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誘拐

 早朝、ベルム、サカリ、ラミーナの三人は、釣具とバケツを手に磯へと向かっていた。目当ては、ジギーの好物のソイだ。


 今日は、彼が生まれて十八回目の夏――その最初の満月。ついに彼は、ラミーナを妻に迎えることができる。


 その祝いの席に魚料理を供するため、彼女は双子を釣りに誘ったのだ。


「本当にいいのか?君はこの夏でようやく十六だろ?結婚なんて、まだ早いんじゃないか?」

 滑りやすい海藻を避けて歩きながら、ベルムが言った。


 それにサカリが即座に反応して、面白がるように口を挟む。

「なんだ、異議ありか?」


 ベルムは弟の軽口を無視し、ラミーナに視線を向けた。


 彼女は、晴れやかな笑顔で「いいの!」と返した。まるで、彼女の生まれた季節――真夏の太陽そのもののようだ。


 双子は幼馴染の眩しいほどの笑顔に当てられ、気恥ずかしくなって視線を合わせた。


 が、サカリはすぐにいつもの調子に戻る。

「だからって、なんで俺らまで付き合わなきゃならないんだ。ジギーと釣れよ、あいつは漁師なんだから」


「それじゃ驚かせられないでしょ」

 ラミーナは足元を歩いていたカニをひょいと飛び越え、口を尖らせた。


 (ひとりで行かせるわけにもいかないしな)

 ベルムはそう内心で呟く。


 近頃、街道で盗賊が出たという話を聞く。こんな時間に女の子ひとりで村から出させることはできなかった。


 双子は木剣を腰に差し、幼馴染に追従した。


 磯に着くと、三人は南の海に面した平らな岩の上から釣り糸を垂らした。月は西へ沈みかけ、東の空は少しずつ明るさを増している。


 半刻ほど過ぎ、足元のバケツには数尾の根魚が泳いでいた。


「そろそろいいんじゃないかな」

 日もだいぶ上ってきた。頃合いを見て、ベルムは二人に声をかけた。


 その時だった。俄かに暗雲が立ち込め、雨が降り出した。


「……え?」


 雨の気配など、さっきまでどこにもなかった。三人は訝しげに顔を見合わせる。

 濡れた岩場は危ない。三人は、いそいそと帰り支度をはじめた。


「帰ろう。足元に――」


「うわ!」

 突然、サカリが驚きの声を上げた。


 何事かとベルムが顔を上げた瞬間、目に飛び込んできたのは、弟の頭上から襲いかかる二羽の鳥の影だった。

 カラスに似ているが、どこか違う。


 ベルムはとっさに足元の小石を拾い上げ、鳥に投げつけた。


 バシッ!


 石が命中し、一羽が地面に落ちた。


 同時にサカリが、練った魔力を球状に固め、もう一羽へぶつける。鈍い音がして、二羽目も落ちる。


「大丈夫か!?」

 ベルムが駆け寄ると、サカリは「問題ない」と手を挙げ、心配する兄を制した。


 ラミーナは、少し離れたところで怯えた表情を浮かべている。雨粒が頬を伝い、唇がわずかに震えていた。


 ベルムは地に落ちた鳥を覗き込む。


 見たことのない鳥だった。大きさはカラスほど。――しかし、色は深い紫色。目は燃えるように赤い。

 何より、嘴に並ぶ歯が異様だった。


(……普通の鳥じゃない)

 背中に悪寒が走った。


 次の瞬間、一陣の風が吹き抜けた。三人は思わず顔を腕でかばう。

 雨雲の底を裂くように、何かが空から降りてくる。大きな影が、岩場の上を覆った。


 そこにいたのは、馬ほどの大きさの四足獣だった。――いや、馬ではない。


 馬に似ているのは、四肢があるという点だけだ。胴は分厚く、毛のない皮膚は先ほどの鳥と同じ深い紫。目は赤く、濡れた岩場でぎらりと光る。


 顔つきは馬というより、イノシシに近い。突き出た豚鼻、そこから伸びる牙。

 息を吐くたび、鼻孔から白い蒸気が漏れた。


 その背に、大柄な男が跨っていた。


 ほぼ上裸。腰布を巻いているだけの姿で、筋肉の隆起が雨に濡れて艶めいて見える。肌は深い紫、目は赤――先ほどの鳥や、騎乗している生き物と同じだ。

 長い髪は、生き物のように立ち上がり、揺らめいていた。


 一目でわかる。人間ではない。


(……魔族)


 話には聞いたことがある。だが、実物を見たのは初めてだった。

 ベルムは喉の渇きを覚えた。


 魔族は双子に目もくれず、まっすぐラミーナとの距離を詰める。まるで最初から、彼女だけを目的にしているかのように。


「……ラミーナ、下がれ!」


 ベルムは反射的に魔力を練り、空気を裂く稲妻へと変えた。拳の中で白い光がはじける。


「やめろっ!」

 叫びと同時に、ベルムは魔族へ雷を放った。

 

 眩い閃光が走る。しかし、魔族はラミーナから視線を外さない。

 ただ煩わしそうにチラリとこちらを見ただけだった。


 それだけで、雷は散らされるどころか、ねじれるように弾かれた。


「――っ!」

 返された雷が、ベルムへ襲いかかる。

 

 完全に予想外だった。これほど容易く自分の魔法が跳ね返されるとは……

 身体が凍りつき、反応が遅れた。

 

「兄貴っ!」

 刹那――サカリがベルムに飛びかかった。

 

 二人はもつれるように転がり、雷はすぐ背後の岩へ叩きつけられた。爆ぜる音。火花。岩肌が抉れ、白い煙が立つ。


 双子が顔を上げたときには、もう遅かった。

 

 魔族は馬上からラミーナの手首を掴み、まるで羽のように軽々と引き上げた。

 少女は息を呑み、声にならない悲鳴を漏らす。


「ラミーナ!」


 ベルムは立ち上がろうとしたが、足が滑る。雨で濡れた岩のせいで、踏ん張りが効かない。


 魔族は彼女を抱え、手綱を一振りした。獣の脚が岩を蹴る。

 そして、それは空へ舞い上がった。背中から伸びた膜のような翼が、力強くしなる。


「待て!」

 ベルムとサカリはラミーナの名を呼びながら、彼女を追おうと走り出した。だが、その声は羽音によってかき消される。


 先ほどの紫の鳥が、何羽も、何羽も――雨の中から現れた。赤い目が一斉にこちらを向き、羽音が不快な唸りとなって耳を刺す。


「邪魔するなっ!」

 サカリが魔力弾を放った。だが、あまりにも数が多い。鳥は散り、また集まり、二人の行く手を塞ぐ。


 ベルムは歯を食いしばりながら空を仰いだ。


 魔族は雨雲の下、ラミーナを抱えたまま遠ざかっていく。

「勇者にでも泣きつくんだな!わははははは!」

 

 去り際、魔族は振り返りもせず、冷笑だけを残していった。

 笑い声が風に溶け、雨にかき消されていく。


 ベルムは拳を硬く握った。隣では、サカリが唇を噛みしめたまま、ただ空を睨み続けていた。


 ふと足元を見ると、バケツは倒れていた。岩の上に投げ出された魚たちが、雨水の中で無力に身をくねらせていた。


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