試験勉強を続けているが……そろそろ終わりにしたいというのが切なる願いである。
はてさて、とりあえずインターネットを開き合格者の受験番号が掲載されている掲示板を見てみる。
「ふむ。俺の番号は……と」
受験票で自分の番号を改めて確認し、再度掲示板に目を移した。
「うん……うん……無ぇ」
また一問だった。なるほど、合格は難しい。ただここまで来ると逆に笑えてくるのもまた事実。俺は自嘲気味に笑うと受験票に目を落とし優しくそいつを破り捨ててやった。
おっと、すっかり忘れていたが、ここらで自己紹介をしておこう。俺の名前は弐鷹翔、なかなか珍しい名字だと自負している。彼女は今のところ募集中。但し年齢といわゆる彼女イナイ歴が等号で結ばれないことをここで強調しておきたい。
まぁ自己紹介はこれくらいにしといて……とりあえず今回もダメだった俺だったが打たれ強くなった我が心のお陰で今日も元気良く予備校へ向かう電車に乗っていた。
心地好い揺れにうつらうつらし、しかし寝過ごすまいと必死に重たい瞼を持ち上げていたその車中、ふと一つの中刷り広告が目に飛び込んできた。
『塾講師募集! 時給一八〇〇円から!』
「何?」
不景気に喘ぐ日本社会のなかでこれほど良心的なバイトの募集広告があるだろうか。いや、無い。有るのであればご一報願いたい。
ともかく俺は募集事項にざっと目を通した。昨今急激に減少してしまったと思われる裸眼族の生き残りとしてその力を存分に発揮仕切れなかったが、大まかな内容は分かった。
二五歳以上の授業経験のある人間は歓迎されるらしく、教えるのは小中学生で少人数制とのこと。
なるほど、最近ダイエットを始めた俺の財布を再び肥らせるには持ってこいのようだ。何より一月という寒い季節を思えば暖房の効いた教室で働くのがベストだろう。で、塾の名前は――と、その時。
「間もなく~源太坂ぁ~源太坂ぁ~」
ヤバい、もう着いてしまう。俺は塾の名前と電話番号だけを素早くメモし電車を降りた。
電車を降りると予備校へ向かって歩き出す。道中先程見そびれた塾の所在地を確認するべく携帯で検索してみた。しかしなかなか見つからない。というか見つかる気配が無い。
「小さい塾なんかな……」
塾の規模はともかくこれではいざ面接、といった場合に困ったことになる。とは言うものの検索に引っ掛からないのであればどうしょうもない。仕方ないが帰りの電車に同じ広告が有るよう祈ることにした。
授業が終わり、仲の良い先生に「次頑張ろう」と励まされた俺は帰りの電車に乗った。夕方も六時を回り、いつもなら帰宅ラッシュで混んでいるはずなのだが今日は空いていた。俺はすかさず空席に腰を下ろし一息ついた。
いつも座れない分なんだか得した気分になる。そして十分暖まるとポケットから携帯を取り出しメールの確認――とここで思い出した。あのバイトの広告だ。すっかり忘れていたが。
目当ての広告が有ることを祈りつつ俺は車内を見上げた。
「ッ!」
荷物置きに週間少年ジャンプが……って違うだろ。冷静に自分のボケを回収すると広告を探した。
「あ……」
ジャンプの裏にあの広告はあった。俺はすかさず立ち上がり近くまで寄ると住所をメモする。そしてジャンプを手に取り席に戻った。
翌日、予備校が休みということもあり俺は早速塾に電話をしてみた。コール音が三回四回と聞こえてくる。なかなか出てくれなかったが唐突にガチャリと音が聞こえてきた。どうやら繋がってくれた様だ。
――お電話ありがとうございます。YM予備校受付の才崎です。
可愛らしい女性の声が携帯越しに聞こえてきた。
「あ、そちらで講師の募集をしているとお聞きしたのですが」
――あ、はい。やってますよ。バイト希望の方ですか?
「はい」
――かしこまりました。えと~では面接なんですけど本日でもよろしいでしょうか?
今日とな。まさかここまで話がトントン拍子に進むとは思ってなかったが、今日は特に予定もないし問題無い。
「あ、大丈夫です」
――では……。
才崎と名乗った受付嬢は俺に軽い履歴書を持ってくるよう告げると最後にお待ちしてます、と男心をくすぐるセリフ残して電話を切った。
面接の予定時刻まであと三時間。住所を見る限りそう遠い駅ではないからゆっくり出ても問題ないだろう。俺はさらさらと履歴書を仕上げスーツに着替えると余裕を持たせるために早目に家を出た。
正直早すぎたかと思ったが、意外にもそうでもなかった。塾の場所があまりにも入り組んだ場所にあったのだ。
「ここか」
それは随分と古ぼけた三階建てのビルだった。しかし不思議と温かい様な、周りから浮いているような不思議な建物だった。
俺は今一度身嗜みを整えるとビルの中へ足を踏み入れた。一階には受付があり女性が一人いる。その女性は俺に気付くとその格好からバイト面接者だということが分かった様だった。
「先程電話した者ですが……」
「はい。お待ちしておりました」
声からしておそらくさっき電話に出た才崎という女性だろう。フランス人形を彷彿とさせる顔立ちにすらりとしたスタイル、柔らかい桃色のセーターにブラウンのロングスカート。ここまで俺のストライクゾーンを攻めてくる女性も珍しい。
そんなことを知らずに才崎さんは俺を奥の部屋へと案内した。中にはおそらく講師達が利用するのであろう机がところ狭しと並んでいた。そして一番奥の机に男性が一人こちらを向いて座っていた。
「塾長、先程お電話を頂いた方です」
なるほど、この男性がここのトップということか。
「弐鷹と申します。本日はよろしくお願いいたします」
俺は当たり障りの無い無難な挨拶をした。男性はニコリとするだけで口を開かない。年齢は三十代後半から四十代前半といったところか。なかなか体格も良く顔立ちもなかなか。ゆくゆくは俺もこうなりたいものだ。
そしてしばし沈黙が続く。なんだか空気が重い。まさかいきなり不採用なんてことに――といくらかマイナスイメージが脳内を駆け巡った所で塾長と呼ばれた男性が口を開いた。
「こいつは当たりかな」
「は、はい?」
「才崎さんこの人に椅子用意してあげて」
「ただいま」
俺は訳もわからず才崎さんに用意してもらった椅子に腰掛け再び塾長と顔を合わせる。
「キミはウチがどんなとこか分かってる?」
「え、えぇ。小中学生向けの塾……」
「そそ。んで、キミは何を教えられるの?」
そそ。俺もこの質問を待っていた。学生時代の得意科目は日本史、中学生レベルなら多分英語だっていける。
「日本史と英……」
「いやいやいやいや、そういうんじゃなしに」
「はい?」
意味がわからなかった。塾である以上俺の言ったことに問題は無かったはず。
「キミ、これを電車の中刷りで見たんだよね?」
言って塾長は俺が電車で見たあの広告を引き出しから出した。それを見てこくりと頷いて答える。
「ここ、ちゃんと読んだ?」
塾長が指差す場所を読んでみる。
『剣術、体術、魔法を教えられる方歓迎!』
うん。なんだこれ。ってか魔法ってなんだ。全体的に色々とマジか。
「やっぱここまで気付かなかったかぁ。まぁでもうちの広告に気付けたんだし、俺の見たとこ素質もありそうだから……」
「すいません」
俺は渾身の力を込めて塾長の話を断ち切った。
「なんだい?」
「ここ、塾ですよね?」
「もちろん。魔王を倒す方法を教える塾さ」
なるほど……よく分かった。うん、帰ろう。思い立ったらすぐ行動に移せるのが俺の数少ない特技の一つである。俺は塾長に一つ会釈をし席を立った。とその時だった。
「才崎さ~ん」
塾長の一声で才崎さんが俺の目の前に立ち塞がった。ただ先程と違うのはその美しく綺麗な手にあまりにも不釣り合いな鎖鎌的な凶器が握られていることだった。
才崎さんは笑顔のままそれを振り回し、ビュオッとかつて聞いたことのないような風を切る音を響かせながら俺に近づいてくる。まったく、その凶器が無ければ両手を広げて抱き締めたものを。
「弐鷹さん、動かないで下さいね」
「え?」
一瞬だった。才崎さんの投げた鎖鎌の分銅は俺の体をぐるぐると周りガッチリと拘束したのだった。
「え、あ、ちょ」
動かない。鉄製の鎖は俺の力では何ともならずあえなく椅子に舞い戻る結果となった。そしてここから俺の壮大な現実逃避が始まるのだった。




